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天の詩  作者: 市尾彩佳
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5、郷愁の夢(もしくは「故郷へ帰ろう」)

 ──テルル!

 高めで柔らかい響きの、女の人の声が呼ぶ。

 ──テルル!

 低くて力強い、男の人の声が呼ぶ。

 なつかしい、両親の声だ。


 気付けば、テルルは草原を走っていた。

 ここは山の斜面の牧草地。広い広い囲いの中、“テルルの背丈ほどもある”羊たちが、あちこちに散らばって思い思いに草を食んでいる。

 羊たちの間を縫って声のしたほうへ走っていくと、大きくて力強い手がテルルを“身長の倍以上高く”掲げた。

 ──また牧草地に出て! 危ないからダメって言ったでしょ?

 ──へーきだもん! 羊たちはのんびりしてるから、走ってきても追いつかれないもん!

 見下ろす両親の顔は、どちらも霞んでいて、笑顔なのはわかるけれど顔の輪郭ははっきりしない。

 ──牧羊犬に追われている時の走りは、羊たちの本気の走りじゃない。怖がって走り出した羊たちには、父さんだって追いつけないぞ。それに、羊の後ろ蹴りはものすごく強いんだ。蹴られたら骨が折れて、ひと夏中ベッドで過ごさなくちゃならなくなるぞ。

 ──やだ!

 ──折角山まで遊びに来たんだから、遊べなくなるのは嫌だろう? ほら、おまえが乗りたがっていた子馬がいるから、乗せてやろう。

 ──やったぁ!



 ……



「……い、おい、テルル、起きろ!」

 怒鳴り声とともに大きく揺すられ、テルルはここが夢なのか現実なのかわからなくなる。

「ん……父さん?」

「──っ! 誰がおまえの父さんだ! 寝ぼけてないでとっとと起きろ!」

 毛布を引っぺがされそうになったところで完全に目が覚め、とっさに毛布にしがみつく。

「な──にすんのよ! ズボン履いてないから生足なんだってば! 痴漢する気!?」

 引っぺがされそうになった毛布と一緒に上半身が半ば起き上がっていたテルルは、アルパインが手を離した途端勢いよくベッドに沈む。

「……たぁ」

 うめいて顔をしかめると、アルパインは不機嫌そうな顔をしてテルルの顔を見下ろした。

「とっさにそれだけのことがわめけるなら、もう完全に目が覚めたな? 今日はやることがたくさんあるんだ。着替えて忘れ物がないよう確認して、それから下に降りてこい」

 言うだけ言って、とっとと部屋から出ていってしまう。


 テルルはドアが音を立てて閉まった後、たっぷり間を置いてから、のろのろと体を起こした。

「“忘れ物がないよう確認して”なんて、保護者ヅラしないでよね……」

 本人にはまず言えないことをぶつくさ言いながら、テルルは畳んでベッドの端に置いておいた服を引き寄せ、アルパインから借りたシャツを頭から抜くようにして脱ぐ。

 昨日古着屋で手に入れた少年服をかぶりながら、テルルはぼんやり夢を思い出していた。


 あれは5歳の時だっけ? 初めて夏の牧草地へ遊びに行った……。

 夏は羊などの家畜にたくさん草を食べさせるため、父は牧羊犬に家畜を追わせながら山に登る。

 一度山に登ると秋まで帰ってこない父に、母は何度か差し入れを届けに行っていた。

 初めて上った山から見下ろす景色に興奮し、大きくなったら羊飼いになると言ったら、両親が笑ったのを覚えている。

 あの頃は、あんな日々がいつまでも続くと思ってた──。


 着替えを終え、忘れ物がないか確認して、それから階下の食堂に降りた。

 食堂には、朝食を食べる男の人たちの姿がちらほらあって、みんな隣の席に大きな荷物を置いて、わき目もふらずせっせと口の中に詰め込んでいる。

 テルルが階段を最後の一段まで降り切ると、食事の用意をしているマスターとカウンターの席に座って話し込んでいたアルパインが、テルルのほうを向いて「よっ」と手を上げた。

 近寄ったテルルが借りていた服を差し出すと、アルパインは隣の席に置いていた荷物にそれをしまい、立ち上がる。

「それじゃマスター、朝メシは向こうの席でもらうから」

「あいよ。ったく、昨夜は変な注文しやがって。犯罪まがいな手伝いはあれっきりだからな」

「犯罪なんかじゃねぇって。家出人の確保ついでに、ちょっと怯えさせてお灸をすえてやろうと思ってさ」

 それを聞いたマスターは一瞬息を呑み、それからおそるおそる声をかける。

「……おい、そんなちっちゃな子を襲ったなんて言わねぇよな?」

 顔は童顔、背も低いとくれば、誰も実際の年齢通りには見てくれないけど、今はそんなことどうでもいい。

「そんなことされてません!」

 口を開きかけたアルパインより先に、真っ赤になったテルルが大声を上げて否定する。するとマスターはあからさまな安堵のため息をついた。

「そういうことならいいんだが……」


 “そういうこと”って何……?


「ぼーっと突っ立ってないで早く来いよ」

 意味がわからずぽかんとするテルルに、テーブル席に移動したアルパインが声をかける。

 我に返ってアルパインの前の席に移動すると、昨夜給仕してくれた女店員さんが朝食を運んできて、ほっとしたように笑った。

「その様子なら、安心してもよさそうね」

 昨日と打って変って朗らかな店員さんにちょっと唖然としていると、パンとチーズやソーセージなどが盛られた皿やスープをテーブルに並べながら話し始める。

「彼、久しぶりにウチに寄ったと思ったら、“亜麻色の髪の少年の恰好をした女の子が来たら、自分がいることは内緒で、部屋を貸すフリをして自分の部屋に案内してきてほしい”って言うんだもん。彼の言う通りあなたがくるし、予言師にしてはその証拠を見せないし。何でこの子がウチを選ぶってわかったの?」

 早速朝食に手を付け始めていたアルパインは、店員さんに尋ねられて、口の中の食べ物を呑みこんでから答える。

「こいつの好きそうな匂いがしたからね。飯の匂いにつられて入ってきて、ついでに部屋があるか尋ねると思ったんだ」

 “それってあたしが食い意地張ってるって意味!?”と怒ってやりたかったんだけど、その前に 店員さんは空になったトレイを胸元に抱えて、「ははぁ」とつぶやきながらにまにまとアルパインとテルルを交互に見る。

「行動パターンが読めちゃうほどの仲なのね、あなたたち」

 テルルはとっさに叫んだ。

「ちっ、違います! 単に付き合いが長いだけでっっ」

「やっぱり付き合ってるんじゃない」

「そーいう意味じゃないんですうぅ!」

 喋ればしゃべるほどドツボに嵌まり、テルルはテーブルの上で頭を抱える。

 “そういうこと”の意味もわかった。付き合ってるなら問題ないって、マスターも思ったのだ。


 テルルは頭を抱えるほど困ったのに、アルパインは誤解されても全然平気そうだった。

「ほら、急がなくてもいいけど早く食べろよ。通りの店が開いたらすぐに、必要なものを買い集めなきゃならないんだからな」

 言ってることが矛盾してると思いながら、テルルは恨みがましい目でアルパインを見る。

 自分だけ落ち着いちゃって……どーせ誤解されたって“ヘ”でもないんでしょうよ……。

 自分ばっかりおろおろわたわたしてしまったのが、何となく面白くない。


 アルパインが食事に専念しはじめたので、テルルも追いつこうと、懸命に食事を頬張った。

 その間、暇になった頭には、今朝見た夢が再び巡る。

 思い出せば、なつかしさに胸が締め付けられる。

 二度と戻れない故郷、二度と会えない両親のこと。


 不意に食べる手が止まったテルルに気付いたアルパインが、のんびり飲んでいた食後の飲み物をテーブルに置いた。

「どうした?」

「……あたし、故郷の村に帰ってみたい」

 寝てる最中に考えごとなんてできないと思っていたけれど、テルルの心ははっきりと目的地を示していた。

 夢は自分に正直だ。夢に故郷の思い出を引き出されて、帰りたいという思いで溢れてくる。

「帰ったところで、知り合いと会っちゃいけないのはわかってる。あたしは、故郷では死んだことになってるんでしょ? 貴族の馬車にはねられて死んで、その貴族がお詫びに両親にお金を渡したことになってるって」


 それが決まり。【予言の者】を守るため、【予言の者】の家族を守るため、肉親の縁は断ち切らなくちゃならない。

 でも、心の縁までは断ち切れない。つらいから忘れようとしたけど、テルルにはどうしてもできなかった。

 自由になれたんだから、一目でもいい、両親に会いたい。


 反対されること覚悟で言ったのに、アルパインはあっさりと答えた。

「ここから馬で2日の距離だが、おまえ馬に乗れないから、もうちょっとかかるだろうな」

 ちょっと馬鹿にしたような言い方にカチンときて、テルルはとっさに言い返す。

「小さい頃、子馬になら乗ったことあるもん! てか、乗合馬車は使わないの? ……それで、ホントにいいの?」

 信じられない思いで遠慮がちに最後の問いを付け加える。

 絶対反対されると思ってたのに、アルパインは実にあっさり許可した。

「名乗り合わなきゃ、たとえ道端でばったり会ったとしても問題ないさ」


 両親に会える──!


 テルルは喜びのあまり、アルパインに抱きついてお礼を言いたくなる。

 が、席を立ちかけたその時、彼は得々と話し出した。

「それはいいとして。子馬と馬じゃ勝手が違うし、ブランクが長過ぎ。乗合馬車は今後一切使わない。──あと、おまえが故郷に帰りたいって言い出すのはわかってたからな。昨日はわざわざ、おまえの故郷方面に向かう乗合馬車を選んでやったんだ。そうじゃなきゃ、もっと日数がかかってたところだ。感謝しろよ?」

 嫌味ったらしい笑みを浮かべるアルパインに、テルルは思わず怒鳴っていた。

「だったら尋ねたりなんかしないで、昨夜そう言えばよかったじゃない!」

 何が“一晩寝ながらよく考えろ”よ!

 恩着せがましい言い方にも腹が立つけど、何から何まで先読みされたことが実に面白くなく、テルルはむくれながらまだ半分以上残っているパンにかぶりついた。

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