3、護衛隊長推参
目に少しかかるくらいまで伸ばした藍色の髪に、青色の瞳。眉がきりりと上がり顎のラインが鋭角な、精悍な顔立ちをした二十歳少し前の青年。
見覚えのある人物を目の当たりにして、テルルはわなわな震えながら指を差す。
「あ、あ、あ……」
驚きすぎて言葉が出ないテルルに、壁にもたれて腕を組んでいた青年は「よっ」と軽く手を上げた。
それを見たのを弾みに、テルルは大声で叫ぶ。
「何でこんなところにいるのよ、アルパイン!?」
「何でって、そりゃあおまえの護衛隊長だから」
青年──アルパインはあっさり答えると、壁から離れてテルルに近寄ってくる。
テルルが今閉めたばかりの扉を開いて逃げようとすると、先にドアノブを押さえて扉の前に立った。
アルパインは、勢い余ってぶつかったテルルの耳元にささやく。
「逃げてもいいけど、日も暮れた今から追いかけっこするのはおまえも面倒だろ? そういう訳で、ひとまず諦めろよ」
「“ひとまず”っていうけど、明日になったら逃がしてくれるの?」
警戒しながらそろそろと距離を置くテルルに、アルパインはにっと不敵な笑みを漏らす。
「いいや」
この自信満々な様子からして、今までの経験上、彼が不首尾に終わることはないと身にしみてわかっている。テルルはげっそり脱力して、よろよろとベッドの一つに近寄った。
ベッドの端に腰を下ろすと、テルルはのろのろとアルパインを見上げる。
「逃げ切れたと思ったのに……。てか、何で追いついて来れたの? あたしが逃げた時、あんた神殿にいなかったじゃん」
アルパインは、もう一方のベッドに腰掛けながら答えた。
「神殿の中にはいなかったけど、神殿のすぐ外にはいたんでね」
「え? どういうこと? いつもの修行じゃなかったの?」
アルパインは【予言の娘】を守る護衛隊の隊長を務めながら、神殿で警護してるだけだと腕がなまるからといって、頻繁に修行の旅に出掛けていた。
今回逃亡計画を実行に移したのも、一番手ごわいアルパインが旅に出て三日目のことだったからだ。いつもどこで修行しているのか知らないけど、一旦出掛けると一週間は帰ってこない。だから神官たちがテルルの夫を決める話をこそこそしてるのを聞きつけた夜、逃げるのは翌朝しかないと思ったのに。
「おまえ、最近巡礼者から、髪一筋と引き換えに巡礼服を手に入れただろ。髪の毛一筋で服一式差し出すんだから、信者っていうのは気前がよ過ぎるよな。──ってそれは置いておいて。だから近いうちに神殿を抜け出すつもりなんじゃないかと思って、街中で待機してたんだ。そしたらホントに抜け出すんだもんな。しかも白昼堂々正面から。上手い手だったよ。人がごった返してたせいで、門衛も神官たちも、誰一人として気付かなかったんだから」
「……あんたは気付いたじゃない」
恨みがましく睨むテルルに、アルパインは呆れたように笑う。
「護衛隊のしかも隊長が、護衛対象を見失ってどうするよ?」
そう言う割に、しょっちゅう出掛けてたくせに……。
いらぬことを言えばまた言葉の返り討ちにあうとわかっているから、テルルは心の中だけで恨み事を言う。
そうして黙りこんだテルルに、アルパインは不思議そうに尋ねてきた。
「でさ、おまえ何で逃げたいんだ? 神殿の中なら何不自由暮らせるのに。おまけに予言のおかげで将来も安泰。何たって、大陸の覇権を握る男が夫になるんだもんなぁ」
「でもそれって、自分の人生を歩んでるって言えるの?」
テルルが思い詰めたように言うと、アルパインの顔から笑みが消える。
「神殿の奥に閉じ込められて、神官たちの言うことを聞いて、言われた相手に嫁いでいく。──そんなんじゃ、操り人形と変わらないじゃない。あたしはそういう生き方は嫌。自分の人生を歩みたいの」
アルパインがちょっとだけ同情したように眉をひそめたけれど、テルルは勢いに乗ってこれまで誰にも言えなかったことを口にしてしまう。
「それに、あたしは“これが【予言の娘】?”ってがっかりされながら暮らすことに、もう我慢ならないのよ」
「は?」
ぽかんとするアルパインに、テルルは積年の恨みを晴らすがごとくぶちまける。
「しょっちゅう留守するあんたは知らないんだろうけど、神殿の奥にまで侵入してきたヤツらはね、 あたしの顔見てぽかんとして、本人に間違いないとわかると慌てて取り繕って求婚始めるの! “顔は問題じゃないんだ。大事なのはこの娘が【予言の娘】であることで”って心の中で自分に言い聞かせてるのがバレバレなのよ! 来るヤツ来るヤツそうなのに、【予言の娘】として誰かと結婚してみなさいよ! 夫に毎日がっかりされながら一生を送るなんて、考えただけでも耐えられないの!」
亜麻色の髪に緑色の目。顔のパーツが全体的に小作りなため年齢より幼く見えるが、それほど見目悪くない。けれど【予言の娘】を目当てに侵入してくる奴らは勝手に絶世の美女を想像してくるらしく、テルルがその【予言の娘】であると知ると、口をあんぐり開けて驚くのだ。
彼らの一様なその反応に、テルルはこれまでどれだけ傷つけられてきたことか。
気付けばテルルは、いつのまにか立ち上がってこぶしを握りしめていた。
そんな彼女をしばしじっと見つめていたアルパインは、やがて堪え切れないように肩を震わせ、ベッドに座った状態から体をよじって上半身をベッドに伏せる。
それを見て、テルルは顔を真っ赤にする。
「苦しそうにこらえながら笑うんじゃない!」
「あーはっはっはっはっは! 本当の理由はそっちか! あはははは!」
ベッドにあおむけになったアルパインは、腹の底から大笑いする。
遠慮なく笑えと言ったわけでもないんだけど。
自分の言ったことが笑い事の部類に入ると自覚していたテルルは、文句の一つも言えない。
テルルはアルパインの失礼な態度にぶすくれていたが、ベッドにまた腰を下ろし、次第に気力をなくして項垂れた。
ああ、一日も保たなかったな……。
アルパインに捕まってしまったからには、神殿へ強制送還は決定だ。
一度脱走をしたからには、今までよりさらに厳重に閉じ込められ、二度と神殿の監視下から逃れられないだろう。
さよなら自由。
テルルはたそがれた気分になりながら、盛大にため息をついた。