魔女
屋敷に戻ると、マリカの両親が、今まさに扉を開けようとしていた。
「おお! マリカ無事でよかった。すぐに帰るぞ」
カイはマリカの腕を掴み、そのまま外に出ようとした。
「ちょっと止めて! 父さん! どうしたの急に」
「こいつらは昨日、ドラキュラの犠牲者を見たそうだ。こんな所にいたら、いつ襲われるかわかん」
「ドラキュラが居るって話は、来る前から分かってたことじゃない!」
「こいつらは死体のそばに居たんだぞ。ドラキュラに顔を見られているかもしれない」
カイの言葉に、レオの母が反論した。
「その心配は多分ないですよ兄さん。死体はすでに腐敗していたそうですから。ドラキュラはもう死体から離れていたと考えるのが自然でしょう?」
「お前は黙ってろ! よくそんな言葉が使えるな! せめて遺体と言えないのか」
そう言い残すと、カイは妻と娘をつれて、屋敷を出て行った。
カイと入れ違うようにして、一人の男が入って来た。家庭教師のヴェリだ。
「今、すごい怒っている家族連れとすれ違ったんだけど、あれ誰だい? この屋敷に通じる道ですれ違ったから、多分知ってると思うんだけど」
「私の兄です」
レオの母サラが静かな声で答えると、今までの経緯をかいつまんで伝えた。
「今から帰るんですか? 船で川を登るんでしょうが、帰る途中で暗くなっちゃいますよ」
(危ないですよ、心配ではないんですか?)という思いを込めて行ったセリフだったのだが。サラは、客観的事実に同意するかのような口調で
「そうですね」
と答えただけだった。
「う、うーん」
どう会話を続けていいか困る家庭教師に、レオが話しかけた。
「今日はどうされたんです? 先生? お祭りの日に勉強ですか? 私は構いませんが、先生はお祭りに行かなくてよろしいのですか?」
「ん? 俺かい? 俺は元々この土地の人間じゃないし、お祭りにはそれほど興味無いよう。今日はこいつのことが心配で見に来てやった」
教師はレオの父親を指さした。
「あと、ついでにお前の様子もな。昨日は怖い目にあったんだってな。さすがのお前でも肝を潰しただろ」
「ええ、まあ」
レオは曖昧に返事をした。
ヴェリはアイロスの旧友であり、錬金術師仲間だった。
アイロスはは自分の職業のことを「錬金術師、つまり医者と手品師と詐欺師を足して3で割ったような職業」と言い表していた。
今は、とある有力貴族の医者としての地位に落ち着いているが、昔は旅をしながら、「効果があると信じて飲めば効果がある薬(効果がないのは信じなかった患者が悪い)」や「死ぬ直前に飲めば若返ることのできる薬(残念ですが飲むのが早すぎたようです)」を売って歩いていたらしい。まじめに医者を始めたのは結婚した後だ。
ヴェリの方は未だに詐欺まがいのことを続けている。彼がハイユ家を訪ねてくるとすればその理由は2通り考えられる、一つは、金に困ったので家庭教師という名目で金を貰いに来たか、あるいは……
「魔女の薬草を分けてもらいに来た」
一通り当たり障りのない会話をしたあと、ヴェリは本題を切り出した。
「どの薬だ」
アイロスはやや鬱陶しそうな口調で返した。
「3つ欲しい。血液凝固抑制剤、麻酔薬、炎症止め」
「何に使うつもりだ?」
「そこは商売上の秘密」
「量によっては病死の偽装にも使える薬だ、気軽には渡せん」
「そう言うなよ、お前だって昔は似たようなことをやってたじゃないか。昔の好だ! 頼むよ」
アイロスは、ため息をついて妻に言った。
「すまないが、薬を分けてやってくれないか」
「分かりました」
サラから小瓶を3つ受け取ったヴェリは、上機嫌で帰っていった。
その日の夕食でミーナは父に尋ねた。
「父様、どうして母様は魔女って呼ばれるんですか」
アイロスは言葉を選びながら答えた。
「サラは薬草についてとても沢山の知識を持っている。それ自体は素晴らしいことだ。でもねミーナ、世の中では変わり者というのはなかなか受け入れられないものなんだ」
父の回りくどい言い方に、レオは苦笑を浮かべた
「母さんは、薬の効果を確かめるために、犬や猫を何匹も殺してるんでしょ。変わり者ではすまないと思うよ」
「今の話は本当ですか!?」
ミーナは兄の袖を引っ張った。
「本当だよ。もちろん、無駄に殺したわけじゃないけどね」
レオの言葉を継いでアイロスが説明した。
「薬の致死量を調べるための実験だよ。薬は量が多ければ毒になるからね。どの量まで耐えられるか調べる必用があるんだよ」
「そういえば、動物で調べた致死量って人間にも当てはまるの?」
レオの質問を聞き、アイロスも首を捻った。
「うーん、どうかな……」
「ネズミ、猫、犬で比較すると、致死量は概ね体重に比例するの、だから動物の致死量で人の致死量も概算できるわ」
夕食が始まってから初めてサラが口を開いた。普段あまり喋らない人間が口を開いたため、驚きで食卓に一瞬の静寂が訪れる。その静寂を破ったのはミーナだった。
「母様はどうして、そういうことをやろうと思ったんですか?」
「興味があったから」
サラは淡々とした口調で答えた。
「それだけですか!? 周りの人から変な目で見られても平気なんですか?」
ミーナの質問の意図を理解できず、サラは首をかしげた。
「周りの人の目と、私の好奇心になんの関係があるの?」
咬み合わない会話に、アイロスは昔の自分を思い出していた。
「サラにとっては周りの人のことなんてどうでもいいんだよ。なぜかは私にも分からないがね。代わりに、物や自然に関することへの関心はすごいけどね。レオと一緒だよ」
「僕と?」
「自覚してなかったのか? サラから薬草について色々教わっているだろ。弟子と認められたんだよ」
「……母さんほどじゃないよ」
レオがしかめっ面で答える。
「死体を見た時、恐怖より先に好奇心を感じたんじゃないのか?」
自分の内心を言い当てられ、レオはドキリとする。
「そういう所は間違いなく、母さん似だ。苦労することも多いだろうが、常識や自分の命より、好奇心を大切にする人間が社会には何%か必要だ。いずれ、お前も……」
ドアがノックされた。
屋敷の戸口には、一人の盲目の男性が立っていた。レオは客人が、昼間出会った人形使いだと気づいた。彼もまたレオの存在に気づいたようだった。
「おや、君の家だったか。昼間は妹さんに悪いことをしたね」
「レオ、なんの話だ」
困惑しつつもレオは父の質問に答えた。
「昼間、祭りで出会いました」そして、客人に尋ねた。「よく、私のことがわかりましたね。私はまだ声を出していないのに」
客人は笑みを浮かべて答えた。
「不思議だね」
そして客人はアイロスに言った。
「夜分遅くにすいません。改めまして、アッランともうします。祭りで人形劇を上演していたのですが、気づけばこんな時間になってしまっていました。
もしよろしければ、一晩止めていただけないですか?」
「街からここまで歩いて来たのですか? わざわざ?」
アイロスが疑問に思ったのも無理からぬことだった。レオたちの屋敷は町外れにある。祭りの中心からここに歩いてくるまで、民家はいくつもあったはずだ。
「途中で何度かの扉を叩いたのですが、だれも迎え入れてくれませんでした。例のドラキュラ騒ぎで皆さん警戒しているようです」
アイロスは大きく頷いた。
「なるほど、それは大変でしたね。どうぞお入りください」
招き入れられてアッランは意外そうな声で尋ねた。
「最近、ドラキュラに殺された人間を見たというのに、随分と気軽ですね」
「まあ、あなたがドラキュラでないことは明白ですから。昼間祭りにいたのでしょう?」
「ええ、そのとおりです」
アッランが答え、レオやミーナも頷いた。陽の光を浴びて平気な人間をドラキュラと疑う必要はない。
その後、レオたちは客人とともに、夕食を囲んだ。子どもたちは夕食が終わるとすぐ、2階の寝室に向かった。