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猫と魔術板



あたしは考えた。

このダーリンの寝室の扉は、内側から鍵を掛けれるのだ。こんな当然な事も考えが及ばなかった自分が恥ずかしい……。

が、結果的にはこの事は功を奏する、かもしれない。自分で鍵を開けて出てしまうと、犬が来たときにあたしの不在がバレてしまうからだ。

小さい頭を捻りに捻って、考えた脱出計画はこうだ。

まず、犬から鍵を奪う。そして犬を部屋に閉じ込める。更に鍵を掛けて脱出する。これでしばらくあたしの不在はバレないはず。……完璧だ。

よし、では作戦の第一段階へと乗り出す事にする。

人型の自分を想像しては、魔力を練り上げる。

程無く、長い手足、猫と比べて格段に大きな身体に戻った。

これで、犬にも勝てる大きな身体が手に入った。……相変わらず耳と尻尾とにくきゅうが付いてはいるが。


「……くしっ」


そうだ。素っ裸な身体に服も着せなければならない。そんな事もあろうかと、服もバッチリと調達済みである。

部屋に飾られている甲冑の中に隠してある服を取り出し、並べる。

地味なドレスにエプロン、所謂侍女服というものに、それに下着。

この下着。あたしの見立てが正しければ、これは、あたし御用達の有名店で作られたモノではなかろうか。この手触り、間違いない。

侍女服、街娘の服、旅人の服、式典用ドレス、祭服と数々服を着こなすあたしだが、唯一譲れないものが、下着である。

何せ身体に直接触れるものなのだ、一切の妥協はしたくない。


また、穿ける日が来るなんて……!


感慨深げに眺めた後、足を通し、尻尾を、……尻尾、どうしてくれよう。


…………。


早速穴を空ける羽目になってしまい、ガックリと膝を付く。


なに、この無力感……!


着替え終えたあたしは、早速扉の近くの壁にピタリと身を寄せ、もうすぐ来るであろう犬に備える。真っ向から対峙すれば、きっと勝つのは難しい。狙うのは不意討ち。

気配を殺して扉の向こう側を探る。


―――来た!


カチャリの鍵の解錠音。開く扉から現れた犬に目掛けて飛びかかる!


「シャーー!」

巨体に、全体重を掛けて、のし掛かり、のし掛かり……、あれ?

このまま、床に抑えつけてその隙に鍵を奪ってサヨナラ! の筈が犬と言えば、あたしの全体重を背中に背負いながらも潰れることも暴れることもなく、平然と立っている。

くりっと首を此方に向けて、興味深そうに見てくる。恐らくニオイであたしが誰かわかっているのだろう。

計画とは少し違うが、犬が大人しいのは好都合! と気を取り直し、そーっと手を伸ばし鍵を奪って逃走、扉を閉めてはカチャリと鍵をかけた。

ふー、と一息を付いていると、―――カチャリ。

一拍置いて開かれた扉を呆然と見つめる。


で、出てきた!?




歩いて、振り返ってみる。そーっと、後ろを振り替えれは……いる。

あたしと目が合えば、立ち止まり「なに?」とばかりに尻尾を一振り。………可愛いじゃないか。

まるで「ご主人様に何処までもついて行きますけど」みたいなこのキョトンとした表情。ちょっと心が揺れ動く。

気になることといえば、あたしが何食わぬ顔で通り過ぎる時に、どの侍女さんや侍従さんも、ぺこ、ぺこり、と何故か綺麗にお辞儀をしてくれることくらいだ。

ひょっとしたら、この侍女服、一見ほかの服と変わりはないが、まさか侍女長の服だとかで、彼女たちはそのプロの観察眼で見分けてる、とかだろうか。


で、あたし、何しに外に出たんだっけ?


何か理由があった気がする。

振り返って、犬に『何だったかしら?』と尋ねて首を傾けてみせれば、向こうも同じように首を傾げた。それもそのはず、見た目人型だが、あたしの喉は猫のまま。「にゃー」は犬には通じない。


あたしったら、何かしようと思ってたはず?


それが一体何だったのか、寝室でもやもやと考えていたときには覚えていたはずだ。でも思い出せない。

うーん、と悩んだ末に、諦めた。

大切な事なら、きっとその内思い出すはず。

用事があるなら、その思い出した時でも大丈夫なはずだ。

なんといったって、今のあたしの行動を遮るものなんてない。狭い寝室から脱出したあたしは、どこにだって行ける。

自由って素晴らしい。

そう、あたしはいつだって自由でなくてはならないのだ。

そうだ、少し思い出してきた。


まずは縄張りに異変はないか確認しないと!


いつもの散歩道を歩き、屋根の上に腰を下ろす。

一息いれて、昼寝をしてからまた縄張りを、って……まて、あたし。

今は普通に人型なのに、一体何をしようとした。

危ない、危なすぎる。ただでさえ悪女と名高い人型のあたしなのに、堂々と城を闊歩するなんて大胆にも程がある。


いや、でも縄張りは気になる。

いやいや、危ない。


理性と本能。二つの意識が攻めぎ合う。

抗い難い本能と格闘しながらも、ふと目に止まった深緑の屋根。

猫の視線の時は、他の建物が邪魔をして見えなかったが、人型の今なら見える。


あそこって、まだ行ってなかった場所よね。


ウズウズと、好奇心があたしを刺激する。

そして直ぐに、頭を振り払う。


そんな場合じゃなくて、あらら、ならどんな場合?

気になるー、気になるぅぅー


頭の中は、もはや新天地に向かっての興味ばかりで、いても立ってもおられず、屋根をつたい歩いては深緑の屋根を目指した。




目的の建物に着いたあたしは、早速屋根の上でぐるりと周り外観を確認。

石造りの大きな建物だ。明かり取りのための小さい窓が幾つもある。その中の一つが開いていたので、慎重に顔を突っ込む。

古い紙のニオイ。書庫、かしら?


辺りには誰も見当たらない。これ幸いと小さな窓に体を捩じ込み侵入を果たす。

建物の中は静まりかえっており、色んな音が溢れていた外とは、まるで別の世界だ。本棚が迷路のように通路を作り、一角では整理中なのか、殆ど空っぽな本棚の周りに、至るところに積み上げられた書類やら本やらが塔を作っている。

塔を崩壊させないように、そろりと慎重に歩くあたしは、馴染み深いニオイを嗅ぎとりピンと耳を立てた。


このニオイ!


僅かに残る愛しのダーリンの痕跡に、あたしの気分が一気に盛り上がる。


はふー、ダーリンのにおい〜


ずらりと並ぶ本棚の中で、特別ダーリンのニオイを強く感じる場所に、すーりすーりと頬を擦り寄せる。

あたしのニオイをつけて、しっかりマーキング。ここも、あたしの縄張りです。


「あ、貴女なにしてますの……!?」


思わぬ伏兵に、尻尾が膨らむ。

混じりけのなに純粋な金色の髪、澄んだ青い瞳。キリッと整った眉に、気位の高さを現すようにツンと高い鼻梁。


あああ、知ってる、このニオイ知ってる!

でも名前が出てこないっ


相変わらず高そうなドレスを着ているが、本職はあたしの侍女なはず。

あたしの侍女その①は、胡散臭げな目付きでじろじろとあたしをねめつける。

それも、そうだ。本棚に向かってうっとりしながら頬擦りしていた侍女に、怪しく無いどんな自然な言い訳があるのかあたしも教えてほしい。が、主人に対してその視線は、ちょっと教育がなっていない。

こんなときこそ、犬の出番。

急いで犬の腹下目掛けて頭から突っ込み隠れようって、肝心の犬がいない。


どこいった犬……まてまて、あたし。更に奇行を重ねてどうする。

いや、でも隠れないと。

どこか狭い隙間にすっぽりと入りたい。丸まりたい。


再びあたしの中でお馴染みの葛藤が始まった。

あたしの侍女その①は、にっこりと微笑む。


「あら、貴女、頭に埃が乗ってましてよ。とって差し上げましょう」


気付かなかった。

あ、どうも。と、侍女その①の方へ頭を寄せると、奪うような勢いで頭巾をひっぺがされた。

ぴょっこりと現れるあたしの猫耳。


ちょ、いきなり……!


「…………」


更に無言でスカートの裾を捲られ、こんにちは、とばかりにゆらりと揺れる尻尾。あ、膨らんだ。

が、その①の視線は二倍に膨れ上がった尻尾よりも、とある一点を凝視しており、あ、そういえば今履いている下着は確か……


「こんの、泥棒猫ーー!!」


そ、そんなっ尻尾を掴まないで!


「ハッ! あの部屋の前に置いてあった動物の死骸は、まさか……」


こくっこくっ、とあたしは懸命に頷く。

アレはあたしの記念すべき初の戦利品。勝利の証であり、真っ先にダーリンに褒めてもらうところだったが、下着と頭巾のお礼として、先に彼女たちに人知れず進呈したものだ。

あのときの達成感と充実感といったら、思い出すだけで耳と尻尾がピンと立つ。

対して、侍女その①の口角がひくりと上がる。


「にゃんこに悪気はないにゃんこに悪気はないにゃんこに悪気はないむしろ褒めないと駄目ですわ。……まー、嬉しいですわー、ありがとう」


撫でられた。……ダーリンには負けますが、なかなかのテクニシャンですね。

でも軽々しく喉は鳴らしません。


「あーら、よしよし。いいこですわねー。……ペットの不始末は飼い主の責任! ここは飼い主にきちんと……」


不穏な言葉を聞き付け、にゃんにゃんにゃんにゃん! と凄まじい勢いで侍女その①に取りすがる。


だ、ダーリンには内密に!

あたしはいつでもイイコです!


「まあ! わたくしの言っている事が理解できますのね、お利口さんですこと。人型もとれてますし、魔力も……感じる。魔王が飼ってるだけあって、やはりただの猫ではなかったですのね」


辺りを見回したあたしは、机の上に羽ペンとメモ帳を発見。早速手に取り、意思の疏通を図る。


くっ、プニプニのにくきゅうのせいでペン先が定まらないっ


しばらく羽ペンと格闘しながらも、何とか書き上げた。

“私は人です”


「まあ、ワームが這ったようなガタガタな字っ! ひょっとして猫の言葉かしら、えらいですわねー」


また撫でられた。耳の後ろは弱いのです。

でも軽々しく喉は鳴らしません。

……じゃなくて、あたしの意図がちっとも伝わらない。


「わん」


途方に暮れていたあたしが鳴き声の方に顔を向ければ、犬がいた。

大きな尻尾をゆったりと揺らしながら、あたしにくわえていた何かを差し出す。


なにこれ?


本の大きさの長方形の板だ。

一面はまっ皿で何もない平たい面だが、反対側には古き時代に遣われていたとされる魔術文字が刻まれている。興味深い。

あちこち見ていたら、まっ皿の面に、ぼんやりと何か文字が浮かんできた。


【なにこれ? あ、これって古代文字?】


「まあっまあっまあっ!」


侍女その①の青い瞳がきらりと輝く。

魔術板に伸ばされた手を避けたら、再び新たな文字が浮かび上がる。


【ダメダメ、これあたしの、あたしが先なの】


どうあっても魔術板を手放そうとしないあたしに、侍女その①はニヤリと口の端を歪めた。


「……わたくしから少々質問させてもらいますわ」


【どうぞ】


「小動物を見ると襲いたくなる」


頷く。……既に仕留めました。


「自分の縄張りに、見知らぬ動物が入ってくるのは許せない」


頷く。……寝室に入ってきた犬に敵意剥き出しです。


「熱いものは苦手」頷く。……猫舌です。


「全ての項目に当てはまる貴女は、十中八九、猫です!」


「!!」


衝撃の事実。


「猫には魔術板なんて必要ありませんわね。きっと仕組みも何も理解できなくってよ」


「にゃーーー!」


【失礼ねっ、あたし只の猫じゃなくってよ! ―――これは古代ヴァレスタの魔術文字。

簡単に分析すると、思念、著元、光と闇。といってもこの文字配列、あたしの知ってるやつとは法則と意味も少し違うみたい。きっと、ヴァレスタ文字を知ってる誰かが更に強い効果を発揮するように組み立て考案した、オリジナルじゃないかしら。

どこの誰かは知らないけど、凄い力のある魔術師の作品ね、一度会ってお話したいわ。

って、おおっ? やっぱりあたしの考えてる事が駄々もれだわっ。

……ダーリン愛してる!】


魔術板の文字を見た侍女その①は、そこで初めてあたしから距離を取る。


「……泥棒猫、貴女いったい何者ですの?」


青い瞳に揺れるのは興味と困惑、そして僅かばかりの恐怖。それらを感じ取ったあたしは、高らかに魔術板を掲げた。


【あたしが何者か、ですって?

知ればあたしを泥棒猫呼ばわりしたことを、死ぬほど後悔しちゃうわよ。それでもよければ、よぉぉく聞きなさい!

あたしの名は―――……】


口の中が、嫌に渇く。


まさか、そんな……


嫌な、あたしの中で確かに起こっている大変な事に、背中にひやりと寒気が走る。

暑くもないのにじわりじわりと、にくきゅうに汗が滲む。

胸を打つ鼓動は、緊張によって全力疾走の後のように速い。


そんなまさか!


信じられない気持ちでいっぱいだが、どう頑張っても思い出せない。


そんな馬鹿な事があるなんて……


そんな混乱するあたしに嘲笑うかのように、魔術板に文字が浮かび上がった。


【あたし、自分の本当の名前、忘れてる……?】






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