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音の離宮



―――。




濃い緑の香りと、平たく研磨された石の感触。

土塊と廃墟のニオイ。


懐かしい。




ゴトゴトと不規則に揺れる音に反して馬車の中は快適だ。最上級のクッションが衝撃を全て吸収しているからである。

それもそのはず、今この馬車に乗っているのは、あたしの他に一国の姫君が乗っているのだから。


「皆さん、今日は私の我儘でごめんなさい」


可憐な声に顔を上げれば、向かいに座る艶やかな銀色の髪の少女―――あたしの姫様だ―――が、長い睫毛を伏せながら詫びた。

詫びる言葉に反して、春先の小鳥のように弾む口調が隠しきれていないのが微笑ましい。

普段はお澄まししている王族の顔から、時折でる年相応の少女らしい幼い仕草が見ている者の庇護欲をくすぐる。


「何をおっしゃいますか、姫様のお可愛らしい我儘の一つや二つ。私、喜んで叶えますっ」


「そうです、姫様ぁ。それに遺跡の見学はぁ、とても有意義なものだと思いますー」


あたしの他に同行する侍女たちも、すかさず小さな主を擁護した。

そっと窓の外を覗けば、隙なく馬車を守る黒い隊服の騎士さま達。

彼らは、今回の姫様の遺跡見学に同行する護衛、王族の道楽のために危険に付き合わされることとなった哀れな騎士さま達だ。

どんなに聡くとも姫は姫。

王家の子女は、国家の繁栄の為に他国に嫁ぐか、有能な家臣に降嫁されると“使い道”が決まっているのだ。他国の妃にも、貴族の婦人にも、歴史の知識は必要でも、直接遺跡に触れるような実践はさほど必要ではない。

姫様はもちろん、それを理解しているので、最初に謝ったのだろう。

しかし、諸悪の根元は別にいる。

此度の道楽に巻き込まれた黒の騎士さま達に、あたしは心の中でこっそりと詫びた。


事の発端はいつだったか、寝付けない姫様にあたしが語った物語だ。

遠い昔に滅びた国の歴史。

今もなお、廃墟となって残る栄華と衰退の跡を証拠として、おもしろおかしく語った事にある。

いわく、授業で習った話より断然詳しく面白かったとの事だ。

調子に乗ってしまったあたしは、更に詳しくベラベラと教えてしまい、これをきっかけに姫様は遺跡に興味を抱き、実際に自身の目でみたいと見学を熱望されたのだ。

あたしも一発で墜ちてしまった可愛らしい姫君のお願いに、師事していた老学者は大層喜び、今回の見学の話はトントン拍子に進んだのである。

あたしとしても、普段は我慢ばかりの姫様の可愛らしい我儘の一つや二つ、叶えるためなら喜んで裏で手を回します。

いやぁ、なになに、殿下にさりげなーく姫様のお願いをお伝えたり、普段来る姫様の教師には少しお休みしていただいて(教師の奥様と親交の深い侍女仲間にお願いすれば、簡単簡単!)、ちょうど滞在していた発言力のある老学者が師事しに来るようにしたり(こちらはあたしとは別の侍女が、接待係の侍女と交代してもらい、姫様に興味を持つよう仕向けた)、と主の為に暗躍しまくった。


しかし順調に取り進められた遺跡の見学計画は、直前で思わぬ事態に遭遇した。

護衛の問題だ。

本来ならば、妹姫を溺愛する殿下が率いる銀色の騎士たちが護衛を担当するはずだったのが、彼らは急な用事で王都を離れなければならなくなったのである。

一時は決行さえ危ぶまれたが、非常にこの見学を楽しみにしていた姫様の曇る表情に、ドラゴンの一声ならぬ、王様の一声。


「余の可愛い末姫や、黒の騎士たちを連れて行くがよい」


そして、あっさりと出発が決まった。


この国には、王を守護する無色の精鋭たちの他に、二つの色の騎士団が存在する。

一つは、武功優れた殿下を慕い、彼の元に集い銀色の旗を掲げる騎士たち。

一つは、公爵家の長男が寄せ集めた家名に傷のある貴族や身分の低い者たち。

両者共に功績、実力は遜色は無いが、前者は宮廷内でも脚光を浴びているのに対し、後者は今一つ評価が悪かった。

そんな両方の共通点はひとつ。


王に忠誠を誓い、国のために尽くす事である。


王からの勅命を断れるはずが無かった。

公爵家嫡男の団長と、自ら率いる精鋭たちが護衛に駆り出された事となったのである。


黒の騎士たちは、身分の低い者がいるためか、多少上品さには欠けるが、騎士道に背かず女子供のあたし達に何かと気を配り、道中ものびのびとした明るい雰囲気で、快適な旅となった。

“山賊上がり”などと王宮内で後ろ指を指されようが、彼らは紛れもない国を代表する騎士団の一つだとあたしは思う。


「ちょっと、誰よ。黒の騎士は野蛮だとか言ってたのは。いい男ばかりじゃないのさ」


と、小声で言いつつも熱心に一点を見つめる仲間にすかさず探りを入れる。


「あらやだっ、もしかして、もしかして?」


「春の訪れですかぁ? 応援しますから、お相手教えて下さいよぅ」


教えてくれない同僚に焦れて、視線の先を辿れば、この大陸では珍しい漆黒の髪と瞳を持つ男性。

遥か東の大陸の血を感じさせる涼しげな美貌は騎士達の中でも一際目立つ。

妙に人目を惹く何かと同時に、おいそれとは近寄りがたい印象があった。

確かに格好いい、格好いいが……


「あの人は、例のご令嬢ご執心の方じゃなかったっけ?」


「すでにー、お付き合いしてるって聞きましたよぉ」


「そうなの? すごーい、まさか将来は侯爵様? それとも伯爵様?」


「どちらにしてもぉ、「あの人は、まずいと思う」」


最後は見事に合わさり二重奏を奏でてしまった。


「ば、ばかっ、そこまで私は命知らずじゃないっての。

愛人になるだけで、果てしなくイビられそう……

じゃなくて、私の狙いは向こうの人!」


「……命知らずではなくても、愚か者ではあるようね」


地を這うような低い声に、あたし達はお喋りを止めてピシリと固まる。


し、しまった、忘れてた。


今回はあたし達の総監督として、恐ろしの女官長様も同行しているのだった。


「よくも、主を放置して姦しくお喋りできるものですね。貴女方は一体何しに来たのですか!

多少のお喋りは目を瞑りますが、姫様の教育上、都合の悪い話は大概になさい!」


以降は、貝のように口を閉じるあたし達であった……


黒の騎士たちの警護の中、大した問題もなく遺跡に到着した。

倒壊の危険もある、古びた都の跡を学者達の案内もあってか、これも滞りなく事が進んだ。

そして、程無く本日の目玉とも言える宮殿跡地にたどり着いたのである。

学者たちが熱心に姫様に説明している中、生憎出番の無いあたし達侍女は、交代で休憩を取ることとなったのだ。

学者たちに姫様を盗られ、暇をもて余したあたしは、せっかくなので見学をさせてもらう事にした。



かつては毎夜のように舞踏会を催された広間を後に、鬱蒼と雑草が茂る中庭を進む。

泥土と苔を纏わせながら転がっている石塊を見つけたあたしは、手と魔力を使って汚れを払えばかつて奉られていた聖獣が姿を現した。

鷲の頭に翼、そして獅子の胴体。


風を友とする翼ある獣は、あたしの仲間。


繊細な技巧の彫刻にうっとりと眺めて溜め息を吐きながら、中庭の一番目立つ所に飾る。


「うふふ、頼もしい番人だわ。心無い盗掘者たちをしっかり撃退するのよ」


撫で撫ですると、きらりと瞳が光ったような気がした。

自分の手で綺麗にして飾ったから、愛着が出てしまったかも知れない。


庭に横断する朽ちた回廊を歩いては、一番のお気に入り場所を目指す。

ここに来るのは、初めてではないのだ。

広間のある本殿より、少し離れた場所に建てられた離宮だ。ここは建物の大部分が残っている。面白い細工が施されたこの離宮を、あたしはとても気に入っていた。雨の日ならばさぞかし素晴らしい音が聴けただろうが、残念ながら今日は晴れだ。


ところが思わぬ先客に足を止める。


さっき話題に出た、黒い騎士だ。


恐らくあたし達と同じく騎士たちも休憩を回しているのだろう。


今頃ご令嬢とイチャイチャしてるはずなのに、悪いことしちゃったわー……


暇そうに一人ぼんやりと佇む彼に、僅かばかりの罪悪感がチクチクとあたしを責めた。


「何か音を出せば、いいんですよ」


声を掛ければ、髪と同じく漆黒の瞳があたしを捉えた。

目を丸くさせながら、こちらを見てくる。

そんなに驚かなくてもいいのに、と内心苦笑いをしながらあたしは続けた。


「ここは古の王が、音楽を愛する女性の為に建てた離宮だそうです。

だから音が良く響くように造られているんですよ。

ここは建物の大部分が残っているので、今もその効果は衰えていないんです」


成人男性が瞳をぱちくりさせるのは、意外と可愛い。失礼な感想を抱く。

しかし、それ以外何の反応もない。

余計なお世話だったかしら、と再び内心苦笑いをする。

気まずさを隠しながら、あたしはあたしで見物を楽しむ事にし部屋を後にしようと踵を返しかけ……


―――ぱちんっ


何かを叩く音に顔を上げれば、ぎこちなく手の平を合わせる黒髪の騎士さまの姿があった。


まさか、まさか今、手を叩いた?


反応があったことに素直に嬉しく感じるが、それよりも驚きが勝る。


音を鳴らすのなら他にも方法があるのに、まさかの手拍子!


取っつきにくい孤高な人のイメージがあっただけに、その驚きもひとしおである。

更に驚きに包まれる。


「……本当だ、音がよく響く」


僅かに上がる口元。

鋭い印象だった目元が緩み、途端に幼くなった表情に思わず目を奪われる。

近寄りがたい雰囲気があっという間に離散した。

自然と嬉しくなったあたしは、再び口を開く。


「モゴッ!」


あれ?


喋ろうとしても、なぜか口が開かない。

あの後、あたしはダーリンに向かって普通に話かけたはずなのに。

『にゃあーん』の『にゃ』の字も言えないなんて、そんなバカなことが。




あれ? 『にゃ』の字?




―――。





「もごーーーっ!!」


飛び起きたあたしは、やっと夢を見ていた事に気が付いた。


ダーリンとの愛のメモリー、その1。


くそぅ、こっちが現実ね……


蜂蜜色の毛並みと変わらず揺れる尻尾を確認して、軽く絶望する。

紛うことなき、にゃんこです。

久々に夢の中に出てきたダーリンは、やっぱり格好良かった。

はやく帰ってきて、抱擁を交わしたい。少し照れ臭いけれど頑張ってお帰りのキスを頬にしたい。

いや、今は猫だから、思う存分撫で撫でして欲しい。


頬ちゅーも気兼ねなく、いや、むしろ舐めてやる!


胸の中で決意を固めつつ、夢見心地のままで「もふぅー」と溜め息を付く。


『?』


何だか口から吐いた熱が逃げていかない。


そのせいか、口元に熱がこもって気持ち悪い。


目元をこしこしと擦り、何気無く口元に手を移動させ毛繕いをはじめようとして、ようやく事態に気が付いた。


く、口に何か嵌められてる?



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