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お迎えは静かにお願いします。


逃げ込んだ森のうろの中で、あたしはひっそりと息を潜める。

相変わらず雨は止まない。

本当なら今すぐ来た道を戻りたいのだが、こう雨ばかりでは身体が冷え込んで満足に動くことも出来ない。何より濡れるのは嫌だ。

大人しく助けを待つ事にする。


ちゃんと探してくれてるよね。……ダーリン。


ほんのちょっぴり、不安になる。

すっかりあたしの事を忘れたダーリンの中では、あたしは相変わらずペットのままだ。それなりに大切にされてる気はする。

けれど、ペットはペットだ。

探すほど愛着が無いかも知れない。

始めから、そんなに興味が無いかも知れない。

孤独に晒されて、負の感情がじわりじわりと頭の中を侵食する。


何であたしの事、忘れちゃったの……?

あたしと過ごした日々は忘れても良いような記憶だった?

そりゃあ、魔王様だもんね!

得体の知れない女との関係なんて、尊い王様には汚点にしかならないよね!

酷いよ、そんなの嫌ぁ。

あたしのこと、忘れないで……


きゅっと目を瞑る。

丸まる猫の身体。今は自分の温もりしか感じない。


「!」


地面にくっ付けているお腹からビリビリと震動が伝わってくる。

初めは細かく震えるだけだった地面はやがて地響きとなり、大地を強く振動させる。


……近付いてくる!


身を固くする。

逃げる隙は無い。

出来るだけ息を潜めて、見付からないように遣り過ごすしかない。

周りの雑草を踏みあらしながら、姿を現したのはツチアラシと呼ばれる魔物の大軍だった。血の気が引く。

猪のような姿の魔物だが、身体は二回りほど大きいし、牙だって太い。顔を覆う毛はなく、代わりにゴツゴツとした皮膚が剥き出しになっている。ひとたび走りだせば、木だろうが岩だろうが人だろうが、前に立ち塞がるものを薙ぎ倒し、砕きながら走り通す。

「コフーっ、コフーっ」と荒い鼻息が耳に付く。


「おおい、猫いたかぁ!?」


野太い威勢の良い声に、思わず身体が飛び上がりそうになる。


「いえ! どこにも見当たりません。もう少し手前の方でしょうか」


それに答えて、別の声が響いた。

驚いた。

ツチアラシの上には誰かが乗っていたのだ。

どうやら一頭一頭に騎乗しているらしい。ツチアラシしか目に入ってなかったし、見上げるにもツチアラシが大きすぎて気付かなかった。

殆どの者が「猫ー」と叫びながら周りの探索を開始する。

幸か不幸か、ツチアラシに乗る彼らの目線は、木と地面の小さな隙間に隠れるあたしを見付ける事は出来なかった。


「猫ー! ってどんなやつだっけ?」


「蜂蜜の毛皮だってよ」


「蜂蜜? なんか甘くて美味そうだな。種類がクィンビーなら最高だなっ」


「馬鹿っ、陛下が大っ変に可愛がってんだよ。食ったら殺される所の騒ぎじゃねぇよ」


「じゃ、愛玩動物ー! 出てこーい!」


「非常食ー!」


誰だ今、非常食って言ったやつ!


それにしても、もしかしてあたしを探してる?


出ていこうか、どうしょうか悩んでいると、ツチアラシの血走った目がギラリとこちらを向いた。


ひえぇっ! こっちみた!?


「ブヒッブヒュヒュッ」


騒ぐツチアラシを騎乗している誰かが、鬣を軽く叩いて宥める。しばらく興奮していたツチアラシも、構って貰えないと理解したのか大人しくなった。

ただし、視線はこちらを向いたままだ。


「少し戻るぞー!」


再び来たときと同じように地響きを立てて、来た道を戻って行った。

せっかく迎えらしきものが来たのだが……


む、無理……! あれは無理ぃぃ!


じっとあたしを見ていたツチアラシ。

あの目は絶対あたしを食べる気満々だ。ノコノコ出ていったら絶対にぱくりと食べられる、そんな気がする!……非常食ですから。

あたしの中に、追い掛けるという選択肢は綺麗さっぱりと消え去っていた。


でも、陛下って言ってた。ダーリンのことだよね?

ちょっとはあたし、自惚れてもいいかなぁ?


探してくれてた! その事実がじんわりと暖かく胸に染みる。ちょっと迎えがアレだけど……

沈んでいた気分があっさり浮上した。

我ながら結構単純な猫かも知れない、と思ったあたしでした。




一難去って、また一難。


毛並みを逆らって舐められるような奇妙な感覚に、背中の毛がぶわりと逆立つ。悪寒が走る。

それは勘。ただの予感だ。

しかし、幼い頃から戦場に身を置いた者としては、時としてその勘は予知にも等しい効果を発揮する事をあたしは知っている。生きと死ける者全てに、等しく備わる生存本能だ。

落ち着かない妙な感覚に苛まれる中、あたしのヒゲが反応した。

ザアザアと雨が葉を打つ音に紛れ、確かに何かが近付く気配を感じたのだ。

何かは分からない。

耳を澄ます。―――何かが近付くような怪しい物音はしない。

けれど、あたしのヒゲは確かに異変を感じとったのだ。

猫になって一番有難かったのは、あたしの両頬に生えたヒゲの存在だ。

このヒゲ、かなり高性能。

微細な空気の振動を察知して、いち早くあたしに伝えてくれる。相手が音を消して忍んでくる場合に効果を発揮するのだ。

ただし、湿度の多い場合はとんと性能が落ちる。今の状況はまさにソレだ。

頼りのあたしのヒゲは、雨で湿気が多くて上手く空気の振動を掴めないのだ。

初めは勘違いかと思ったが、身震いするような悪寒とヒゲによって、あたしは確信した。音も無く近付く何かは、速度はかなり遅いが、真っ直ぐにこちらを目指してくる事を。


……これは、まさかあたし、狙われてるんじゃないですかね?

食べられる覚悟でお迎えの前に出た方が良かったかしら。


逃げ場のない木のうろに留まるのは危険かも知れない。

少し考えて、うろの中から這い出る。

頭の中で逃げ道の順序を組み立てながら、何気無く何かが来るらしい方向を見て、全身の毛が一斉に逆立った。

ぶよぶよのドロドロとした、粘液の塊のような物体が視界に映る。

成人した肥満の男性が脳裏に甦る。うん、丁度それくらいの大きさだ。


これも無理ぃぃぃっ!!


踵を返しあたしは猛烈な速度で森の中を駆け抜ける。

あたしは見た。

ゼリー状の体の中にあった、“食べかす”を。

白い剥き出しになった恐らく骨にドロドロに溶かされた恐らく肉。

捕まれば、最後。

あたしの無惨な末路がそこにあった。猫の視力はとっても良いのです。


こ、ここまでくれば、大丈夫よね……


幸運な事に、ノロノロとした移動速度のドロドロはあっという間に見えなくなった。

鬱蒼と茂る草に身を隠しながら辺りを伺う。

乱れた息を整えながら、見つけた大きい葉っぱの下で雨宿りする事にした。

辺りに危険はない。

さらに幸運な事に、吹き荒れる雨が他の獣からあたしの気配を巧く隠してくれたらしい。

ホッと息を付いたのも束の間、しばらくして再びあたしのヒゲが異変を訴えた。

お馴染みの悪寒とヒゲの反応。ゆっくりとした速度で、物音を立てずに移動するソレ。

この反応には覚えがある。


さっきのドロドロ!


慌ててその場を離れる。

再び危険の有無を確認して息をついたら、またヒゲが異変を訴える。

その後もあたしがどんなに逃げても、ドロドロは遅い速度で確実に追い掛けてきたのである。




そろそろ限界に近い。

ずっと逃げて走ったばかりの身体は、あちこち痛いし、だるくて重い。

なにより精神的な疲弊が激しかった。

逃げても逃げても追いかけくるドロドロに、あたしは成す術もなく体力だけが削られていった。

思えば、他の獣に遭遇することは無かったのは、もしかしてこのドロドロから隠れているのかも知れない。

あたしは考えを巡らせる。

今は木の上で休息中である。

よく考えれば、今まであたしは地面に近い場所ばかりに隠れていた。

ドロドロはいつもズルズルと静かに地面に這うように進む。

ひょっとすれば、高い場所は大丈夫かも知れない。

そんな一縷の望みに縋るように木に登ったのだ。

この木の上が、あたしの最後の砦だ。

ぴぴっとヒゲが反応する。

ごくり、と喉を鳴らす。


―――来た!


這うように進むドロドロは、音も立てずに真っ直ぐにこちらを目指す。

上からだとよく分かる。

草を踏みつけたり押し退けているのではなく、すり抜けているのだ。一度ゼリー状の体に取り込んで、そのまま移動して、そのままの状態で身体から吐き出す。


だから音が聞こえないのね。


距離があるからか、冷静に観察できた。

あたしの場合はあのまま取り込んで、きっと吐き出さないに違いない。

ゆっくり近付くドロドロは、あたしのいる木の下で動きを止めた。

しばらく周辺をうろうろとさ迷いう。

そのドロドロの様子にあたしはホッと息を付いた。


やっぱり高い所は駄目みたい。


けれども、このままドロドロが去ってくれないと、あたしは動く事は出来ない。さて、どうしたものか、と思案しつつ体力回復に専念する事にした。


んん?


にゅーっ、と触手のようなものが視界の端を過る。

ギョッとして慌てドロドロを見ると、細く長く体を変化させてゆっくりと高度を上げ、あたしに接近してきたのだ。


こここ、これ以上近付いたら、痛い目みるからね!


「シャーッシャーッ」と牙を見せてドロドロ触手を威嚇する。

あたしは出来るだけ身体を低くし、じりじりと後退する。このまま近くの木に飛び移り逃げる予定だ。

不意にガクンと体勢を崩す。

後ろ足に、ねっとりとした感触。

ドロドロ触手が絡んでいた。


しまった、前のドロドロ触手は囮だったんだ!


爪を立てて、必死に木にしがみつく。

引きづり降ろされたら、最後だ。

無惨な末路はすでに見た。


あんなのになりたくない、絶対に!


「に゛ー!! に゛ー!!」


あたしの声で他の魔獣が集まろうが、この際何でも良い。

この状況から逃れられるのなら、何だっていい。

あらんかぎりの声を振り絞って、助けを呼ぶ。


助けて、助けて! 師匠! 姫様! 誰か、助けて、ダーリン!!




―――グァア゛ア゛ァルルル!!



突如聞こえた獣の咆哮。

雨で湿気る空気を切り裂くように、喉の奥から放たれるそれは聞くものの戦意を根こそぎ奪う威力を持っていた。

あたしが失意の底に叩き込まれ無かったのは、触手に意識が行ってしまっていたからだ。

下で「ぶちゅっ」と何かが潰れるような鈍い音が聞こえた。

足の束縛が無くなり、枝の上に身体が安定する。

安心したのも束の間、大きな身体の何かが、軽々とあたしがいる木の枝まで飛び乗ったのだ。

見事な跳躍をしてみせたのは、―――虎によく似た魔獣だ。

逞しい四肢に立派な赤褐色の毛並み。

虎によく似た顔に、鋭い牙。そして額にはもう一つ、目が開いていた。


「ふ、フゥーーっ」


新たな敵の登場に全身の毛を逆立てて、あたしは少しでも身体を大きく見せる。

今すぐ逃げたい。

けど、きっと逃げられない。

矛盾した気持ちに恐慌状態に陥りかけたあたしだが、すぐに頭の中が真っ白になってしまった。

圧倒的な力の差に、すっかり気の動転したあたしは、うっかり足を滑らせ木から落ちてしまったのだ。


「みぃぃ……」


あまりの衝撃に思わず呻いてしまう。

びろーん、と首の皮が引っ張られる感覚。それと同時にあたしの身体が地面に浮いた。

何とあたしは、虎モドキにパクっと首根っこを食わえられていたのだ。

ぶらぶらと揺れる、あたしの身体。

相変わらず雨に身体は濡れているが、何故か妙な安心感に包まれ、身体の力が自然と抜けてしまった。

端から見れば、親虎が虎の仔を運んでいるかのように見えることだろう。微笑ましい光景だ。癒される。


いやいや、騙されないであたし!

きっと巣に持ち帰って食べる気なんだから!


「にー! にー!」と暴れまくるあたしを我に返らせたのは、予想もしない声だった。


『食わねぇっつの』


『!?』


もごもごと何かくわえているかのような、くぐもった声に抵抗を止める。


虎さん、今、喋りましたか?





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