黒革の日記帳3
エリー・ファンタベリー
辺境、ファンタベリーの森出身。
邪教の生け贄にされかけたところ、召喚されたソルディ・ダンによって保護される。
家族は既に死去。(家族の死が彼女が生け贄にされるきっかけとなったと推測。あまりに下らない理由のため割愛)
本人の強い希望により、魔界へと連れ帰り今に至る。
ソルディ・ダンの下心が透けて見える為、扱いには要注意。(あわよくば魔王様の側室にでも、という魂胆が見え見え)
マリベール・ロートリンス
伯爵名家、ロートリンスの長女。
アカンタ魔術学校、第十七期主席卒業。(学長殿の協力により当時の成績表を添付)
堕ちた勇者と浅からぬ縁があり、彼女が魔界にきた目的もそれと思われる。(堕ちた勇者の詳細については、別紙に記載する)
自力で魔界を渡ってきたところ、アンク・デネットにて捕縛される。
彼女に地上に戻る意志はなく、また力のある名家の跡取り(嫡男は既に死去)でもあり、扱いには非常に注意をする必要がある。
魔王陛下におかれましては、―――。
うちの猫をどうか見にいらっしゃいませんか。
最近保護したしたのですが、うっとりする艶やかな毛並みに、琥珀のような瞳で―――。
とても、いい子で呼べばすぐに―――うんたらかんたら。
きっと魔王様も気に入ると思います。
最後の親書は丸めてレディに投げたら、凄く喜んで飛び掛かっていった。
***
報告書に上がっていた例の二人が謁見に来た。
まずはマリベール・ロートリンスについての処遇に頭を悩ませる。
彼女の無理な界渡りは、魔界の膜を傷付けた。暗黙の理解ではあるが、こうも大っぴらにやってくれると見て見ぬフリは出来ない。
かといって、あまり重い処罰はロートリンス家とアカンタの学園長が黙ってはいない。
辺境へ追いやるならば、目的を持った彼女は思うがままに行動し、魔界の法を犯す恐れもある。そうなると重い処罰は必須となり、やはり二つの勢力が黙ってはいない。
とんだ厄介事が舞い込んでしまった。
なんとか目の届く範囲内で、魔界の常識を学ばせつつ、とっとと帰って貰うように仕向けなければならない。
と、思案していたら、ソルディ・ダンが謁見の間に乱入してきた。例のエリー・ファンタベリーも一緒だった。あえて飾り立てずに素朴な服装なのは、以前豪華絢爛な貢ぎ物に見向きもしなかったからだろうか。
先に謁見の間にいたロートリンスを見て、何を勘違いしたのかやたらと早口で貢ぎ物を勧めてくる。
さすがにイラッとしてしまったので、退出を促すと火の付いた勢いで出ていった。
少しきつく言い過ぎたかも知れないが、肝心のエリー・ファンタベリーをその場に残したままだ。
捨てられた仔犬ように見てくる彼女を一体どうしろと?
再び頭を悩ませていたが、救いの女神が降臨した。
普段は蜂蜜色の毛並みは、日射しが差し込んだ謁見の間では神々しいまでの黄金色になっていた。
救いをもたらす黄金の猫は、堂々と謁見の間へと降り立ち、一つの天啓をもたらしたのだ。
…………
すこし、大袈裟に書きすぎたかもしれない。
レディが散歩から戻ってきた。
ドードの照り焼きらしきものをくわえたレディを見て、閃いたのが本当だが、気分的にはそれくらい盛り上がっていたのである。
二人にレディの侍女となるように言い渡すと、当然ロートリンスは拒否した。
叱咤されて、耳がしょんぼりとしてくるレディ。その様子を見ていると、不可解な衝動に襲われる。撫でくりまわしたいというか、下がった耳を両手でそっと摘まんで立てたいとか。
ところが、レディは逃げずにロートリンスに向かい合った。耳は横に引かれ、背中や尻尾を逆立てる。
勇猛果敢にも立ち向かおうというらしい。
さあ、行け! 言ってやれ、レディ!
と内心、誇らしく応援ながら様子を見守る。
しかし次の瞬間には「ふひーっ!」と空気が抜けたような、気の抜けた声が響き渡る。
皆身動ぎせずに一挙一動を見守っていただけあって、それはもう、綺麗に響いた。
可愛い、可愛い過ぎる。
ニヤつきそうになる口元を必死に隠しながら、ちらりとレディを確認すれば、生まれたての小鹿の様にふるふると震えていた。
この様子に胸を撃ち抜かれてしまい、とうとう衝動に負けてレディを呼ぶと、文字通り飛んでやってきた。
魔王の威厳を保つ為にも、片手でしか相手できないのが非常に残念なところだ。
そのためにこの後、服を一枚失う羽目になるとは、一体誰が予想出来たかというのか。
***
二階の渡り廊下を歩いていると、マリベール・ロートリンスを下階で発見。
柱の影に隠れて、何か熱心に見ている。興味をそそられ視線を辿ると、中庭にレディと虎型ヴェルガーがいた。
エネリ・ブラウはまだ巣穴を離れる準備が整っておらず、今はまだ集落にいるはずなので、あのヴェルガーはその弟、ガウディ・ロウだ。
レディはガウディ・ロウの尻尾に夢中になっていて気付いていないが、一方でガウディ・ロウはロートリンスに気付いており、時折牙を見せては牽制をしていた。
ロートリンスは、くわっ、と鋭い牙を見せ付けられる度に身体がびくりと震えてはいるが、一向に立ち去ろうとはしない。
睨むように熱視線を送っていたが、妙に右手がわきわきと指が動いていた。
まさか、触りたいのではないのだろうか?
不用意に他者に触られる事を嫌うヴェルガーに無体を働きたいなどと、とんだ命知らずがいたものだ。
そのうちガウディ・ロウがむくりと起き上がり移動を開始する。
が、そこで信じられないものを見た。
ちょっと待て、ガウディ・ロウ!
いまレディの首根っこを思い切り噛んでいなかったか!?
いや、見間違いではない!
首に噛み付かれ、ぶらぶらと揺れる蜂蜜色の小さな身体。
ガウディ・ロウの鋭く太い牙を先ほど見たばかりなのに、あろうことかそれがレディの細い首に食らい付いているなんて!
慌てて庭に降りようとしたところ、運悪くシュベルに遭遇する。
「いつまで経っても来られないのでお迎えに上がりました」と言われて思い出す。そういえば、会議に行く途中だった。
しかし、それどころではない、レディが!
シュベルにその旨を伝えると「大丈夫でしょう、なんなら使いをだしますか」と言われ、取り合って貰えなかった。
結果、言いくるめられ半ば強制的に参加させられた会議の内容は、よく覚えてはいない。
会議後、すぐ扉の前に待機していたアビルの足下にいるレディを見て、胸を撫で下ろす。
噛み後が無いか首元をよく確認したが、そんなものはどこにも見当たらなかった。
猫とは意外と回復力があり、かなり丈夫な生き物かも知れない。
と、思っていたが、後から聞いた話によると、ガウディ・ロウはちゃんと加減をして噛んでいたらしい。
一人で慌ててしまい、恥ずかしい思いをした。
今後もう少し冷静に、そして寛大になろうと思う。
***
最近、日記を読み返して気付いたのだが、レディに関する記述が多く、段々と猫観察日記となりつつある。
というのも、目下の関心事の大半はレディに向いているからだ。
今回も、懲りずに猫に関する事を記そうと思う。
最近のレディはアビルの後を付いて回っている。
レディには今でこそ専属の侍女をつけたが、それまでの身の回りの世話は全てアビルの仕事でもあったので、懐いたと推測する。
特に食事となると、アビルの足に擦り寄り催促していた。あまりにその様子が可愛らしかったので、アビルには食事の準備だけを頼み、最近では自らレディにごはんを与えるのが、楽しみになってきている。
だいぶと魔界に馴染んできたレディだが、いまひとつ相性の悪い相手が存在する。
宰相のシュベルツァー・ノール・カルティエだ。どうやら、シュベルはレディが仕事の邪魔をする存在と認識しており、二人(一匹?)揃えば余り良い雰囲気とは言えない。
元を辿れば、諸悪の根元はついつい誘惑に負けてしまう俺であり、レディではない。
レディには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
なんとかシュベルとレディが仲良くならないだろうか?
それにシュベルとレディが仲良くなれば、シュベルがレディに甘くなり、執務室でレディに構っても咎められないかも知れない。
そう、シュベルがレディの可愛さに気づきさえすれば……
そんな思いから、妙案を思いつき実行に至ったのである。
早速、フレイル―――侍従頭に指示を出す。
シュベルのローブの内側に、レディの好物ドン・グラの燻製を縫い付けた物を用意させた。
フレイルはこの提案にかなり積極的に乗ってくれ、細々とした準備も全て取り仕切ってくれた。
頼もしい限りだ。
が、
若干顔がニヤつき過ぎやしないか?
***
計画の当日。
謁見の間の兵士の配置が、いつもと違う事に気付く。何だか、少し多いような……
というか、あれは魔界特別防衛軍、副将フリージアではないのだろうか。
あの目立つ白金の髪に尖った長い耳はピコリス族の証。本音を笑顔の中に包み隠す“微笑のフリージア”。近衛の鎧に身を固めているが、間違いない。
謁見の間を護る兵士たちは、兵の中でも抜きん出た実力を持つ近衛騎士団の中から割り当てられるが、フリージアは更に別格であり、通常ならば謁見の間の警備に当たるなんて有り得ない。何より今は所属部署が違う。
まさか、勇者でも乗り込んでくる予定でもあるのだろうか?
胡乱気に見詰めていると、フリージアから爽やかな笑顔で、ぐっと親指を立てられた。
奴はどこからか、その長い耳でこの催しを聞き付けたらしい。
いつもより多い面々は全て見物人だということに気付いた。
色々と注意したいが、今日だけは許す事にする。
さっそくシュベルがやってきた。その後ろでは、フレイルが指でぐっと成功サインを出す。
挨拶をするシュベルに不自然に思われないように、フレイルに向かって頷く。
この日のために、シュベル付きの者にも魔王の権限を使って指示済みだ。
シュベルの準備は万端に整った。
実はシュベル着ているローブにはドン・グラが仕込まれている。
筋書きでは、好物の臭いに気が付いたレディがシュベルにおねだりをし、不思議に思いながらも何気なくローブの内側を探ると、何故かドン・グラが!
せっかくなので、レディにあげたらゴロゴロ懐かれた! である。
ドン・グラに気付かなくても、健気に付いて回るレディに心動かないはずがない。
レディに関しても下準備として、しばらくドン・グラ断ちをしており、ドン・グラに対して非常に飢えているはずである。極めつけには、今日はシュベルがとっておきのおやつをくれる、……かも知れない、と仄めかしておいた。
程無くアビルを呼べば、上手い具合にレディも引っ付いてやってきた。
アビルには悪いが、何か異変に気付く前に用を言い付けて早々と下がらせる。少々幼いアビルは素直すぎるために、こういった謀には不向きなのだ。
結果は上々。
さっそくドン・グラの臭いに気が付いたレディは、シュベルの前に行儀良く座り、きらきらとした瞳で見つめる。ちなみに俺はここで負ける。
皆の期待が高まる。しかしシュベルはレディが寄ってきた事には面食らったが、それ以降は害は無いと判断したのかそのまま普段通りに仕事を始めてしまった。
放置され焦れたレディは、やがて「にゃーん」「みにゃあ」とおねだりを攻撃をしはじめた。
鬱陶しそうに、シッシッと手で払うシュベル。
続いて尻尾を床に叩き付けながら「にゃおん、にゃおん!」と抗議するがやはり無視。
素っ気なくあしらわれたレディはそれ以上深入りする事もなく、じっとシュベルの後ろ姿を見詰める。
レディの耳がぐっと横に引かれたのは横目で確認した。戦闘体勢に入った印だ。心なしか顔も険しくなったような気もする。
ハラハラとしつつ見守っていたが、やがて興味を無くしたようにプイッと顔を背けてこちらにやってきた。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら擦り擦りして後ろの定位置に入る、かと思いきや、玉座の背もたれの上に昇り、そのまま微動だにしなくなった。
滞りなく謁見は進む。
今回の謁見者達は、まったく何も知らないような者もいれば、レディとシュベルに視線を移し、何事も無かった事を確認し、あからさまに落胆する者もいた。
思った以上に情報が漏洩しているらしい。
もはや、これまでか。
シュベルの心の変わりも望めそうにない。残念ながら、この計画は失敗らしい。
心の中で溜め息を吐く。
やはり、そんなに上手くはいかなかった。
レディには今日のお詫びとして、後で好きなだけドン・グラを与えようと思う。
しかし、その考えは甘かった。
誰もがレディの存在を気にしなくなった頃、それは起こった。
突如として「うわぁ!」という、シュベルの悲鳴が謁見の間に響き渡る。
慌てシュベルの方に注目すると、レディの蜂蜜色の尻尾がゆらゆら揺れながらシュベルの服の中に入って行くのが見えた。
「うひぃ?!」「いったい何を!」といいながら、身体をくねらせるシュベル。
その直後、シュタッ! と蜂蜜色の塊が飛び出したかと思えば、一目散に逃げていった。
いったい何が!?
一番いいところを見逃してしまった!
皆が呆然と、今の出来事の状況を把握しようと頭を働かせる中、フリージアの笑い声だけが謁見の間に響いていた。
後から奴に詳しく聞くと、レディは諦めたのではなく、虎視眈々とその機会を窺っていたらしい。
皆の注意が逸れる頃、シュベルの意識が別のものに注がれた隙を狙っての、見事な狩りの瞬間だった。
間髪入れず飛び掛かり、服と首元の隙間に身体を捩じ込み内部に侵入。ドン・グラ目指して進撃の後、戦利品をくわえて逃げたとのことだ。
後に残るは、よれたローブに身を包み、呆けたように座り込むシュベルのみ。
その間、僅か一呼吸にも満たない、実に鮮やかなハンティングだった。
敗因は、どんな事にも動じない仕事の鬼、シュベルの鉄壁の理性が想像以上に強固だったことと、レディの襲って奪う、というもっとも単純で、野性的かつ攻撃的行動を予測出来なかったことにある。
……この一件で、シュベルとレディの仲はより険悪になってしまったのは記すまでもない。
今回の騒動の仕掛人としては、遺憾の意を表する不本意な結果となってしまった。
双方のためにも、今後の関係回復を試みたいと思う。