第一話 犬と王子様 15
長門は、ベンチの端に腰を下ろした。
クラディスが慰めるように、少女の手を舐める。
何を言おうと思った訳でもないが、長門が口を開きかけた時、少女がまた突拍子もなく発言した。
「もう少し大きくなったら、手術をするの。見えるようになるって」
長門は口を閉じて、言葉を考えた。
それはいい。
頭に浮かんだ言葉は口には出ずに、ああと唸るだけになった。
少女は、それにも気にした様子はない。手を舐めているクラディスを、左手で無心に撫でていた。
「どうして来ないのかな。約束したのに。絶対、この人だって思ったんだけどな」
ああ。
昨日言っていた王子様のことかと、長門は合点する。
たかだか十才かそこらの少女の口からそんな言葉を聞けば、大抵の大人なら笑ったかも知れない。
それとも何と老成たことを言うのかと、眉を顰めただろうか。
長門は、子供や男女の別と言った区分にこだわらない。
子供だから大人だから。そんな言葉で、全ての人間を一括りできる訳がないのだ。
「やっぱり見えないと、駄目なのかな」
「見えない分、心で感じると言うのはあるだろうな」
長門は考えるでもなく、そんな言葉を口にしていた。
最初に相手と会った時に、その後の相手に対する見方と言うものも決まってしまうものだ。
見えるものが全てとは限らない。見えなければ、先入観やそんなものがない。
見えない方がいいことも、そう考えるとあるのかも知れない。もし見えていればこの少女だって、長門に会った時点で逃げ出しただろう。
クラディスだって子供にすれば、空恐ろしく見えるに違いない。
噛みついたり人を襲ったりするような犬ではないが、何しろ長門と同じでやたらデカイ。
それに長門など、到底子供に懐かれるような風貌でもなかった。
しかし、少女にはそれが見えないのだ。
「ふうん。長門さんって、やっぱりいい人なんだ」
いい人……か。そんなふうに評されたのも初めてだ。
いや、自分で昨日言ったのか。
優秀な殺し屋なんて、到底いい人の範中に入らないだろう。
法的な規範からすれば、長門など大悪党もいいところだ。
殺した人間の数が、両手と両足の指の数を合わせたよりも多いのだ。
決して歴史の表舞台には立つことのない殺し屋の中でも、なかなか上の部類に入るのではないかと、客観的に見てもそう言えた。
「あなたでもいいわ」
――王子様。
少女は、最後の言葉を掻き消えそうな声で言った。少し恥ずかしそうにしているのが、思わず長門の笑みを誘った。
「そうか」
長門は、やっぱり短く答えた。
王子様……ね。