ずっと傍にいられなくて、ごめんね。
満月が輝く夜空。無数に散りばめられた星たちはまるで宝石のように輝き、見上げる者を魅了する。そんな美しい夜空の下で、一人の少年と一人の女性が腕を組みながら夜の街を歩いていた。
鋭い目つきをしている少年――鎖美空は腕を無理矢理組まされたことで、そこに柔らかな感触と彼女――愛歌の甘い香りを嫌でも感じてしまう。そのせいで頬は赤く、心臓の鼓動もうるさい。
隣にいる愛歌はいまにも鼻歌を奏でそうなぐらい上機嫌で、彼女のことを盗み見する。青みがかった黒髪は腰まで伸ばし、切れ長い目は冷たい印象を与えるが親しい者には優しい眼差しをしてくれる。仕事着であるスーツの上からでもわかるほどスタイルはよく、指には指輪があるがそれは婚約指輪ではない。
アーティファクトと呼ばれる不思議な力が宿った道具で、使い方によっては世界を滅ぼしかねない。またアーティファクトもさまざまな形があるため、これである、と断言できる人はあまりいない。いるとすればアーティファクトを封じる一族の血を引く美空や彼の家族、それとアーティファクトを管理する一族である幼なじみぐらいだろう。
愛歌はアーティファクトを扱う側の人間なので、一目でわかってしまう慧眼を持っている。
「うー寒いよ、美空ちゃん」
冷たい夜風が吹き、愛歌はぐっと腕を組む力を強めたおかげで彼女の柔らかな肢体がさらにくっつく。四月の中旬は寒く、さっき吹いた風のおかげで咲き乱れる桜の花びらがひらひらと宙を舞う。
「だからと言って俺にくっつくな」
「だって、美空ちゃんけっこう温かいよ?」
年上の愛歌であるがたまにこうやって子供っぽい仕草をするから可愛く、つい見惚れてしまうときもある。しかも、だ。彼女は美空の家に住んでいて、たまに下着姿をのぞいてしまったり、偶然お風呂場で上がったばかりの愛歌を目撃してしまうから刺激が強すぎる。
成り行きとは言え、彼女と半年も同棲しているから親友にはからかわれたりしてしまうことも。愛歌とは恋人でもないが、こうやって傍にいられることがうれしいらしい。
「ねえ、美空ちゃん。わたしさ、あの時出会ってよかったな、と本当に思うよ」
「あの時……か。俺の幼なじみとたまたま一緒にいて、偶然出会えただけだろ」
愛歌とは幼なじみの仕事で出会い、たまに会話するだけの仲だったはずなのに彼女の住むアパートが火事で燃えてしまい、美空の家に暮らすことになった。美空の家には姉もいるが、彼女は異性が増えることがうれしい、ということであっさりと愛歌のことを認めてくれたのだ。
「もー美空ちゃんってどうしてひねくれているのー? これってもしかしたら運命なんだよ?」
「そ、そうだな……」
力説する愛歌の顔がグッと近づいたせいで、さらに頬に熱を帯びていくのを感じてそっぽを向いてしまう。
「あれかな? 美空ちゃん、そろそろ『お仕事』の時間だよ」
寂れた廃工場を見つけた愛歌はさっきまでふざけていた雰囲気ではなく、凛とした声で美空に告げる。名残惜しそうに組んでいた腕を解いた愛歌。美空はどこからもなく鎖を出現させていき、警告するようにわざとじゃらっと音を立てると廃工場の中から慌ただしい雰囲気を察することができた。
「この古手呂市で暴れようとするおまえらをまとめて叩き潰してやるよ」
「一般人に手を出す能力者とそこに関与する人たち、大人しくしていれば怪我しませんからね」
アーティファクトを発動させた愛歌と美空は廃工場から出てくる連中を鎖で縛り、殴り、相手を凍てつかせて――制圧した。
古手呂市だけではなく、世界に存在する能力者が一般人に犯罪行為を行った場合にはそれぞれ統治する組織へと連れて行く。警察とは違った組織――能力者を管理する場所へ。
能力者と呼ばれる彼らは生まれつき能力が使える先天的、または能力が開花する後天的がいる。
能力は人それぞれ異なり、美空の場合はアーティファクトを封じる能力を持つ。鎖を自由自在に操って相手を縛り、手足を貫いて動きを封じることもできる。
「これで『お仕事』終わりだね、美空ちゃん」
うめき声を漏らす男性たちには凍てつく視線を向ける愛歌は、相手が抵抗しようとした瞬間に警告するように生み出した氷の刃を落とす。ひいと情けない悲鳴を漏らす彼らに美空は同情しかねない。
「そうだな。とりあえずアーティファクトもいくつか回収できたし、こいつらの組織もこれで……」
終わる、と言いかけたときに一人の男性が叫びだした。
「終わりのはてめぇらのほうだ! てめぇらは俺たちに手を出してた以上、リーダーが黙っちゃいねぇぞ!」
「っは。そりゃ、ご苦労様だ」
「んだと……?」
鼻で嗤い、叫びだした男性の首に鎖を絡めていく美空は彼のことを睨みつける。
「俺たちがここに手を出したのは、おまえらのリーダーに用があるからに決まっているだろう? それにここは奴――原幸田の拠点の一つだ。まっ、あいつがいると思う場所を虱潰ししているから……そろそろ出て来ねぇとこっちは困るんだよ」
「美空ちゃん、それじゃあまたあの人にまさの悪役ぴったりのセリフって言われちゃうよ?」
愛歌にそう告げられた美空はすでに意識を失っている男性に興味をなくしたように絡ませている鎖を消し、恐怖に怯える連中に睨みつけると、ひいいとまた情けない悲鳴が零れた。
目つきが悪いおかげでよく不良に絡まれることや、小さい子供たちには目が合うだけで泣きそうになったり、クラスメイトたちには恐れられているほど。親友や幼なじみ、愛歌などはまったく気にされていないが、からかわれてしまうこともある。
「はあ……眠いな」
携帯で時間を確認すればもう深夜一時になっていて、愛歌は眠そうにあくびをする。明日は学校なのに、いつまでもこうしていられない。さっき愛歌が彼らを連れて行く組織に連絡したので、あと二十分ほどこの寒さを耐えないといけない。
「ねえ美空ちゃん、わたしのことをぎゅーっと抱き締めてもいいよ? ほらほら、美空ちゃんおいでよ」
「嫌に決まっているだろ、バーカ」
「むう。美空ちゃんがついに反抗期になっちゃったよ。あとであなたの部屋に隠している……え、えっちな本を取り上げるからね!」
えっちな、という単語を口にしただけで愛歌の白い頬に朱が帯びていき、美空はふざけんな! と抗議した。
「どうしておまえがそんなことを知っているんだよ!?」
「え、えっと……静ちゃんにこっそり教えたよっくんとしーちゃんのせいかな?」
つまり親友と幼なじみがエロ本の隠し場所を美空の姉に教え、さらにそこから愛歌へと伝わった、ということ。明日出会ったらあの二人に説教を……。
「美空ちゃんってけっこうマニアックなんだね……あう、恥ずかしいこと思い出させないでよ」
「愛歌、おまえ読んだな!? つーか俺は普通だ! あれはあのバカから借りたエロ本で……!」
「すなおに自分がしたことを認めてよ、美空ちゃん。よっくんのせいにするなんて最低だよ」
「違うって何度否定すればいいんだよ!?」
そんなおかしなやり取りをしている間に連絡した組織の者たちが来て、彼らはトラックの中に犯罪者たちを乗せていく。仲間を取り戻しに来るかもしれない、と警戒している組織の者たちはカモフラージュした車数台が同行している。
彼らが到着したので、美空たちも帰路に着くことにした。
廃工場の近くに来ていた青年はそれを見て、舌打ちをしてしまう。
「しょうがない……な。くく、それにしてもあの女けっこういい身体しているじゃん。いい声で鳴きそうだ。僕のを何度もぶち込んで、たっぷりと鳴いてくれないと面白くないからな」
下卑た笑みを浮かばせて、舌を舐めずさる彼は暗闇の中へと消えた。
古手呂市にある桜ヶ丘高校の周りには咲き乱れる桜の木々がいっぱいあり、風が吹く度に桃色の花びらが宙を舞っていく。桜ヶ丘高校は四月になると桜が咲き、それを三年間見るために通う生徒までいるぐらい。
新入生たちが入ったばかりで、学校に着いた生徒たちがそれぞれ穏やかな朝を過ごしていたが――美空が鬼気迫る表情でずんずんと歩くせいで一瞬にして壊れた。彼を目にした気の弱い生徒は涙目になってしまい、鬼すらも逃亡してしまうほど恐ろしい。
美空がそのペースを維持したまま、親友がいる教室に入ればそこにいる全員がこちらを向いて驚く。親友がいるか、と教室の中をぐるっと見渡すとそこに彼はいたので近づいて、ばんっと両手を机に叩きつける。
「ど、どうした美空。朝から怖いな、おまえ」
「誰のせいでこうなっていると思うんだよ!?」
線の細い顔立ちをした少年は納得したように、ああ、と口にしてまさに美空が怒っている原因について口にした。
「ついに愛歌さんにあのことがバレたか。あの人もうっかりさんだな」
「なにを他人ごとみたいに言いやがる、この野朗。おまえが俺に貸した『あれ』のせいで愛歌に誤解されたじゃねぇかよ!?」
「まーいいじゃねえか、それぐらい。マニアックも……そそるじゃないか!」
「おまえな……」
「触手がグラマスなおねーさんを拘束して、スライムがゆっくりと彼女の服を溶かして……。辱めの手始めとしては触手に敏感なところからでも……」
「おまえもう黙っていろよ!? 聞いているこっちが恥ずかしくなるだろうがっ」
親友の近くにいる男女たちは頬を赤らめている。つまり聞いてしまい、さらに想像してしまったということ。こうした張本人は周りの反応と美空の突っ込みに楽しんで笑っていた。
「そんで美空、凛々しい騎士と無口なお姫様どっちがいいと思う?」
「なんだよいきなり……」
「いいから答えてくれよ。どっちだ?」
またとんでもないことを考えている親友に、美空はため息をついて答える。
「俺からすれば凛々しい騎士かな。普段は厳しいけれど、二人きりのときに優しくしてしまう……ツンデレだから可愛いじゃないか」
「おっけー。今度は『騎士系』について貸すから楽しめよ」
にっこりと微笑む親友に美空の堪忍袋の緒が切れ、彼の胸ぐらを掴んでしまった。
「てめぇ俺をはめやがったな!?」
「いやいや。おまえがすなおに答えるから悪いだろう?」
「そうだな! 俺が悪いんだよな! だから今度貸してくれよ!」
開き直った美空に親友は当たり前だ! と親指立ててきた。もうこの親友にこうやって騙されるのは日常的なことでそれも悪くない、と思いながらも彼の胸ぐらを放す。
親友がいる教室ではこのようなやり取りはよくあることで、最近ではクラスメイトたちも慣れている、と美空は知らない。女子たちの間で二人は友情を超えた先についに愛し合う……!? などと想像を膨らませて、さっきの胸ぐらを掴むシーンで情熱的な口づけをすると考えた人など顔が赤い。
他愛もない会話をしていると、授業を知らせるチャイムが鳴ったので美空は自分の教室に戻ることにした。
またな、とお互いに別れの挨拶をして昼休みに来ることを告げておく。
いつまでも続く平穏な日常は、昼休みに愛歌から電話がかかってくるまで続いた。
昼休みになり、生徒たちは持ってきた弁当や購買でパンを買ったり、食堂で自分の食べたい物を選んだりして友人たちと一緒に過ごす穏やかな時間。
親友は自分の弁当を持って美空の教室で合流し、屋上で食べようぜ、と誘われてそこへ向かう。桜ヶ丘高校の屋上からは古手呂市を見渡すことができる場所の一つで、ここから昨日愛歌とともに『お仕事』した廃工場まで見える。
持参してきた弁当を食べていると、マナーモードにしている携帯がポケットの中で震えだし、相手を確認すると愛歌であった。美空が学校にいる時に愛歌が電話することなど滅多になく、何かあったのか、と出ると――
『よお、鎖美空』
聞いたことのない低い男性の声に美空は警戒しながら問いかける。
「誰だ?」
『こう言えばわかるか? 原幸田。おまえたちが探している人物だぜ』
「……で、どうしておまえが愛歌の携帯を持っている?」
『決まっているじゃねえよ。こいつを襲っただけで、ちょっくら携帯を貸してもらって要るんだよ。おまえには世話に鳴った部下がいるから……こいつの身体でたっぷり支払ってもらうぜ』
ぐつぐつと腹の底から怒りがあふれ、溢れそうになる感情を抑えて、奴――原幸田がいると思われる廃工場を睨む。
「まだ手を出してないよな?」
『ああ。まだな。おまえをぶっ倒して、こいつを陵辱してやるよ。さっさと廃工場に来いよ。お礼してやるからよ』
「わかった。逃げんなよ、この野朗」
通話を切った美空に親友にすまない、と謝罪すると彼は行ってこいよ、と返した。事情を説明しなくても、さっきの会話を聞いたせいか彼は追求することなどなかった。
「これでも使え」
いまにも屋上から飛び降りそうな雰囲気をかもし出していた美空に、親友が何かを投げてきたのでそれを掴むとバイクの鍵であった。
「これは……」
「おまえの姉さんが何かあったら使っていい、ともらった鍵だ。バイクの運転ぐらいわかるだろう?」
「どこにある?」
「学校の裏側だ。頑張れよ、美空」
学校の裏側には樹々があり、そこに何かを隠すにはうってつけの場所。バイクがある場所まで美空は一気に三階まで下りて、空いている窓から飛び降りた。
目撃した生徒は悲鳴を上げるが、美空は猫のように無事に地面へと着地。眼前に広がる樹々を前にして何本か鎖を展開し、目を閉じる。鎖はただアーティファクトを封じるだけではなく、物を探すのにも役に立つことができるが集中力が必要になる。
鎖を展開し続けていると目的のバイクをようやく発見し、迷うことなく走り出し――何もない場所に着く。が、美空の持つ鍵に反応したように何もない場所から黒塗りのバイクが現れ、姉が隠蔽のアーティファクトでも仕組んだことを知る。
「待ってろ、愛歌。おまえを助けに行くからな!」
鍵を差し込み、バイクにまたがった美空は爆音を奏でながら学校を飛び出した。
美空の親友は黒塗りのバイクで学校を飛び出す彼を見送り、悔しそうに歯を食いしばる。そんな彼にどこからもなく姿を現した少女――美空の幼なじみが隣に立つ。
「……しーちゃん。『また』手遅れになるのか?」
「……うん」
悩んだ末の肯定を受け取った彼は拳を強く握り締める。少女は彼がなにもできないことに悔しがっていることがわかっていて、この結末が『決まっている』ことさえ理解している。
「ちくしょう……! 俺はなにもできないのかよ……!」
「よーちゃん……」
いまにも泣きそうな顔をしていた彼だが、決意したように少女を見つめる。
「この結末はすでが『決まっている』なら、俺は変えてやる。干渉して、破壊して、あるべき『未来』をなくしてやる……!」
「……私もよーちゃんに強力するよ。こんな『決まっている結末』は私も認めない。『また』同じことを『繰り返させない』から」
少年と少女は最悪の『結末』になる前に動き出す。
廃工場までバイクを飛ばし続けた美空は二十分ほどで着き、堂々と下りて正面から乗り込む。奏でていた爆音により美空が来たことに気付いていた青年が拍手をしながら迎える。
金色に染めた坂立つ髪、どこにでいそうな平凡な顔つきをしているが目には狂気を宿していた。写真で彼を見たことがある。彼こそが原幸田。愛歌を襲った張本人。
「愛歌はどこにいる?」
「ちゃーんとこの奥にいるさ。気絶しているから安心しやがれ。……まっ、つい寝ているあの女の胸を揉んでしまったのはしょうがな――」
間合いを詰めた美空は握り締めた拳で幸田を殴り、踏ん張っていなかった彼は地面に倒れる。
「のこのこと俺の前に姿を現してくれるなんて、いい度胸じゃねえか!」
彼さえ捕まえればすべて解決する。鎖を出現させて、彼を拘束させようとしたときに違和感を感じた。いつもなら出るはずの鎖が現れず、おかしい、と感じていたときに幸田が高笑いをしながら――『鎖』を自分の周りに展開させていた。
くそ、と悪態をついた美空は彼が能力者であることを忘れていた。彼の能力は能力者から『能力を奪う』こと。けれども一時的に能力を奪われるが、能力者にとっては天敵。しかもだ、彼に能力を奪わせないためには幸田に触れなければいい。頭に血が上っていた美空はそのことを忘れ、幸田に能力を奪われた。
「僕に能力をくれるおまえってまさにバカだ!」
「黙れよ。おまえこそただ奪うことしかできないくせに。奪わなければ、おまえは一生なにもできないだろ」
「死んでわびろ、この糞ガキ!」
幸田が腕を前に出せば、従うように二本の鎖が矢の如く飛んでくるが美空は怯むことなく距離を詰めていく。貫こうとする鎖を冷静にかわし、幸田がもう一本出現させようとしてもうまくいかないのか、なかなか出てこない。
鎖に慣れていない幸田。だからこそ短期決戦で終える。あと一歩で握り締めた拳を彼の顔に叩きつけることができる、というときに幸田は情けない悲鳴を漏らしながら鎖を振り回した。
回避できず、美空は彼の振り回した鎖によって飛ばされてしまう。何回か地面をごろごろと回転し、ようやく止まった美空に幸田が嗤う。
「はは、なんだよ。能力が使えないおまえってどこにでもいる人間じゃないか。鎖一族の恥だな! はははっ」
「くっ……」
鎖を叩きつけられたところがじんじん痛むが、骨は折れていない。立ち上がった美空へと、幸田は鎖を鞭のようにしならせて振るってきたのをかわし、痛みを覚悟した上でそれを掴む。
「おおぉっ!」
すばやく飛来してきた鎖を掴んで、貫こうとしてくる二本の鎖へと振るい、落とす。二本も鎖を破壊したおかげで握っているそれは砕かれ、手は焼けるようにひりひりと痛む。
「なっ……」
「おまえには俺の能力は宝の持ち腐れなんだよ!」
鋭く踏み込み、反撃してくる幸田の鎖にかすめながらも彼の顎に強烈な一撃をぶち込む。地面に倒れた幸田は気絶していることを確認し、試しに鎖を出現させてみようとすると――うまく行った。
どうやら能力を奪う幸田が気絶さえすれば、もとどおりになることを知った美空は念のために彼の手足を縛ってから奥に向かう。廃工場の中は薄暗く、どこに愛歌がいるのかわからない美空は鎖を目を閉じて、あちこちへと展開させて探す。
愛歌のことを必死で探すと、彼女が近くにいることを知った美空がそこへ向かおうとして目を開くと――眼前に彼女が立っていた。無事であったことに安堵の息をつこうとした美空の頬に何かが勢いよく通り過ぎた。
頬から血が流れ、そこを手で拭うまで愛歌がなにをしたのか信じられなかった美空は彼女の名前を呼ぶ。
「なに……しているんだよ、愛歌。おまえを迎えに来たのに……なんで……」
「に……げて……み……そらちゃん………」
途切れがちに泣きそうな顔をしている愛歌の目から涙が流れ、彼女が腕を振るうだけで先が鋭い氷塊が生まれ、美空目がけての飛んでくる。息をつかせる間もなく連続で生み出される氷塊を出現させた鎖で叩き落とし、かわして彼女に呼びかける。
「どうしたんだよ、愛歌!? 俺がわからないのか!」
「わ……かっている……に決まって……いる……よ」
「あいつになにをされたんだ!」
「呪いが……こ……もった……アー……ティファクトの……せ……い……。どっち……か……死……ぬま……で……続く……から……」
距離を保ちながら愛歌を傷付けないようにしていた美空は、彼女から聞かされたことに言葉を失った。呪いのアーティファクトは普通のアーティファクトよりも絶大な効果を持つが、代償として自分の身体を死へと蝕む。
また愛歌のように対象を殺さない限り、呪いが解けないアーティファクトも存在し、それを解呪できる人物など存在しない。持つ者を呪うアーティファクトを解呪できる者がいたところで、愛歌は決して救われない。
どちらかが死ぬまで行われる殺し合い。そんなことなど美空も、愛歌も認めていない。
「嫌……!」
勝手に動く愛歌の身体は氷塊を打ち出すのをやめて、かわりに青く透き通る剣を作り出して斬りかかってきた。普段の愛歌とは思えないほど俊敏な動きと鋭く振るわれる氷の剣。
鎖で受け止め、弾き、かわしていく美空は愛歌が剣を振り下ろした一瞬に隙ができたところを狙って武器を握っている柄を蹴り上げる。宙に舞う氷の剣。美空はこの一瞬にすべてをかけて愛歌に鎖を巻きつけていくのに、身体に触れる前に凍てついていく。
「……あ?」
鎖同士の隙間から小さく鋭い棘が美空の身体に突き刺さり、空気のようにそれが消えると彼の身体から血があふれ出す。
「美空ちゃん……! いや、いや、いなくならないで……!」
呪いのアーティファクトの呪縛から解き放たれた愛歌は、灯火の如く消えていく美空の命を助けるために開かれた穴で氷でふさぐ。これで止血できたが失われた血は彼の制服に吸い込まれ、その量はけっして少なくない。
ぼやける視界の中で美空は愛歌が涙を流し、血に濡れることを構わないで傍にいてくれた。美空の手を頬に当てる愛歌は意識を途切れさせないために何度も彼の名前を呼びかける。すでに救急車に連絡をしたから、あとは美空がそこまで意識を保つか。
「ごめんね、美空ちゃん。わたしがもっとしっかりしていたら……!」
「泣くなよ。おまえは笑っていたほうが一番似合うからな」
「で、でも……!」
「笑ってくれよ、愛歌」
涙を流しながらも愛歌は美空に言われた通りに微笑み、彼は満足したように目を閉じた。
「美……空……ちゃん……? ねえ、美空ちゃん、冗談はやめてよ。わたし、まだあなたのこと好きって伝えてないんだよ!? ねえ、お願いだから起きてよ、美空ちゃん!」
必死に呼びかけて美空の身体を揺らす愛歌。彼の鼓動は止まっていて、もう二度と動くことはない。呪いのアーティファクト操られて、愛しい人を殺してしまった罪悪感に押し潰れそうになったときに彼らが来た。
「『また』同じ結末かよ……!」
「これだけは『避けられない結末』……そんなこと、許さない」
愛歌が振り返るとそこにいたのは美空の親友と彼の幼なじみ。彼らが言ったことを樹にしている暇などない愛歌は藁にもすがる想いで、願う。たとえ、叶うことができないことでも。
「美空ちゃんを……助けて、よっくん、しーちゃん」
「……ああ」
苦虫を噛み潰した顔で少年は肯定し、少女は懐から布に包まれた物を取り出した。開かれた布の中にあったそれを目にした愛歌は信じることができず、だけど美空の命を助けることができるからこそ躊躇うことなく手にした。
「一番辛い思いをさせることになるぞ、愛歌さん。あなただけじゃなくて、そいつにも……」
「わかっているよ。それでもわたしはやるよ。だって、美空ちゃんのことが好きだからね」
決意にあふれた愛歌の瞳に少年と少女はなにも言わず、彼は謝罪してその場から去っていく。追いかけるように少女も続く。彼はきっとこうなることを知っていたかもしれない。それなのになにもしなかったのは、きっと理由があったから。辛いのは愛歌だけではない。
美空が戻って来たらご褒美をあげないといけない。ご褒美をあげるために、愛歌は授かったそれを使う。
「戻ってきてよ、美空ちゃん」
海の如く深い青色の光が美空を包み込み――彼に再び命を与えた。
目覚めると、そこは見慣れた天井と薄暗い室内、隣には誰かの寝息が聞こえる。目を凝らしてみれば、そこにいたのは椅子に座って器用に眠る愛歌の姿。窓から外の様子をうかがうと夜空に星が輝き、静かな夜であることを知ることができた。
「俺は……どうして生きている……?」
呪いのアーティファクトのせいで殺し合うことになったはずの美空と愛歌。彼女の動きを封じようとしたときに、心臓に氷の棘が貫いたはずなのに美空はまだ生きている。どうして生きているのかわからない美空が考えていると、彼の気配を感じて目覚めた愛歌がぼんやりと目を開き――彼に抱きついた。
「あ、愛歌!?」
「よかったぁ、美空ちゃんが生きていてくれて本当によかったぁ……!」
抱きつかれて動揺していた美空は彼女が心の底から心配していたことを知り、安心させるために背中に腕を回して抱き締める。ここにいる、と示すように優しく抱き締めた美空。
「ねえ、美空ちゃん。あなたが何日寝ていたと思う? 二日だよ。その間わたし、すっごく心配したんだよ! 起きるならさっさと起きてよねっ」
抱擁を終えると、恥ずかしそうに頬を赤くしながらぷりぷりと可愛らしく怒る愛歌につい吹き出してしまう美空。そんな彼に愛歌は腕を抓る。
「よっくんが持ってきた本、よーく読ませてもらったからね、美空ちゃん」
「はあ!? おまえ、なに考えているんだよ!?」
「美空ちゃん? わたし、一言も『エロ本』なんて言ってないのにどうしてそこまで動揺しているのかな」
愛歌が見せてきたのは最近売れている文庫本で、失態をしてしまった美空が言葉にならないことばかり口にしていると、くすりと優しく彼女は微笑む。
「美空ちゃんってむっつりすけべさんなんだね。そんなに要求不満なの?」
「こ、これは男の性であって、俺ら男子にとっては当たり前なんだよっ!」
「そうだね。でもさ、当たり前過ぎるからこそ、些細な変化さえ気付かないことって……っ」
「愛歌? どうしたんだよ、急に」
苦しそうに胸元を抑える愛歌のことを心配する美空であったが、急に彼女がすばやく動いて彼の上に乗る。馬乗りにされた美空は抵抗する間もなく、愛歌に唇を奪われた。
ほんのりと温かくて、ふんわりとした柔らかい唇が美空のそれに重ねられていたが愛歌が離れるといたずらが成功した子供のように無邪気に笑う。
「美空ちゃんの鈍感。わたしの気持ちに気付かないから、こうやって気付かせてあげるしかなかったんだからね!」
「……なあ、愛歌。都合がいいかもしれないが言わせてくれよ」
「なぁに?」
「俺さ、おまえがさらわれたと知った時、すごく焦ったよ。それは当然かもしれないが……いま、こうやって冷静に考えるとおまえのこと好きだとはっきり言える」
「……都合がよすぎるよね」
ジト目で睨む愛歌に美空は嘘ではない、と教えるために今度は自分から彼女の唇に重ねる。ついばむように何度も優しいキスを繰り返し、馬乗りにされていた美空はそっと彼女の肩を押す。
逆らうことなく押し倒された愛歌は恥ずかしそうに目をそらし、覆いかぶさる美空に願う。
「や、優しくしてね、美空ちゃん……?」
「善処するよ、愛歌」
「んっ……。もう……美空ちゃんのバカ……。がっつかなくても、ちゃんと服脱ぐからね?」
もう一度唇にキスをした美空を落ち着かせるように、愛歌はシャツを脱ぐために彼にどいて欲しい、と頼む。美空もこのまま押し倒してしまう自分に恥じたのか、彼女に背を向ける。
布が擦れ合う音を聞いているせいか、それともこれから行う行為のせいか心臓はさっきよりも早く脈打つ。冷静になるために違うことを考える。
当たり前のようにいつも隣にいてくれた愛歌がさらわれたときは、焦燥感に駆られながらも必死で彼女がいる場所まで向かった。そうしなければ、愛歌がどこかへ行ってしまう、と感じていた。
だから、これからはもう二度と離さないために深い愛し合い、お互いの温もりを味わいながら肌を重ねる。
「じゅ、準備できたよ、美空ちゃん……」
振り返ると、紫色の下着に身を包んだ愛歌が白い肌を赤くしながら美空の様子をうかがっていた。大人っぽい下着は普段の愛歌には似合わないが、いまだけはとても似合っていた。つい目が深い谷間へと導かれるようにそこをじっと見てしまうと、愛歌が頬を膨らませて美空の腕をつねる。
「痛い、愛歌」
「せっかく勇気を振り絞ったのに、それはないでしょ美空ちゃん」
「悪い。……すごく似合っているよ、愛歌。おまえのこと、好きだ」
「不意打ちは卑怯だよぉ、美空ちゃん……わたしも美空ちゃんのこと好きだよ」
抱いている想いを告げた二人は唇を重ね、夜が明けるまで何度も愛し合い、お互いの情熱をぶつけ合って忘れることのない時間を過ごす。
太陽が昇る頃に目覚めた愛歌は隣で眠る美空の寝顔を眺め、そっと彼の頬を撫でる。まだ起きる気配はない、と察した愛歌はここから出て行く前に眠る彼の頬に口付けをして、そこから抜け出す。体内には彼と交えた名残りのせいか、少しだけ痛むものの歩くことには問題ない。
――ずっと傍にいられなくてごめんね、美空ちゃん。
なるべく音を立てないように着替え、あとはこの部屋から出ていこうとしたときに心臓が引き裂かれる、と錯覚するほどの激痛に襲われる。歯を食いしばって声を漏らさないようにシャツを噛んで、その場にしゃがんで痛みが過ぎ去るのを待つ。
原幸田と美空の会話をあの時聞いていた愛歌は、何もできなかった自分が悔しかった。『まだ』何もされていない、と幸田が美空に返していたがあれは嘘だった。すでに呪いのアーティファクトを使用されたあとで、その術から逃れることなどできない。
彼が愛歌に使用したアーティファクトは『愛しい者同士殺し合う呪い』。もしも、美空のことを好きにならなければ、彼に出会っていなければこうならなかったはずなのに。
呪いのアーティファクトをかけられた愛歌は彼の傍にいるだけで苦痛を感じてしまい、美空を『殺せ』と本能が囁く。普通ならば耐えることなどできないが、美空のことを心の奥から愛しているからこそ傍にいることができる。
「……ごめんね、美空ちゃん。わたしのせいで苦しい思いをさせるなんて、恋人として失格だよね」
この呪いを解かない限り永遠に彼の傍にいることなどできない。呪いを解く方法など『この世界』には存在しない。
「でも……わたしの呪いがなくなったら……ずっと傍にいさせて……」
泣きそうになりながらも、愛歌は部屋から出るまで涙を流すことはなかった。美空の部屋から出た愛歌は自分の部屋に向かい、必要最低限の物を揃えていつも仕事する時に着るスーツに着替えて一階へと下りる。
「……昨日はお楽しみだったみたいね、愛歌」
居間を通り過ぎるときに、ソファーに座ってテレビを見ていた女性がからかうように問いかける。どちらも顔を合わせることなく会話をしていく。
「うん。すっごく楽しかったよ」
「……まあ、ここまで聞こえるぐらい二人共激しかったしなぁ。私もさすがに引いたよ」
「し、静ちゃんのいじわるっ!」
顔を真っ赤にして、美空としたことを思い出した愛歌は声を潜めて彼女と最後になるやり取りをする。
「くくっ、まあいいじゃない。――事情はちゃんとあの二人から聞いたから行ってきな。私はいつでもあなたのことを待っているから――『いってらしゃい』」
「『いってきます』。それと本当にありがとう、静ちゃん」
挨拶を交わした二人は結局、最後まで顔を合わせることなどなかった。どちらも泣き顔を相手に見せたくなかったから、二人はあえてこの方法で挨拶を交わすしかなかった。
そして、愛歌は『この世界』から姿を消した。
この作品の続きはいつか書こうと考えております。
いま執筆中の作品を書き終えたころにまたやりたいと思います。