第一話 犬と王子様 14
少女は、
「約束したの。待ってるって」
真剣な眼差しで、見えない筈の前だけを見つめて言った。
その日は、それだけで別れた。
誰もいないマンションへと戻った長門は、変えることなど知らないように、ただ飲みつけた酒を飲んでいた。
クラディスは、やはりクッションに顔を押しつけて目を閉じている。
王子様……か。
それはとても非日常的な響きを持っている。
長門にとってそれは、生まれてこの方、使ったこともなければ聞いたこともない言葉だった。
この先も使うことなど有り得ないだろう。
もし、このような状況がこなければ。
少女に何があったのか、端的な言葉からも推測はできる。
しかし、何があったか長門に分かったところで、何一つ変わらない。自分にできることなどないし、またする必要もない。
そう、別に気にすることはない。
時間になると長門とクラディスは、決まり事のように散歩に出かけた。クラディスにせかされるまでもない。
時間はこの二日間と変わらない、四時過ぎだ。
公園に着いたクラディスが、待ち惚けを喰ったような表情をしたのも道理で、その日、あの少女の姿はベンチになかった。
肩透かしを食ったような気がしたのは、クラディスだけではなかった。
公園をクラディスに合わせてブラつくが、小さな児童公園のことだ、一周するにもさほど時間はかからない。
長門は帰るかと言うように、クラディスの引き綱を引いたが、クラディスはどうしたものかと迷ったような顔をしていた。
クラディスの心が決まるのを、長門はぼんやりと突っ立って待つ。
不意にクラディスの表情が明るくなったかと思うと、口を開けてハッハッと舌を出しながら、しっぽを左右に打ち振った。
植え込みの上に、通りを歩く少女の上体だけが見えた。
ゆっくりと、それでも確実な足どりで、伸縮の利く白い杖をついて、ランドセルを背負った少女が歩いてくる。
少女は、真剣な顔をしていた。
どう声を掛けるべきか。
遅かったんだな、それともやあとでも言うか?
似合わない。柄じゃない。そう思っている内に、少女は長門の前までやってきた。
「……」
結局、ああとかううとか言う、何だか分からない言葉になった。
少女は、気にしたふうもない。クラディスに挨拶をして、手早くランドセルを下ろすとベンチに腰掛けた。
少女は落ち着かない様子で、長門に聞く。
「掃除で遅れちゃったの。あたしが来るまでに、誰か来なかった?」
「いや、誰も」
長門の答えに、少女は沈んだ顔で「そう」と、頷いた。
自分が何か悪いことをしたような気分になる。