第一話 犬と王子様 13
長門ほどの腕を持つ殺し屋は、今現在凶悪犯罪が増えたと言っても、プロの殺しができるような人間のいない平和ボケした日本は勿論、本場のアメリカにもいないだろう。
長門が組織を抜けた穴は、まだ塞がっていない筈だ。
人を殺したのは、九才の時。
これは、殺しとも言えない。
ただ心臓に、弾を撃ちこんだだけだった。
父に命じられて、組織を嗅ぎ回っていたジャーナリストの止めを刺しただけだ。
他のメンバーから既に制裁を受けて虫の息だった男を長門の父は、彼が人を殺す初めての練習台に選んだだけのことで。
感慨一つ、抱かなかった。
長門は命じられた通り、父から渡されたコルトパイソンで男の胸を撃ち抜き、何事もなかったように銃を父の手に返したのだ。
それだけだった。
アメリカは、銃社会だ。
その気になれば子供だって銃を手にできるし、銃を使えばほんの小さな子供にだって人殺しはできる。
ただ人を殺すのと、仕事として人を殺すのは訳が違う。
知識と技術、迅速で大胆な行動。どれ一つ欠けても、完璧な殺しはできない。
組織に殺し屋として、初めて仕事を与えられた時には、長門は十一になっていた。
最初の内は当たり前だが、ちゃちな仕事ばかりだった。組織内の人間の制裁や同業者潰し、頼まれた一般人の殺し。
ただ数年と経たない内に、長門は要人暗殺を任されるようになる。
長門は、組織で最も若く、そして最も腕の立つ殺し屋となった。
いつしか長門は、組織にとってなくてはならない人材となっていたのだ。
それこそ、父の言う通りの人間に。
少女は何か考えるようにしながら、クラディスの頭を優しく撫でていた。
そう言えば、介助犬にはレトリバーがよく使われるとか。いや、レトリバーはレトリバーでも、あれはラブラドールか。
穏やかな顔を見せる少女を見ていると、案外犬と言うのも人間の役に立つらしいと思ってしまう。
それにしても犬には、人間を嗅ぎ分ける力もあるものなのか。綾瀬といい、巴といい。
長門はボトルに口をつけて、バーボンを一口啜った。
「あなたが、あたしの王子様だったらいいのに」
少女の言葉は突拍子がない。
今度は王子様ときた。
それにしても王子様とは。
王子様?
英国なんかの王子のことか。
不思議な顔をする長門の顔は、勿論少女には見えなかった。少女は説明ともとれぬことを、そのまま続ける。
「ここでね、会おうって約束したの。でも、私の王子様は来ないの。あなたが、私の王子様だったら良かったのに。いい人だったら、ちゃんと会いにきてくれるでしょう?」
長門は、やっぱり黙っていた。