猫は見た!
「じゃあ、マリベールちゃんは隣の大陸の貴族さまなのね、すごいわ!」
「軽々しく呼ばないで頂ける? 王都の一等地にも屋敷を持ってますのよ。本来ならば貴女が口を聞けるような立場の人間ではないの」
「なら、偶然にちゃんと感謝しないと! ……エリーゼ様、森の恵みに感謝します」
「……その祈りはなんですの?」
「私のいたファンタベリーの村では、いつも森の守り主エリーゼ様に祈りを捧げていたの」
「ふうん、聞いたことも無いわ。さぞかし辺境の緑豊かな場所でしょうね」
「そうなの! お花もたくさん綺麗に咲くのよ」
「…………」
スゴいわ、この子。嫌味を言われたことにも気付かない!
今のは、遠回しに「あんたの村は超ド田舎だから、私ぜんぜん知らなかったわ〜」って意味なのに。
純粋培養の村娘さんには、貴族の言い回しはちょっと分からないのだろう。
名前は、エリー・ファンタベリー。
その守り主様の名前を貰ったと、嬉しそうにあたしに紹介してくれた。もちろん、あたしも「にゃ」と尻尾を上げて軽く挨拶。
ファンタベリーの森はあたしの国で、地図の端っこにひっそりこっそりと存在する。エリーはあたしと同国の女の子だったのだ。
どおりで気になるニオイがしたわけだわ
くんくんニオイに行くと、慣れ親しんだ草木の香りがほんわりと匂う。
やはり故郷のニオイは安心する。
「わぁ、レディ様」
エリーが嬉しそうに手を伸ばす。
あ、抱っこは駄目よ!
ダーリンしか許してないんだから
ひらりと身を避わすと少し残念そうに眉を下げた。
ジリジリとした熱い視線に顔を向けると、貴族のお嬢様が不機嫌そうな眼差しであたしを見ていた。
この子の名前は、マリベール・ロートリンス。
隣の大陸の伯爵令嬢様だ。
あたしが視線に気付くと「ふんっ」と顔をそむける。あたしが欲しかった混じりけのない黄金色の髪が揺れた。
生粋のお嬢様としては、猫のあたしに仕えるというのは面白く無いのだろう。
けれど、あたしは侍女のなんたるかを彼女たちにビシバシと叩き込む予定なので、悪しからず。
「もうっ! 部屋の大きさはともかく、こんな埃っぽいところに押し込まれるなんて最っ悪」
「ずっと使ってないって仰ってたもの。私は嬉しいわ、こんな広くて素敵な部屋、初めて!」
「いいですわねぇ、貴女は。……まあ、調度品の質自体は悪くは無いですわ」
つつつ、と白く綺麗な指が家具をなぞる。
指に付着した埃を見てマリベールは顔をしかめた。細く綺麗に整えられた彼女の眉は、形を崩すと神経質そうな印象が際立つ。
対してエリーは「ふふふっ」と、嬉しくて堪らないようで踊るような足取りで掃除を再開する。
「なになさるの、埃が舞うじゃないの!」
「ふふふ、ごめんなさい」
それでも、止める気配はない。
もうもうと舞い踊る埃。
ムズムズする、鼻がムズムズするわ!
「くしっ、くしっ! くしゅんっ、くしっ!」
「レディ様っ、……っっ! きゃっ、」
どこか慌てたようなエリーの声が聞こえるが、もう遅い。
「くしゅっ、くしゅんっ! くしっ、しっ!」
まったく、もう!
くしゃみの連発でもまだムズムズとする鼻を、前脚を使ってゴシゴシと擦る。
「埃は、飛んで行きましたわね……一瞬で、……」
近くの柱に張り付きながら呆然と呟くマリベールと、何故か顔を守るように床に蹲るエリー。
いつのまにか開け放たれていた窓と扉を見つつ、あたしに視線を向ける。
「ドラゴン並み……?」
失礼なっ、ちょっと魔力が漏れただけじゃないじゃないのー!
……くしっ!
「室長、あの、この間はありがとうございます」
「……それで、その、良かったら、これ」
可愛らしい女の子が、もじもじと包みを取り出し差し出す。
差し出された相手は、あっちこっち好き勝手に跳ねたボサボサの髪に上等だがよろよろによれた服に身を包む、野暮ったい雰囲気の男だ。ひょろっと長い背丈が、男の頼りない印象を更に強調している。
けれど女の子は頬を真っ赤に染めて落ち着きなく視線を男と床をさ迷わせ、もじもじと居心地悪そうに足を擦り合わせる。
「あ、いや、ごめんよ。妻がいるから、そういうのはちょっと……」
「ち、違うんです! そういう意味じゃなくて、お礼! お礼なんです!」
お礼、と言うにはあまりにも男を意識し過ぎていて、説得力がない。
しかし、大義名分が変わった男はあっさりと包みを受け取ってしまった。
「まあ、そういうことなら」
「あ、ありがとうございます!」
途端に花開いたように満面の笑顔で包みを手渡すと、頬を両手で押さえて足早に去っていった。
残された男は可愛らしく包装された贈り物を片手で持てあましながら、困った素振りで頭を掻く。
「まいったなぁ」
察するに男も女の子の想いは気付いていたのだろう。冴えないのは見た目だけであって、男女の機微には聡いらしい。既婚者ならばそれも当然か。
しかし言葉で言うほどは困った口調では無く、まんざらでもないのだろう。
…………
…………むふっ
むふふふふ〜、見ぃちゃった!
一部始終を見守っていたあたしは、物影からひょっこりと顔を出す。本格的に掃除を始めた侍女二人の部屋から逃げ出したあたしは、思わぬ出来事に遭遇してニンマリ。
すぐに気配に気付いた男、エネリの旦那さんが振り返る。
「……レ、レディちゃま、見てたのかい?!」
うふっ、見ちゃいました!
口止めの要求は後で考えるとして、とりあえず今はあたしが見たことを証明するためにわざと姿を晒す。
旦那さんとは意志の疎通が出来ないので、後であたしが『うふ、やるわね色男、エネリがいながら浮気するなんて……。可愛かったなぁ、あの頭に小さな羽が付いた女の子』と、にゃん言葉で言っても旦那さんには通じない。当事者である旦那さんと女の子、そして目撃したあたししか知り得ない情報を細かく伝えることは難しいのだ。
よって手っ取り早く姿を見せる。
そのまま颯爽と何食わぬ顔で散歩を再開しようとしたあたしは、普段からは考えられないほどの素早さで迫られ、あっという間に退路を塞がれる。逃げる隙も無くあっさりと捕まった。旦那さん相手なら大丈夫だと踏んでいたのだが、それだけ必死だったのだろう。うん、窮鼠猫を噛む。
ぶらーん、とあたしの両足と尻尾が揺れる。
前足の下に手を引っ掛けて対面するようにあたしを抱っこした旦那さんは、あたしの瞳を覗き込んだ。
「黙ってるよね? エネリには、もちろん言わないよね?」
「にゃーん」
「それってどっちの意味の『にゃーん』?!
『わかった、黙ってるぅ』? それとも『そんなのしらなーい』?!
……レディちゃま、考えてごらん?
自分の番が、他の女の子にプレゼント貰ったなんて、エネリが知ったら悲しむと思うよ、ね! ね!」
ぷいっ、と顔を背ける。
だったら、はじめっから貰わなければいいのよ
許可なく抱っこしていいのはダーリンだけなのに。
不意を突かれたあたしは不機嫌を隠さずに尻尾を揺らす。
「せっかくくれるって言ってるんだから、貰わないと勿体ない、……じゃなくて、可哀想でしょ!?」
女の子は貰ってくれたのに、って悲しむ。
エネリは貰ったでしょ、って悲しむ。
中途半端な優しさが一番だめ!
いっそ「浮気は男の甲斐性だー!」ぐらい開き直れば、少しは見直したかも知れないのに。が、その場合は完全にあたしを敵に回しますが。
あたしはエネリママが大好きなのだ。
つーんっ、と鼻を反らして無視を決め込む。
「レディちゃまー!」
激しく身体を揺さぶられ、胸からアレが上がる感覚。
か、かけるわよ……、このままだと、おえっとかけるわよ!?
「何やってんだ、あんた」
聞き覚えのある険の帯びた声音に、あたしを抱っこしていた旦那さんの手が緩む。その隙にあたしは、くねっと身体を捻って脱出した。
「ガウディ、いや、これは」
ふいー、助かったわ
尻尾をピンと立てながらあたしはガウディの方へと避難する。何だか前にも似たような事があったような。
今回は人型なガウディは、あわあわと言い訳をしようとする旦那さんに、フンッと鼻を鳴らすとすぐに興味を無くしたように目をそらし踵を返す。
「ガウディ、ある程度門でふるいに掛けられてるとはいえ、完全じゃない。城の中も入り組んでいるし暗がりも多いから慣れない内はあまり一人では、」
「ウルサイ、あんたに言われなくてもわかってる」
言い募る旦那さんを遮り、どこか突き放すようなガウディ。
んんー?
あたしは首を捻りながらガウディの後に付いていった。
もしかしなくても、ガウディと旦那さんは、あまり仲がよろしくないらしい。
でも、どちらかと言うと旦那さんはガウディの事を気にかけてたし、でもでも、ガウディはあんまり話したがらないような、反抗してるというか。
昔、尻尾でも踏まれたのかしら
前を歩くガウディの様子を探る。
『ええと、旦那さんとは仲がよくないの?』
「……そういう風に、見えるか?」
『うん』
やがて庭の片隅にある陽当たりの良い場所で、虎型に戻ったガウディはごろんと寝転がる。
あたしにとったら、ちょっとした小山だ。赤褐色の山をよじよじと登る。やがて安定した場所を見つけたあたしはそのまま寝そべる。暖かいガウディの背中の上に乗るのは、あたしも仔虎ちゃんも大好きだ。いつも競って登りに行くが、今は仔虎ちゃんはいないのであたし独り占めである。
鼻をすんすんしたガウディは少し変な顔をした。
『知らない奴のニオイがする』
辺りには誰もいない。
少し首を傾けたあたしだか、すぐに思いあたった。
『そうなの、あたしに侍女が二人も付いたのよ!』
エリーとマリベールの顔を思い浮かべながら、侍女のなんたるかをガウディに説明する。
非常に生暖かい目をしながら、小山からずり落ちたあたしをべろんべろんするガウディ。
『そっか、がんばれよ』
果てしなく子ども扱い……
やがて、べろんべろんし終えたガウディはふうっと溜め息を付いた。
気が緩んだのか、ポツリと呟く。
『……嫌いな訳じゃない。ただやっぱり、認めらんねぇ』
これは、先ほどあたしが聞いた旦那さんに対するガウディの気持ちなのだろう。
それ以外は何も言わない。自分の手の上に顎を乗せて、じっと一点を見詰めて考え込んでいる。
その様子は、どこか迷子の子供の様な印象を受けた。
魔界では何より強さが求められる傾向があるので、いかにも弱そうな旦那さんはガウディにとって、非常に複雑な立場にあるのかも知れない。
ガウディが何も言わない以上は、あたしは踏み込んではいけない。
『あたし、てっきり尻尾でも踏まれたのかと思っちゃった』
誘惑に負けたあたしが、ふさふさ揺れるガウディの尻尾にちょいちょい手を出しながらポツリと呟いた言葉に、ガウディは爽やかに返してくれた。
「何言ってんだ。そんな事されたらとっくの昔に殺ってるよ」
『だよねー、…………』
…………。
いぃいやああぁぁ!
しっぽぉぉ!
意外なトコロに即!爆・発の導火線が!!
あたしといえば、踏むのは朝飯前、散々じゃれついては噛み噛みしたり、蹴ったりパンチしたり、そのまま疲れて寝むりこけて、タラっと涎たらしたり……
あわあわあわわわわっ!
じゃれついてごめんなさい!
噛み噛みしてごめんなさい!
連続猫キックごめんなさい!
内心荒れ狂う心境とは裏腹に、あたしの表情は凪いでいた。
職業柄、あたしは顔には出さないのだ。貴族のお偉いさん方は、あたし達、侍女侍従をいないものとして扱う人が多いので、例えすぐ隣で控えていようが平気でヤバい話を大きい声で話したりするのだ。その時に少しでも注意を引けば、まさしく首が飛ぶ。
今回もその要領で、あたしは尻尾にちょっかいを出していた手をそっと引っ込めながら必死に無表情を装った。
う、後ろ足がムズムズする、ムズムズするわ!
それでも衝動には逆らえず、あたしは久々に逃げた。
……おすわり後退!