番外編:とある侍女の奮闘記・中
ティーカップ片手にお菓子を摘まみながら、侍女'sの皆さんと議論を交わします。
フォックスの半端者がっ!
この間なんか。
何故こんな事に。
サーベルキャットの被害も……
許せない!
大半がフォックスの半端者に対しての愚痴ですが、サーベルキャットの事も忘れてはいけません。
やがて会議も最高の盛り上がりを見せました。
一人の隊長格侍女'sが両手をテーブルに付き、勢い良く立ち上がります。
「みなさん! このようなフォックスたちの暴挙を、これ以上許容する必要はあるのでしょうか?
いいえっ、ありません!」
「そのとおりですわ!」「許せませんっ」他の侍女'sが後に続きます。
「わたくし達は、耐えました。
サーベルキャットの脅威に晒され怯えた日にも、フォックスたちの傲慢な態度にわたくし達が貶された日にも、耐えに耐え抜きました……!」
「あの子は、まだ傷が癒えて無いのでしょう?」「お可哀想に……」「恐ろしいわ」わたくしも演説に耳を傾けつつも、口を交わし合います。
「今こそ立ち上がるのです!
わたくし達は!
この手で!
自由を勝ち取るのです!」
演説が最高潮に達した時「そうよ、そうだわ!」「まぁ、素敵っ」「自由を!」「やりましょう」「やりましょう!」―――わぁぁぁあぁぁ!! と、大歓声が部屋に響き渡りました。
「……それで、一体誰が陛下に直訴いたしましょう?」
「うおっと! いきなり入るなよっ」
わたくし達はノックもそこそこに部屋に入り込みます。
「フレイル様!」「フレイル様」
「わたくし達」「聞いて下さいましっ」
「相談があって参りましたっ!」
そうです、わたくし達直属の上司。
侍従長にして、魔王陛下の傍仕えでもあるフレイル様を頼る事にしました。
陛下が信頼を置くフレイル様ならば、わたくし達と違い直訴しても陛下の不快はそれほど買わないはずです。
すっかりお寛ぎ中だったフレイル様は、鉄色の大きな狼の姿でベッドに寝そべっておられました。
フレイル様は、ファングルフと呼ばれる鉄の毛並みを持つ魔狼の一族で、当然二つの姿を持つ一族であられます。
通常、いかに二つの姿の一族と言えど、獣の姿になると喋れなくなるのですが、フレイル様は別です。以前、気合いと根性でマスターされたと伺っております。
よく見れば尻尾の毛が少し逆立っているので、わたくし達の訪問に驚いているようです。
わたくしも少々驚きました。
フレイル様の獣姿を見るのは初めてではありません。
ですが、このようにじっくりと見るのは初めてです。
普段は人型のフレイル様は、無難、少々悪く言えば無個性のお顔立ちで、他の華やかな面々に埋もれがちなのです。
ところが獣姿のフレイル様は、鉄色の毛並みが艶やかに光沢を放ち、逞しい狼の体躯からは堂々たる存在感が漂い、ハッと目が惹かれるものがございます。
ゆったりと尻尾を振られる様は、まるで強者の余裕にも見えます。
失礼なようですが、普段のお澄まし顔で控えめなフレイル様と全く同じ人物には見えません。
鉄色の毛並みに栄える魔力の篭った耳飾りだけが、フレイル様だと知らしめる唯一の手がかりです。
非常に貴重な情報を獲ました。―――フレイル様は、ギャップ萌え、でございます。
わたくしの心の中は、本題からズレにズレてしまいましたが、話は他の侍女'sが進めてくれたようです。
さすがでございます。持つべきものは優秀な同僚です。
フレイル様は頭が痒いのか、後ろ足を忙しなく動かしながら、最後には頭を振りつつ、非常に気の無い様子でございました。
「あー、その件なら大丈夫だろ。さっきフォックス共の明細書みて眉しかめてたし、そろそろブチっとキレる頃だ」
しかし、わたくし達侍女'sもこのまま引き下がるわけには、まいりません。
「フレイル様、もっとちゃんと聞いて下さいまし」と一人の侍女'sが言ったところで、
ピッシャーーン!
と何処かで雷が落ちました。
それと同時に「フレイルは! フレイルはどこだ!?」という怒声が響き渡ります。
ま、魔王陛下です。
お怒りです……、とてもお怒りでございます……!
この場にはいらっしゃいませんが、魔王陛下のあまりの剣幕にわたくし達侍女'sはフルフルと震え、互いに身を寄せ合います。目の前に怒り狂う陛下が居られようなら、全員卒倒する自信がございます。
対して、フレイル様は平然と「はいはい、今いきますよ、ってちょっとキレすぎじゃね?」といいながらシュタッと疾風の如く素早い四本足で行かれました。
さすがでございます……!
あれくらいの胆力が無ければ、侍従長も陛下の傍仕えも到底勤め上げる事はできぬのでしょう。
何を隠そう、わたくしの野望は長年空席の侍女長の座に収まる事でございます。
素敵ではございませんか、わたくし達のような有能な侍女を取り仕切り、また魔王陛下にも信を置かれ、六柱のお方や他の権力者にも意見が言える、“デキる女”。
―――魔王城の秩序と品格は、わたくしが取り仕切るのです!
一度でいい、言ってみたい……。
憧れます。
今のわたくしでは、夢のまた夢という、大それた野望でございます。
その後、わたくし達が魔王陛下の怒気に当てられ、怯えて廊下でもフルフルしていましたら、すぐにお戻りになったフレイル様はフルフルするわたくし達を宥めながら率いり広間へと集まります。
既に他の部署の侍従侍女、更には下男下女も集まっています。
「大掃除するぞー、猫の毛の一本たりとも残すんじゃねーぞー」
素晴らしく簡潔なフレイル様の説明に、各々目当ての掃除道具を手に城の配置部署へと散らばってゆきます。
準備のよろしい事に、ほぼ全員の掃除道具を一式揃えて下さってました。
これは恐らく、前もって『こうなる』と察しておられたのでしょう。
さすがでございます!
サーベルキャットの子供たちが、兵士の方々によって次々と捕らえられ、籠に入れられて行きます。
あんな脆そうな籠で破られはしなのでしょうか、魔法金属の檻の方がいいのではないのでしょうか、と内心ハラハラと見守っていたわたくしでしたが、大丈夫なようです。
しかし、こうして籠という柵ごしで見ると、捕らわれた獣は少々憐れを誘います。
この子たちは、おそらく元にいた場所へと帰されるのでしょう。やはりサーベルキャットは山岳の岩山を駆け回るほうがお似合いです。
願わくは、今後もしもわたくしと山で遭遇しましても、食事の準備をしていたのはわたくしだった事をずっと覚えていて下さいまし。そして、その恩義に報いるよう、襲わないで見逃して下さいね。
フォックスの半端者たちも、魔王城に留学という名目で来ていたようですが、どうやら無駄なお金の使い込みがバレてしまい、荷物を纏める事となったそうです。
やはり、あのような所業を魔王陛下がお許しになる筈なかったのでございます、当然です。
結局、何が彼女たちをあんなに増長させる結果となってしまったのでしょうか。
今となっては、どうでも良い事です。平和な日々に戻れるのですから。
恐怖と屈辱の痕を消すように、わたくし達は掃除に勤しむのでした。
この大掃除を持って、このフォックス騒動は幕を降ろしたのでございます。
しかし、まだ真の終わりではありませんでした。
サーベルキャットの脅威は去った訳では無かったのです。
再びサーベルキャットの子供が城内で見掛けられたのです。
「あ、あちらです」「あちらですわ!」裾をたくしあげ、あくまでもお上品に早足する侍女'sの皆さんにわたくしも続きます。
通路の影に隠れながら様子を伺います。
……いました。
通路の陽当たりのよい場所で、くああああ……、とあくびをしながらうっとりと気持ち良さそうに目を細めています。そのうちにその場でペタリと腹を絨毯につけ寝転がりました。
あの黄色い毛並み。あれは、全ての発端となった、魔王陛下の“飼いサーベルキャット”の子供です。
しかも、このあたり一帯を支配していたボス・サーベルキャットに闘いを挑み、更には討ち取ったとの目撃談が寄せられています。
最近見掛けなかったので、わたくし達はてっきり魔王城を追い出されたものと油断していたのです。
あくびの時にチラリと覗いたあの、なんと鋭く尖った牙。
なんと、恐ろしい……!
わたくし達は恐怖で竦み上がりました。
一度芽吹いた恐怖はそう簡単には拭えません。
中には抱いてみたい、という強者の侍女'sもおりましたが、そんな事をすれば、あの強靭な顎で指を噛み砕かれ、もしくは鋭い爪で腕を引き裂かれることは必須です。
サーベルキャットの寝そべるあそこは通路の真ん中。
わたくし達はあのサーベルキャットに恐れをなし、以後は使用人用の通路を使う事を余儀無くされたのです。
見ず、触らず、近付かず。
この三つの掟を守り、わたくし達は日々仕事に勤しみます。
そのせいか、サーベルキャットに襲われたという侍女'sは一人もおりません。
恐らくはもう、大丈夫でしょう。
正直、気が緩みました。
命の心配無く、気を張ることなく仕事をできる事は、なんと素晴らしい事でしょう!
勤続十年、もはやベテランとも言えるこのわたくしは、そのような油断からか初歩的とも言えるミスをしでかしてしまったのです。
わたくしは慌てました。
執務中の魔王陛下に一息ついて頂く為にお茶を淹れた時でした。
手元の狂いから、カシャンと音を立てて倒れたティーカップ。更には床に敷かれた絨毯にまでポタリポタリと染みを落としていきます。
極めつけに、場所は陛下の執務室前にございます。
なんてこと!
しかも、陛下の執務室へ入室許可のノックはもうしてしまいました。
このままでは、いつまでも入室しないわたくしを不審に思われ、様子を伺いに来られるでしょう。
そうすれば、わたくしの失態は魔王陛下にまで知られてしまいます。もしかすると、宰相閣下もご在室かも知れません。
一体どんな叱責を受けるのでしょう。
考えただけで足が竦みます。
しかし、わたくしはこの一大事に、カップを片す事も逃げる事も出来ぬまま、裁きの時を待ち震える足で呆然と突っ立つ事しか出来ませんでした。
すぐにその時は訪れました。
見事なレリーフが施された扉が開きます。
現れたのは、魔王陛下です。
闇色の御目に闇色の御髪、闇色の布地に金色の非常に高度な呪避けが施された闇一色の隙のない完璧な出で立ちです。
単色の服、しかもそれが黒となると、通常重苦しくなってしまうのですが、所々に散りばめられた金糸の刺繍や銀の小物によって見事に中和されています。
うっとりします。
さすが魔王陛下、とってもお似合いでございます!
でも、今は陛下を観賞している場合ではありません。
よりにもよって、陛下にわたくしの失態が知られてしまうなんて……!
……いま気付いたのですが、腰に挿しておられる剣の柄に、て、手を掛けて、
「……こら、レディ」
低い声のお叱りに、わたくしはただ我が身の無事を願い、ひたすら身を縮こませました。
も、申し訳っ、……えっ!?
見ればいつの間にか、カートの上には魔王陛下の飼いサーベルキャットがいるではありませんか!
こぼれた紅茶の隙間に器用に足を四つ足をついては、綺麗に盛られたお茶菓子を摘まんでは、もぐもぐと口を動かしています。
陛下に気付き顔を上げた飼いサーベルキャットは、全く悪びれた様子も無く「あー美味しかった!」とでも言いたげにペロリと口元を舐めました。
そんな飼いサーベルキャットのご様子に毒気を抜かれたらしい陛下は、苦笑いしながら溜め息を一つ。
「せっかく淹れたものを無駄にして、すまない。
レディにはよく言って聞かせよう」
とんでもございません!
へへへ、陛下から、なんというお優しいお言葉を!
「…………レディ」
魔王陛下がたしなめるようにお名前を呼びますと、陛下の飼いサーベルキャットはちらりとわたくしを一瞥して「にゃあん」と尻尾を揺らしながら軽やかに執務室へと入って行きました。
静かに閉じられる扉に、一人ぽつんと廊下に取り残されるわたくし。
わたくしの胸の内は混乱と困惑でいっぱいです。
恐ろしくて合わしたことのないサーベルキャットの瞳。初めて間近で見た爽やかな翠のお目には、確かに光る知性の輝き。
わたくしは悟りました。
陛下の飼いサーベルキャット―――いえ、レディ様に庇われてしまったのです。
結局後から来られた宰相閣下に、絨毯にたっぷり染み込む紅茶を見られ物凄く叱咤を受けてしまい、陛下にはもう一度……、正確には再びレディ様の仕業となり―――助けられてしまいました。
困惑を胸に抱えながら悩むわたくしは、それから数日後、深い後悔に陥ることになるのです。