祭り
死体が揺れていた。
小太りの男が木から吊るされている。切断された両足から流れ出した血は地面は赤黒く染め、あたりに漂う腐臭が目と鼻の粘膜に染みこんでくる。
「すぐにここを離れるぞ! レオ! 何をしている? 急げ! ここは危険だ」
死体の前には親子がいた。子は弓と矢筒をもっており、父親は戦利品であるウサギを持っていた。
父の名はアイロス・ハイユ、子の名はレオ・ハイユといった。
レオは知りたかったのだ、この死体を作ったのは本当にドラキュラか、それともドラキュラのふりをした殺人鬼によるものかを。死体に近づいて確かめようとしたが……
「早くこい!」
アイロスはレオの腕を掴んだ。
「でも……」
「いいから来い!」
レオはそれ以上、その場にとどまることが出来なかった。
アイロスは、レオを屋敷に届けるとすぐ、死体のことを伝えるため街に向かった。レオは体を洗ってくるよう母から言われた。腐臭が染み付いていたためだ。
浴室に向かう途中、後ろから小さな足音が聞こえてきた。
「兄様!」
妹のミーナだった。
「もー、帰ってきていたなら声をかけてください! 狩りの成果はどうでしたか?」その時ミーナは異変に気づいた。
「どうしたんです? その匂いは……」
「人の死体の匂いだよ。同じ肉の塊なのに、なぜか人の死体だけは独特の匂いがするみたいだね。今日はじめて知ったよ」
「死体?」
ミーナはゆっくりと兄の言葉を繰り返す。
「もしかして、あの……」
”ドラキュラ”という言葉は発しなかった。その言葉を口にすること自体恐ろしい、というかのように。
「大丈夫だよ、被害にあったのは一人で山に入った人ばかりだ。ミーナが怖がる必要はないよ」
「でも、兄様や父様は……」
「もう狩りには行かないよ。命をかけるほどの趣味ではないし」
「ホントですか?」
「ああ」
「今朝も私は行かないでって言いました。なのに……」
ミーナは少し拗ねた口調で言った。レオは苦笑しながら答えた。
「すまない。忠告を聞くべきだったよ」
それは、レオの本心からの言葉だった。
「ずっと一緒にいてくださいね?」
「ん? 一緒に?」レオはミーナの言葉に少し自分が勘違いしていたことに気づいた。
「なんだ、心配してくれているのかと思ったが、母さんと二人で留守番しているのが怖かっただけか」
「ち、違いますよ! 確かに怖かったですけど、兄様のことも心配していました!」
レオはクスクス笑いながら答えた。
「ああ、分かった。心配してくれて嬉しいよ」少し雰囲気が明るくなった所で、レオは話題を変えた。
「明日の準備は出来ている? マリカに会うのを楽しみにしていたようだけど」
「はい。新しい帽子をかぶっていこうと思っています」
(従姉妹のマリカの話題をふったのに帽子について答えた。よほどその帽子のことが気に入っているんだろうな)。
翌日、アロネン一家がハイユ家にやってきた。首都で行われる聖樹祭に参加するためだ。
「ミーナちゃん!」
玄関ホールで、マリカはいきなりミーナに抱きつく。
「む!……、え!」
ミーナは困惑しつつ、兄に視線で助けを求めた。レオはいつものことなので無視する。
大人たちもまた、いつものように、険悪な空気を漂わせていた。
「いい家だな」マリカの父カイが口を開いた。
「ありがとうございます」アイロスが答える
「礼を言う必要はない。詐欺で稼いだ金で買ったにしてはという意味だ」
「あなた! 子どもたちの前ですよ」
妻に指摘され、カイは鬱陶しそうな顔で3人の子どもたちに言った。
「先に祭りへ行って来なさい」
「はい」
マリカは慌ててミーナの手をとると玄関のドアへ向かった。
二人が玄関のドアを開ける直前、後ろから走ってきたレオが、ミーナの頭から帽子を奪う。
「あ! 返して!」
レオはドアを勢い良く押し開け右に向かって走っていった。ミーナはすぐに後を追いかける。ドアをくぐり、右に曲がって兄を探す。しかし……。
「あれ?」
すでに兄の姿はなかった。
「あれ! レオは?」
一緒に追いかけてきたマリカもレオ見失っていた。ハイユ家の屋敷は森の近くに立っている。だが、玄関から人が隠れられる茂みまでは100歩ほどはある。全力で走っても10秒はかかるだろう。
「兄様……。どこ?」
不安がるミーナの背後から手が伸びてきて、その頭に帽子を置いた。
「レオ!」
レオは二人の後ろにいた。
「どこに隠れてたの!?」
「そこ」
レオは開け放されたドアと壁の隙間を指さした。
「意外と気づかれないものだね」
「もー、なんでこんなことするんですか!」
「ごめん、ごめん」
ミーナをなだめながら、3人はゆっくりと祭りが行われている街の中心部へ向かって歩いて行った。
街に入ると、露天や楽器の音、そして笑い声が3人を出迎えた。露天めぐりをしている途中、狩り大会に出品するのか、イノシシを担いで歩く人とすれ違った。
「そういえば、レオも毎年狩り大会に参加してたよね。今年の獲物は?」
「今年は出品しないよ、ウサギくらいしか取れなかったから」
狩りという言葉で昨日のことを思い出したミーナは、少し怒った口調で二人の会話に割って入った。
「獲物が取れないからって、ドラキュラのいる森に狩りに行ったんですよ。アタマおかしいです!」
その言葉を聞いてマリカの顔は険しくなった。
「ドラキュラがいるかもしれない森に入ったの?」
「うん。死体を見つけてすぐに引き返したけどね」
「死体って? ドラキュラに殺された!?」
「多分ね。そういえばまだ話してなかったね」
「よく、今日お祭りに出る気になったね。私なら怖くて2・3日部屋にこもっちゃうよ」
「そうかなー」
マリカは諦めたようにため息をついた
「そういう、少しずれた所があるのは、おばさん似だね」
「母さんに? 確かに僕は魔女と呼ばれた母さんの血を引いてるけど、あそこまでじゃないよ」
「あ! ごめんそういう意味じゃ……」
口ごもるマリカを見て、レオは慌てて言葉を付け足す。
「分かってるよ。それに僕は魔女って言葉を蔑称だとは思ってない。母さんの薬草の知識には何度も助けられたからね」
「そう……、でもやっぱり謝らせて。ごめんなさい。父さんのことも……」
「おじさんの事まで、マリカが謝らなくていいよ……。あれ、ミーナは?」
気づくとミーナは二人の間を離れ、道端で上演されている人形劇を見ていた。
人形劇は、地面に布を敷いただけの簡単な舞台の上で上演されていた。人形を操るのは木の椅子に座った一人の男性。歳は30歳くらいだろうか。目が見えないらしく、両目を包帯で覆っていた。
男は指先に糸のついた手袋を両手にはめ、垂らした糸で人形を操っていた。
単純な仕掛けだが、男の技術によって、人形は生きているかのようにその役を演じていた。演目はドラキュラの物語。レオやミーナたちが何度も聞いたことのある物語だった。ドラキュラに家族を殺された者が復讐を誓い、地下に隠れていたドラキュラに戦いを挑む。最後はあわや殺されそうになるが、朝日を浴びたドラキュラは灰になって消え去る。
ミーナは声をかけるのをためらわせるほど、その物語に見入っていた。レオとマリカはミーナの左右に立って、一緒に劇を見始めた。主人公が殺されそうになるとき、ミーナはマリカの腕にだきついた。
「大丈夫だよ。ドラキュラは最後必ずやられるから」
レオの声を聞き、ミーナは少し安心の色を見せた。
物語のクライマックスで、ドラキュラは朝日を浴び消え去った。普段ならそこで話が終わるはずなのだが、男は人形を付け替え、新たな幕を開始した。
ミーナは不思議そうな顔で、人形たちの演技を見続けた。
その幕ではドラキュラを倒したあとの主人公が描かれていた。結婚し幸せな生活を送る主人公の姿。だが、劇の最後で主人公は唐突に妻を殺し、その血を啜りはじめた。
「哀れ、男はドラキュラになってしまった。戦いで受けた血は彼の中で増殖し、内側から怪物に変えてしまったのだ。もはや彼に平穏の日は訪れないだろう。だが、彼は幸せであった。人の理から開放され、吸血という新たな喜びを手に入れたからだ。
新たなドラキュラは獲物を求め、旅を始めた」
そう言って、盲目の男は劇を終えた。
ミーナは泣きだした。劇を見ていた他の人々も大人を含め、困惑と不満を顔に浮かべていた。
「悪趣味な改変ですね」
レオは盲目の男に言った。
「子供には刺激が強すぎたかな?」
男は優しい声で答えた。
「少なくとも、後味の良い終わり方ではありません。失礼します」
レオはミーナの手をとってその場を離れた。
ミーナがいつまでも泣き止まないため、来たばかりだが、一旦家に戻ることにした。
帰る途中、マリカは
「怖かったら、途中で見るのをやめてもいいだよ? 次からそうしようね」
と話しかけた。
ミーナは
「見るのは怖いですけど、見ないのはもっと怖いんです。目を話すと、私の見ていない所でもっと怖いことが起きている気がしてきて……」
と答えた。
最初の山場が来る3話目までは、週1のペースで投稿していく予定です。その後は執筆の進捗次第。