猫の心、飼い主知らず
「ニャッニャッ」
「フシャー!! 」
「にゃお〜ん」
あっちでも猫! こっちでも猫!猫猫猫!
千年の歴史を持つ魔王城にて、前代未聞、未曾有の猫ブームの到来していた。
ブームの火付け役はもちろん、あたし。
あたしの初めての謁見から数日が経ち、魔界の至るところで噂となっている。
“魔王陛下は猫がお好き”
噂を聞き付けた人達が、競うようにこぞって“猫”という“猫”が魔王陛下へと献上された。
あたしと同じ地上の猫から「うっふん」と色気たっぷりの猫耳なお嬢さん方まで、ありとあらゆるにゃんこが魔王城へと集結したのである。
特に猫耳のお嬢さん方なんかは歩く度にしっぽがくねくねと扇情的にくねり、正直目のやり場に困る。
最初こそあたしは、猫好きのダーリンが他の猫を可愛がったりするのかと、心中穏やかでは無かった。だが、新参モノの猫も必要以上ダーリンに近付かなかったし、ダーリンもあたし以外の猫を寝室に入らせたりはしなかったのである。まぁ、あたしが勝手に寝室に入っていっているだけなのだが。
ダーリンの寵愛はあたしのモノよっ!
と思ったり、気分が良かったのも事実である。
そんな訳で、魔王城が猫の巣と化しても、さほど変わり無い日常が続いた。
いつものように目を覚ましたあたしは嘆く羊美少年を華麗にスルーして謁見の間へと足を運ぶ。
いつものようにピタリと立ち止まり、異変に気付く。
ダーリンの玉座の両脇に、お色気たっぷりの猫耳お嬢さん方が侍っていたのである。
「………」
思わず責めるようにダーリンを見詰める。
「………」
対するダーリンは観察するような視線。
「ゴホンッ」
宰相さんの促しでひとまずお互いの視線は外れた。
いつもならあたしはそのままダーリンと玉座の間に入り込み、再び昼寝をするのだが、
「………」
このままダーリンの膝の上で丸くなる。
ダーリンの視線が頭に刺さるが、そこは異論を認めない。
猫耳を両脇侍らしているのに、あたしが膝にいるのは許されないというのはないはずだ。いや断固として譲るものか!
そのときだった。
何気なく視線を流したあたしは右脇のお嬢さんと目があった。
お膝の上のあたしとバチっと視線が絡む。
「……………」
「……………」
一瞬の邂逅。
―――フッ
勝ち誇ったように弧を描く口元。見下すような、いや、明らかに見下している目。
今、あたし見て笑ったわね!?
しかも、何か凄く馬鹿にしたでしょ?!?
「シャッ!」
あたしは喉から鋭い鳴き声で威嚇する。
一喝した相手は猫耳のお嬢さん…………ではなく、ダーリンにだ。
お嬢さんに挑発的に嘲らわれ気が立っていたあたし。あろうことか、ダーリンはあたしの尻尾に、全身毛を逆立て二倍に膨れ上がっていたあたしの尻尾にいきなり触ったのだ。
……確かにふわふわのあたしの尻尾は魅力的なのは認める、認めるが今は勘弁してほしい。
怒られたダーリンは気まずそうに手を定位置に戻した。
あたしはと言うと、思わずダーリンに牙を剥いてしまい、ちょっと自己嫌悪に陥ってしまった。猫耳への苛立ちを反射的にとは言え、ダーリンにぶつけてしまったのだ。とりあえず自分の手を舐めて気持ちを落ち着けようとするが上手くいかない。
こういう時は気分転換に散歩をするに限る。
ト、っと軽く足音を立てて床に降りる。
背中に感じる視線を振り払い、謁見の間を後にした。
つまり逃げてしまったのである。
逃げた先にも、悩みの種は待っていた。
災難は続くものである。
今、あたしの目の前に立ち塞がるのは、あたしより身体が一回り大きい白い毛並みの猫。
たくさんの猫たちがダーリンへ贈られてきた次の日。魔王城では至るところでキャッツファイトが繰り広げられた。
実はこの猫は、この魔王城にたくさん贈られてきた猫たちの頂点にいる存在。つまりはボス猫なのである。
あたし? もちろんそんな物騒な催しには参加していません。
しかし、今のあたしは猫。
キャッツファイトに参加していないあたしの順位は、この猫社会では限りなく低い位置にあった。
ボス猫である白猫に遭遇してしまったら、目を会わせずに速やかに縄張りを出なければならなかった。
普段のあたしなら、そそくさと退散するところ……なのだが、
「フーッ! フーッ!!」
「フゥゥゥッ!!」
虫の居所が非常に悪かった。
かくしてコングが高らかに鳴り響いた。
ような気がした。
その日の夜、ダーリンが妙に豪華な食後のおやつを持って寝室に帰ってきた。
どうやらダーリンには全てお見通しらしい。愛の力!
明日から!
この魔王城で!
あたしは真の女主人として、堂々と闊歩できるのだ!!
ふっ、と黄昏る。
まあ、なかなか大変な激闘だった。引っ掻き回して、噛み付いて、飛び付かれつかれて組んず解れつ……
だが、所詮はあたしの敵では無かったという事だ。
明日という日が待ちど惜しくて仕方がない!
この際謁見の間での事はお互い水に流す。
早速労って貰おうと、上機嫌で出迎えた。
「……レディ、傷が」
あたしの名誉の負傷に気付いたダーリンは、どこか心在らずと呟く。
んもうっ!
あたしは鼻息荒くダーリンの足に刷りよる。
一対一の時くらいは、きちんとあたしを見て欲しいものである。
あたし、頑張ったのよ!
今日の武勲を必死にアピールしていたあたしは、いきなり足からひっぺがされた。
いきなりの少々乱暴な動作に、抗議をあげようと顔を上げ、ダーリンの顔を見て固まる。
鋭く軽薄に細められた目に感情を映さない闇色の瞳。それなのに薄く開いた唇には笑みが僅かに浮かんでいた。
怒ってる。
なんだか、よくわからないけどダーリンが怒ってる……!
まさかのダーリンのお怒りだ。怒ったダーリンは半端なく怖い。
やがてあたしの全身を舐めるように眺めた後、「にゃ」と鳴きかけて固まった半開きの口のあたしを置いて、ダーリンはどこかに出掛けてしまった。
パタンっと存外丁寧に閉じられた扉がダーリンの姿を隠し、怒りの矛先が自分で無かった事に、あたしはホっと息を吐く。
しばらくすると、真っ青な顔をした羊美少年があたしの傷の手当てにきた。
その日の天気は珍しく雷が鳴っていた。
「レディ様、それは陛下の……って、あれ?」
ダーリンのマントの上でたっぷりと熟睡したあたしは、グルーミングもそこそこに早速出掛ける。
羊美少年はマントを手に、何だかちょっと物足りなさげにあたしを視線で追ってきたが、ごめんね〜、今日はちょっとかまってあげられないのよ〜。
とととととっ、と軽快な足取りで廊下を歩く。いつもならば足音なんて立てないが、今日ばかりは特別だ。
なにしろ女主人のお通りである。
と、あれ?
異変に気付く。
昨日あんなに城内にそこかしこにいた、猫猫猫! が綺麗さっぱり姿が見えないのである。
「?」
しばらくウロウロと魔王城をさ迷ったが、猫がいたという痕跡すら見つからない。
なんだか小鬼に悪戯されたような気分だ。
「ああああ、しまった! レディ様ー! 出てきて下さい、陛下に殺されるぅ!」
物騒な羊美少年の声に何事かときた道を戻る。
あっさりと捕獲されたあたしは再び寝室へと戻されてしまった。
「今日は1日、ゆっくり休んで怪我を養生するようにって陛下からのご命令ですからね!」
むぅ、今日は大事なデビューの日なのに。でもダーリンのお願いなら仕方がない。デビューは明日にしよう。
不満と了承の意を込めて、パタンパタンと尻尾で床を叩く。
足の怪我を舐めながら、渋々羊美少年を見上げた。
「心配しなくても陛下がレディ様が安全に過ごせるように、猫をちゃんと追い出してくれたんですよ〜」
な ん で す と ?!
あたしの華麗なお披露目の、無期延期が決定した瞬間だった。
「僕は始めから、ちゃんと言ってたんですよ。仔猫ならともかく成猫は縄張り意識が強いからやめた方がいいって、それなのに………って、レディ様!? マントの端っこ咬まないで下さいぃ!?」
この日、あたしは一日へそを曲げた。