虎さんと仔虎サイズ
「絶対に、貴女に好意を抱いているのよ」
鏡に映る少女は悪戯っぽく笑う。
流れる水よりも澄んだ印象を受ける銀色の髪。
その艶やかな髪に櫛を入れながら女もまた笑った。
「まあ、姫様。侍女たちの語る恋物語の聞きすぎですわ。あた……、私のような一介の侍女よりも殿方の興味は、日に日に美しくお成りにあそばせる姫様にこそ向いているのですよ」
「私の前ではそんなに堅苦しく話さないで、ね。……私に矛先を向けようとしても駄目よ? あの人は今まで少し怖い雰囲気の人だったけれど、貴女に話すようになってからは、とっても素敵な人になったわ」
女は鏡に映る自分と目が合う。
干した藁のような色の髪は、手入れこそ欠かさないが、取り立てて称賛されるような綺麗な色でもない。
特別目の引く美人でもない、可もなく不可も無いごく平凡な顔。
鏡越しに、少女と目が合う。
好奇心に煌めく青い瞳は、さながら研磨された至宝よりも美しい。珍しい高貴溢れる銀色の髪。瑞々しい果実のような唇。
女は思う。
鏡に映る少女にこそ、主役に相応しい。
「だーかーら、それは恋物語の聞きすぎっ、です! 彼女たちの夢が詰まったお話は色々と非現実的なんです。姫様みたいな美人ならともかく、あたしが、」
「笑うと、とても美人だわ。それに時々すごく、艶っぽい」
「つ、つや?! どこでそんな言葉を覚えたんですか!」
「本当よ。時々ゾクッて背中がなるわ」
ああ、それは多分……、あたしの魔力に当てられたから、かもしれない。
女はそう思ったが、口にはしない。口にしたところで、夢をみる乙女の目を醒ますことは出来やしない。
ならば、そのまま醒めない夢を見続ける方が幸せだろう。ただ、その恋物語の役者が台本通りに動くかは約束しかねるが。
有り得ない、し、あってはいけない。
誰か一人を懇意にするなど。
あたしは誰にも囚われたりは、しない。
「み、にゅー」
あたたかい。
沈んでいたあたしの意識がゆっくりと浮上する。
『可哀想に、まだ目も開いてない、…、でしょう…』
「集落で…、…のか?」
すぐ近くで聞こえる会話に、あたしの耳がピクピクと反応した。
なんだか久し振りに昔の夢をみた気がする。
『それが、どの家の子でも無いみたいで。……困ったわ』
「それなら俺が面倒見る。もともと俺が見つけたんだしよ」
『あらやだ。散々手を焼いてくれたやんちゃ坊主が、そんなこと言うなんて、大人になったのねぇ。でもその子、女の子よ。女の子はみんな繊細なのに、がさつなあんたに面倒見きれるかしら』
「はぁ〜? 皆? 一部は除くんじゃねぇの?」
『言ったわね、あんた。まあ、良いわ。困った事があったら言いに来なさい。
……あら、まあまあ! 目が覚めたのね、大丈夫? 怖かったでしょう!』
うっすらと目が開いたあたしに気が付いた声の一人が、あやすように絶妙な力加減で優しく撫でてくれた。
口調から推測するに、きっと女の人だ。
全身が暖かいふかふかの何かに包まれている感触。人肌のそれは、とんでもなく気持ち良くて安心できる。
心地好い微睡みの中で、あたしは暖かい何か頬を寄せる。
『あらあら、くすぐったいわ。……やっぱり私が面倒見ようかしら。女の子、欲しかったのよねぇ』
「俺が面倒見るって言ってんだろが。……おい、目が覚めたか。名前は何ていう?」
あたしを見下ろすのは、見たことも無い赤毛の男だ。気の強そうな眉に力強い眼光。鍛えられた体は兵士と言うよりは、健康的な褐色の肌に相まって、どこかの街のガキ大将のような印象を受ける。
はて? この人どこかで会ったような……
何か引っ掛かるような疑問を頭の隅に追いやりながら、無駄だと思いつつあたしは名乗る。
『レディ』
にゃん言葉、頑張って訳して下さい。
本当の名前を名乗ろうかと思ったが、魔界でのあたしの名前はレディだ。
ダーリンもあたしを探してくれているし、それならお迎えに来やすいように名前は変えるべきじゃないと判断したからだ。
うん、あたし森で迷子になっちゃったのよ、確か。
そこまで思い出すと、急速に頭が働きだす。
そして、ドロドロに襲われて、食べられそうになった所に―――。
ふと、あたしを包むふかふかに目を向ける。
三つの目とパッチリ目が合う。
あたしの全身はピシリと硬直した。
『遠慮しなくて良いのよ、母親だと思って甘えて頂戴、レディ』
ペロリとあたしを舐めるのは、あたしを助けた虎さんにそっくりの虎さんでした。
えええええ?
……ちょっと頭を整理する時間を下さい。
あたしが三ツ目の虎さんの集落に保護されてから、数日がたった。
この虎さん、魔界ではヴェルガーという種族らしい。
虎に良く似た外見と、額に魔眼と呼ばれる三つ目の瞳を持っている。
体毛には電気が貯まりやすいらしく、体内に電気を貯める電気袋があるらしい。
あたしがお世話なっているのは、その集落の姉弟、エネリとガウディ。
ガウディはあたしを助けてくれた恩人もとい、恩虎、いや恩ヴェルガーだ。
同じ猫科(?)だからか、あたしのにゃん言葉もしっかりと理解してくれている。
基本的にはガウディに面倒を見てもらっているあたしだが、集落の周辺を見回る役割を持っているガウディ出かけるときにはエネリの所に預けられる。
その見回りの時に「にーにー」鳴いていたあたしを発見したというのが、事の真相だった。
働かざる者、食うべからず。
そんなあたしのお仕事は、エネリの子供たちの面倒を見る事だ。
ポワポワの毛皮にあたしより少し大きい身体の四ツ子ちゃんたちは、観ている分には愛くるしいが実際に面倒見るとなると、これまたかなり大変。
『れでぃ、あそんで』
『あそんであそんで』
舌っ足らずのおねだりは最高に可愛さ満点だが、全匹わんぱく坊主ばかりだ。
一匹が飛び掛かってくると、もう一匹、また一匹と狭い部屋の中で縺れるようにしてじゃれ合う。
コロコロ転がったり、追いかけたりの激しい全身運動に、魔王城ではほぼ1日寝てばかりだったあたしは、あっという間に全身が筋肉痛になってしまった。……歩く度にギシギシ痛い。
天気が良ければ、外でも遊ぶのだがあいにくの嵐続き。
ガウディいわく、雨の日には例のドロドロが活発になり、増殖を繰り返しながら個体数が増えるので、とても危険ならしい。……確かに物凄く危険でした。
「外には出るなよ」と口を酸っぱくして注意されている。もちろん出ませんとも。
たっぷりと遊んだあとは、みんな木の弦で編んだ籠ベッドでお昼寝の時間だ。
こうなるとわんぱく坊主もしばらくは目を覚まさないので、その間はあたしも一緒に休む。
籠ベッドにぎゅうぎゅう詰まった仔虎の隙間に、身を滑り込ませてあたしもお昼寝。
「レディがうちの仔の面倒見てくれてるみたいで、ホント助かるわ。最近雨続きで退屈そうにしてたのよ」
『ん、雨どころか嵐だよな。……陛下の機嫌が悪いんだろうな。なんか向こうであったのか?』
「さあね、長なら何か知ってるかも知れないけれど」
うとうとしていると二人が帰って来たらしい。
エネリが人型をとっていて、ガウディが虎さんになっている。
初めに見たときとは逆のパターンだ。
人型のエネリは、これまた赤毛のグラマス美女だ。野性味溢れる妖艶さがまた堪らない。キュッと締まったお尻なんて、女のあたしでもゴクリと唾を呑み込む色っぽさだ。
『ん、まぁ、まぁ?』
『にぃにのにおいもする』
『ねみゅい〜』
もそもそと覚醒しだす仔虎たち。
みんな思い思いに伸びしたり欠伸したりするので、籠ベッドの中で寝ていたあたしも足が当たったり尻尾が当たったりと、もみくちゃにされる。
『帰るぞ、レディ』
『うー、まだ眠たい』
眠気まなこで渋っていると、パクっと首根っこをくわえられる。
ヴェルガーの集落は巨大な岩場の中を大胆にくり貫かれて出来ている。
エネリの巣穴とガウディの巣穴は姉弟だけあって虎穴の中で繋がっているから、あたしが歩いても別に危険は無いのだか、何故だかいつもくわえられる。
『ちょっとちょっと、あたし自分で歩けるわ』
ブラブラ揺れながら抗議を唱えるも聞き入れられた事はない。
『まだ、目も開いてねぇ子供が遠慮なんかすんな』
あっという間にガウディの巣穴に到着した。
べろんべろんっと舐められ、あたしの蜂蜜色の毛並みが綺麗にされる。
身体を舐め回されるなんて、ダーリンにもされた事無いのにぃー!
いつもいつもされっぱなしのあたしだが、今日こそは断固拒否しなければ! ダーリンに合わせる顔が無い。
『じ、自分でできるってば! あたし目ならパッチリ開いてるでしょ』
『何言ってんだ、思いっきり閉じたまんまだろ?』
再びべろんと額を舐められる。
ん?
……何だかものすごーく、嫌な予感がする。
一つの可能性にぶち当たってしまったあたしは、しどろもどろにガウディに聞いてみた。
『あのぅ、それは皆さんの額に開いてる第三の目の事でしょうかね?』
『おう。いるんだよなぁ、たまに。目も開いて無いのに妙にませてる大人ぶってる奴が』
……一生、開く予定はございません。