粉うことなきピンク色
エネリが仔虎ちゃんを救出に動いてしばらくして、ようやくあたしは保護された。
保護してくれたのは、よく鍛練場で見掛けた耳の長い男だ。薄暗い森の中の僅かな光でも、白金の髪がキラキラと光沢を放つ。羨ましい。
ツチアラシに怯えて岩の隙間にすっぽりと収まっていたあたしを何故かあっさりと発見した。
ツチアラシから降りた耳長の男は、踞るあたしを確認しては他の人達に指示を出す。
「ピンクちゃん、発見ー! 城に連れて帰るから。二番、三番隊はこのまま黄金の跡地へ、エネリ殿は恐らくそこだ。……よりにもよって魔王陛下と団長不在時に、厄介事を起こしてくれた不逞の輩にしっかりとキツイお仕置きをくれてやるように」
野太い返事を聞き届けた後、再びあたしへと向き直り手を伸ばす。
「ほーら、おいでー」
テケテケと地面を歩く指は非常に魅力的なのだが、フゴフゴ嘶きながら足をならすツチアラシが怖くて、あたしの足は動かない。あっ、こっち見た!
大きい獣はやはり苦手だ。
「フリージア副長、どうぞコレを使って下さい」
一人の兵士が鎧を脱いで耳長の人に手渡した。
「これは、まさか……」
あれは!
見覚えのある黒みがかった青い鎧に、あたしの耳がピンと立つ。
「ピンクちゃんの隠れ家です」
やっぱり!
岩の前に置かれた鎧の中に急いで飛び込むと、慣れ親しんだ薄暗さにほっと息を吐いた。少し汗臭いが、この際なんでも構わない。
ゆらりと揺れる隠れ家。きっと運ばれているのだろう。
すぐ近くでは「や、やっと取り返したと思ったのに……」「よくやった、それでこそ漢だ!」とやり取りが交わされていた。
揺れがおさまったあたしは隠れ家からそっと様子を窺うと、見慣れない部屋のようだが慣れ親しんだ魔王城のニオイに安心する。帰ってきたようだ。
少しだけ高い視線は、どうやら隠れ家が椅子の上に置かれているかららしい。クッションが張られている椅子のようで、中で身じろぎする度に隠れ家がぐらりと揺れる。どうせなら直接椅子の上で寛ぎだいが、人の気配を感じて急いで頭を引っ込めた。
再び、そおっと顔を出せば、あたしを運んだ耳長の人がいた。
椅子の前でしゃがみ込み膝を付いて、隠れ家からひょっこりと顔を出した小さいあたしとちゃんと目線が合わさる位置にいる。
この人、良い人だ!
いつになく、対等な扱いに感動する。以前思った胡散臭いという第一印象が吹き飛ぶくらいの好感触だ。
「みゅうみゅう」
「ん? 心配いらないよ、ピンクちゃん。エネリ殿は、ああ見えて昔、アスタロット様と一緒に暴れまくってたらしいから。さ、何でこんな誘拐なんてされたのか説明してくれるかなぁ」
「にゃあん」
「こうして一対一で話をするのは、初めてだね。俺はピコリスのフリージア。
ピコリス族ってわかる? 特徴は俺みたいに耳の長い種族で、もとは地上の森小人―――ピコットが魔界に適応した種族なんだけど」
「にゃにゃにゃ?」
「へー、ピコットの知り合いがいるんだ? ピコットは森と共に生きる種族だけど、あいにく魔界には気の会う植物がそんなにいなかったらしくてね。で、我らピコリスの先祖は、森を読み取るはずだった力を方向変えして、思念や声なき声を聞き取る事に特化した一族になったんだよ。
以後お見知りおきを、お姫様」
「にゃ」
「うん、よろしく」
「にゃん、にゃん」
「へぇ、それはそれは」
「にゃーん、んにゃにゃっ」
「……ふうん、で?」
「みゅー……」
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ。子供とはいえ、ヴェルガーだし」
「ミィミィミィミィ!」
「ダイジョブダイジョブ、君のダーリンもその内帰ってくるって」
「み?」
「そうそう」
「にゃっ!」
「どういたしまして」
「…………」
「…………」
「………………にー……?」
「あ、ごめーん、さっき言ってなかったっけ? 猫言葉わかるって」
…………。
そういえばこの人、あたしが隠れ家―――鍛練場の鎧の中に居るときに、常にぴったりと鎧の横に寄り添っていた人の一人なのだが、ちょっと待て。にゃん言葉が理解できるだと?
ま、まさか、あの回りにいた人全員理解できたとか、そーんなことは……
チラッと視線を合わせれば、全てを肯定するような、物凄く良い笑顔がそこにはあった。とびっきりの悪戯が成功したような、そんな笑顔にあたしの血の気は引いてゆく。
あ、あああ、ああああ!!?
いや、落ち着けあたし!? 深呼吸をして、よくよく今までの行動を振り返りましょう!
大丈夫! きっと大丈夫!!
すーはーすーはーー
…………。
え、えーと、隠れ家でしたことと、いえば、
『あっ、おやつの時間だわ。帰らないと! ……ダーリンったら、直ぐにさみしがるのよねぇ、あたしが付いてないと駄目駄目なんだから、んもぅ。待っててダーリン、貴方のハニーが今いくわぁぁあん!』
……冴えない夫と新妻ごっこ、しました。
『あ、そのおやつ、くれるの? わーい、……はっ! 駄目っ駄目よっ、気持ちは嬉しいけど、あたしには既にダーリンがっ、ダーリンが用意してくれているおやつがっ。侍女さんからはマドレーヌ、厨房の皆さんからはゼリー、通りすがりの人からは特産果物、さすがのあたしも、これ以上浮気するとダーリンのおやつを食べれなくなっちゃう……。モテる女って罪なものね』
……人妻不倫ごっこ、しました。
日頃のストレスを発散すべく、はっちゃけ過ぎた痛い妄想を全て聞かれていたわけですね。
ご機嫌で尻尾立ててやってきた所から、興奮して雄叫び上げながら走り去る所まで、全部、ぜぇーんぶ、聞かれてたわけですね。
そうですか、そうですね。
はい、頭の中身がピンクちゃんですっ。
いや、生ぬるい、むしろ、うっふんニャンコっ!
…………。
……くらえっ、猫パンチ!!
誘拐事件から、数日後。
―――カリカリカリカリ……
ダーリン不在の寝室には、あたしの爪が一心不乱に扉を引っ掻く音だけがこだまする。よく分からない誘拐事件から、大きな傷は無かったものの、小さな傷を至る所に作ってしまったあたしは、順調に回復したものの、しばらく痛さと筋肉痛で動けなかった。飼い猫ライフは快適なものの、自堕落に過ごしすぎたツケがこんなところに出てしまったのだ。以前のあたしなら、正直考えられない。
日ごろの運動不足を解消すべく、縄張り巡りと、そして戦闘の勘を取り戻すべく、魔王城の番犬ケルベロスを相手に一対一で命懸けの遊びにでも行こうかと思案していたのだが、どうも扉に鍵が掛けられているようで、どんなにドアノブに対し奮闘しようが全く開く気配が無かったのである。
……そう、あたしは軟禁されていた。
運動不足のストレスでイライラする。というか、この閉塞感が受け付けない。
苛立ちに苛立ったあたしは、そんなことしても開きもしないと分かってはいるのだが、カリカリと扉を引っかき傷跡を残し、イライラをアピールすることにしたのである。求む、現状説明!
カリカリカリカリ
爪とぎに勤しんでいたあたしは、扉の向こうで音を聴きつけ耳を立てた。
何かが近付いてくる音がする。それも二本足ではない、四本足……
―――ヤツだ!!
急いで戸棚の上に飛び乗った。
カチャリと鍵を開く音の後、扉が開き、入ってきたのは大きな犬だ。真っ黒な、というには少し色が薄く、灰色というには少し重たげな色の不思議な毛並みの犬である。耳にはおしゃれだろうか、耳飾りをしている。が、あたしのリボンの方が、断然おしゃれである。なんたって、ダーリンからのプレゼントだ。
この犬ときたら、あたしが散らかした玩具や乱したシーツなど、器用に獣の前足を使って綺麗に納す。
これは、あれか。
魔王陛下に相応しいペットは、我が儘で散らかすだけの猫なんか目じゃない、お利口さんな犬ですよ、と、そう言いたいのか?
チリッとあたしの中で闘争心が燻る。
いやいや、これはただの言いがかりではない。
この犬、あたしが散らかした部屋の惨状を見るたびにチラッとあたしを見ては、わざとらしく「……はぁ」と溜め息を付きやがるのだ。
前回はダーリンの机の上にあるメモ帳を机と壁の隙間に押し込んで見たら、それを見た犬は「ったく、コイツは。またこんな悪戯しやがって」とばかりにじとっとした目であたしを見ては、器用に取りだし、元の状態に設置されたメモ帳を見ては、「よし」とばかりにふさふさの尻尾を振った。
このときの犬は、きっと「やったぜ、ちゃんと綺麗にしたぜ、お利口さんの僕は絶対にダーリンから褒めてもらえるぜ」なんてな事を思っていたに違いない。どこか達成感溢れる背中がそう語っていた。
更に気になるのは、首に掛けられている鍵束である。犬に鍵束。これはひょっとして、ダーリンから、かなりの信頼が置かれている証拠ではなかろうか? それに、この寝室へ入ってくる時もどうやらその鍵束の鍵を使っているようである。
おのれ〜!
覚えてなさいっ、こんなことで諦めるあたしではないのよ!
これは一体誰の差し金か。
あたしの悪戯に嫌気がさした宰相さんか、はたまた、あたしを食べようと虎視眈々と狙う女神さまが、ダーリンの寵愛を失ったあたしを下賜されようと思ってのことか。
が、甘い!
こんな障害はあたしにとっては屁のようなもの。
ダーリンの寵愛はあたしのものなのよっ!
…………。
でも、下には降りません。犬こわい。
たまに、じーっと見てくるが無視します。犬こわい。
が、今回はまだ何もしていない事に気がついてしまった。
ぐぬぬ……、ここで尻尾巻いて見てるだけなんて、そんな根性無しの猫ではないのよ。み、見てなさい、今にぎゃふんと言わせてやる。そして宰相さんにでも、女神さまにでも泣きつくがいいわっ
犬が他の場所の掃除をしている間に華麗に着地を決めたあたしは、すぐさまベッドにある毛布を咥えて、そのままベッドの下に逃げ込む。
犬は、隙間は覗けるものの身体は大きすぎるために、入ってくる事は出来ないはずだ。
ホホホ、これで手も足も口も出まいっ
早速あたしの行動に気付いた犬は、ふんふんと鼻先をベッドの下に突っ込む。……しかし、場所が悪かった。
犬の鼻先を擽るのは、いつかダーリンの執務室からこっそりちょろまかしたあたしのお気に入り、羽ペンである。すぐに、鼻先の異変に気付いた犬は、器用に前足を使ってはベッドの裏に引っ掛けて隠した羽根ペンを取り出してしまった。その後、「はあ」とわざとらしい溜め息が聞こえてくる。
ああああ! 羊美少年の掃除の目からも掻い潜って来た隠し場所だったのに!!
次に毛布をしっかりと両手で抱え込んでいたあたしの目に入ってきたのは、見覚えのあるふかふかの白い毛並みだった。
……ブランカ!?
なんと、犬はあたしの弱みを知っていたらしい。人質にされたあたしの友、白いくまのぬいぐるみは、「助けて……」とばかりにくりくりの黒曜石の瞳を悲しく輝かせる。
ひ、卑怯者ー!!
愛する親友を取り戻すべく、ベッドの下から這い出たあたしは、黒鉄の巨体に向かって飛び掛かる。対する犬は、あたしの突撃にも全く怯むことなく悠長に構え、横っ腹に頭を突っ込む形となってしまった。
ふかっと心地良い毛並みの感触があたしを包む。
うわっ、すっごく気持ちいー
遠目からでも艶やかな光沢を放つ毛並みは、期待を裏切らずに極上の感触をしていた。あまりの感触に思わず身体をのめり込ませる。
あったかい、あったかい。ぬくぬく……
意図せずに腹下にすっぽりと収まる形となったあたしは、うっとりと目を細めながら、遠い記憶に思いを馳せる。規則正しく刻む鼓動に耳を澄ませた。
エネリの腹下に潜り込んでいたときも、丁度いまのような、懐かしいような、暖かい何かを思い出す感覚に襲われた。そう、とっても懐かしく、とってもムズムズと両手がするような……
ふみふみふみふみ
そして、何故か両手を足踏みするように何度も動かしてしまうのだ。
ふみふみふみふみ
…………はっ!
犬と馴れ合ってる場合ではない。
腹下から飛び出したあたしは、早速ブランカの救出に取り組む。
少しでも犬から遠ざけようと身体全体を使って動かそうと頑張るが、あたしの身体よりも大きいブランカを少し移動させるだけでもなかなかの重労働だ。
と、その様子を見ていた犬は奮闘するあたしに何を思ったのか、ぱくっ、ヒョイッ! とブランカをくわえては、あっさり目的地であったベッドの上に運んでしまった。
なんだろう、この気持ち…………
…………お、
……お礼なんて、誰が言うものか!!