猫に珍事
戦利品をくわえながらダーリンの寝室目指して足を急ぐ。やはりゆっくり食べるのなら安心できる場所に限る。
ついでに羊美少年を捕まえて、砂で汚れたばっちいお肉を綺麗に洗ってもらいお皿に盛り付けて貰うのだ。
ダーリンの寝室は謁見の間を通り抜け、更に奥へと続く通路の先に位置する。つまりとても遠い。
その間にも物々しい警備の騎士達が存在している。許されざる者が一歩足を踏み入れようならば、おそらくバッサリと切り捨てられ生きては出られないだろう。
もちろん、ダーリンの愛猫たるあたしは普通に素通りできる。
ただしこの騎士さん達は、あたしが横でくしゃみをしようが、寝転がって足をパタパタしようが、ちっとも構ってくれないから少し寂しい。一歩外へ出たら侍女さん達から黄色い歓声を浴びるというのに。
どこの世界も、女の子は小さいふかふかの生き物を好むのだ。
順調に帰路についていたあたしは、謁見の間を通過しようと踏み込んだ。そこであたしは、ピタリと足を止める。
……見慣れないお客様だ。
謁見の間の重苦しい空気には、相応しく無い女の子二人だ。
一人はふんだんにフリルがあしらわれた華々しいドレスを身に纏い気の強そうな眼差しは、いかにも貴族令嬢という雰囲気の女の子。
一人は生活感を感じさせる前掛けに、頭に頭巾を被った素朴な印象の典型的な村娘、という雰囲気の女の子。
二人とも、緊張した様子でダーリンと対面していた。
わかります。
玉座にふんぞり返るダーリンの威圧感は半端無い。
今でこそ、日課のちゅっちゅをしに行ってるあたしも最初は躊躇った。
ダーリンの玉座までに轢かれた、ふかふかの絨毯の感触を楽しみながら近付いて行く。
途中あたしに気付いたダーリンからお咎めは無い、ということは「気になるなら近付いてもいいよ」という事だ。
この子達には角も羽も何も生えていない。純粋な人、に見える。
ヴェルガーなら人型になっても第三の目を残すように、種族によって角だったり羽だったりそれぞれ誇る部位を残すらしい。
ドレスの裾にも隠してないみたい
するりと裾を翻す。
「きゃぁ」と可愛らしい悲鳴が上がるが気にしない。
女の子同士、女の子同士。
やましい気持ちは、これっぽっちも存在しない。
当然の事ながら種族によって、特殊能力なども違ってくるので、ダーリンを守るためにも種族の確認はとても大切な事なのだ。
うーん、この子のニオイ、なんだか気になる。
どこかで会ったかしら?
あたしが引っ掛かったのは素朴な村娘のお嬢さんだ。
ぐるぐると女の子の周りをうろつきながら考える。
もちろんクンクンするのも忘れない。
何だったかしら?
ダーリンなら、わかるかしら?
疑問に思いながらもダーリンの方へと首を傾げる。
それを見ていたダーリンが、何かを閃いたように頷き返す。
「レディが気に入った」
え、あたし?
「彼女らをレディ付き侍女にする」
え、え?
よくわからずに辺りを見回すと、宰相さんがぱっくり口を開けていた。
つまり、寝耳に水ならしい。
……侍女?
突然のダーリンの重大決定に、呆然と立ち尽くす。
ちょっとちょっとダーリン、それ本気?
侍女の仕事をナメて貰っちゃいけない。
あたしがなんとか姫様付きの侍女として見れる働きが出来るようになったのも、女官長による指導の賜物。しごかれ抜いたあの、語るも涙思い出すも涙の過酷な日々があってこそ。
「あたし、この人に怒られる為にこの仕事をしてるんじゃないのに」と、本気で膝を抱えた日もあった。
侍女の失態は主の失態。
侍女の品格は主の品格。
手早く的確な作業と主の機微を察する観察力、さらには動作の優雅さを求められるのだ。
何日も掛けて、骨の随まで叩き込まれた。
侍女というのは経験が無いものが「はい、じゃ、やってね」と言われて一朝一夕で出来る簡単な仕事では無いのだ。
それなのに、ダーリンときたら全く経験無さそうな高飛車そうな貴族のお嬢様と、純朴無害そうな村娘さんをあたしの侍女に付ける!?
「何を仰るかと思えば、お戯れを。このロートリンス家の一人娘たるわたくしに、この、獣の世話をしろと!?」
即座に文句をつけたのは、予想通りの貴族らしきお嬢様だ。
よく透るいい声だ。広い謁見の間での発言でも、たじろく気配もない彼女はこのような場に慣れている感じがする。
対して、村娘さんは始終戸惑いながらあたしとダーリンを視線で追い、次はお嬢様とダーリンを狼狽えながら交互に見る。
慣れない場の空気に呑まれ、発言なんてきっと出来ないだろう。
あたしは、もちろんダーリンに抗議する。
貴族のプライドの高さは、もはやお約束だ。
関われば、あたしの平穏な猫ライフに支障をきたすに違いない。振り回されるのが目に見えてわかる。
ダーリンったらお戯れを! あたしだって、そんなの願い下げよ!
心の中で思いながらも「にゃー!」とは言わない。しかめっ面でダーリンを見詰める。
宮廷作法では、目上の者に対する発言は許しを得てから、だ。
普段は、……守ってない気もする。が、お嬢様が今この場で破ったからには、あたしはきちんと守る。
そう、あたしは宮廷作法にも通じた淑女な猫ちゃんだと気づけばいい!
そして、破ってしまった自分に恥じるといい!
とか思ったが、残念ながら誰も気づいてくれなかった。しょぼんと耳が元気を無くす。
「国賓として扱うべきわたくしに、床に落ちたモノを拾って食べるような、この品性卑しい獣の世話をしろと?!」
ビシィ! と指差す先には、肉くわえた猫。もとい、あたし。
な、なんという!
しかし、事実でもあるお嬢様の指摘に挫けかける。
くそぅ、それもこれも、肉を投げ捨てた大男のせいだ。
お皿に入れてくれれば、こんな辱しめを受ける事なんて無かったのに。許すまじ!
しかし、こんなことに挫けるあたしでない。
一言。
このご令嬢に一言、言ってやらなければ気がすまない。
メラメラと沸き立つ闘志。
猫を舐めるな!
獣が何だ! 食意地が張っていて何が悪い!?
人が一番偉いと誰が決めた?
食べ物を食べなければ、皆死んでしまうのだ。食べれる時に食べて何がいけないというのか。
ぶわっと広がる体毛。ぐぐっと横に引かれた耳とひげ。戦闘体勢に入ったあたしは、熱い闘志を燃やしながらお嬢様の目の前に立ち塞がる。
煮えたぎる思いを、この一言に込める!
「……ふひぃっ!」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が痛い、痛すぎる。
…………ポトッと、口から零れた肉が床に落ちる音だけが響く。
穴はドコ!? あたしが入れる穴はドコにあるの?!
口の中に物を入れながら喋ってはいけません。
口を酸っぱくされて教わったけど、その本当の意味がわかりました。
貴族のお嬢様は更に熱を帯びた熱視線でにらんでくるし、素朴な娘さんは、目を丸くさせてあたしを見た。
ダーリンなんか、口に手をあてて俯いちゃったよ!
オマケとばかりに宰相さんの方からは何だか噴き出した音が聞こえたよ!
耳が、あたしの耳が新記録を打ち立てる。かつて無い程ぺちょーんと頭に引っ付いてしまい、あたしの頭はふんわりとした毛に被われただけ。見事にまるっとしてしまった。
出てきて下さい、耳。
もういい、何だかあたし、もうどうなってもいい。
いや、よくない。
誰でもいいからお願いだから大声で笑って、あたしを指をさしてとことん辱しめて欲しい。
誰も彼もあたしを見ずに俯いて目すら合わしてくれない。酷すぎる。
こういう中途半端に「ぷくく」とされるのが一番痛ましいというのに。
―――トントン
ぴぴーん、と耳が反応する。
ダーリンが玉座を軽く指で叩く音だ。
ダーリンが呼んでる!
謁見の間では珍しく柔らかい雰囲気のダーリンが、優しい包み込むような眼差しであたしを見ていた。
これは、きっと慰めてくれる予感がする。
やっぱりダーリンはあたしの味方だ。
ダぁーリぃン!
今までの鬱々とした気分が一気に吹き飛ばされる。
勢い良く玉座に登り、ぴとっとダーリンに身体を引っ付ける。……あったかい。
擽るように指先であたしの頭を撫でてくれた。
嬉しくなってダーリンの手に頭を寄せる。ゴロゴロ。
耳下から喉元へと滑る指先にうっとりと目を細める。ダーリンの撫で撫で技能は確実に向上しています。ゴロゴロゴロ。
あたしを脇目に話がどんどん進んでいるが、今はとても忙しいので構ってられない。ゴロゴロゴロゴロ。
「以後しっかりと励むように」
…………はっ!
気がつけば、何だか話が終わった雰囲気にあたしは慌てる。
ダーリンにやり込められて、悔しげに顔を顰めるお嬢様が見える。
ダーリンの魅惑の指先にまんまと誤魔化されてしまった。
ちょっとちょっと、あたしまだ了承してな、あぃ?!
急いで顔を上げようとして、ひげが強い力で引っ張られる。
ひげ。
あたしの大事なひげ。非常に高性能の危険察知能力を備えたあたしの生命線。
その大事な大事なあたしのひげを、力任せに引っ張った不届き者がいる。
……いたい。すごくいたい。
引っ張られた痛みがじんじんとあたしを襲う。
まさか、ダーリンが引っ張った? なんで、どうして!?
「や め て !」と非難の眼差しをダーリンに向けると、ダーリンは目を丸くし驚いた表情であたしを見ている。
「…………」
『…………』
苦しい沈黙の末、先に痺れを切らしたのはあたしだった。
身動ぎをして、再びひげを引っ張られる痛みに身体を縮める。
続いてダーリンが、そっと手を移動させようとし、痛みを感じたあたしも一緒に顔を移動させた。
すぴすぴとあたしの鼻息が荒くなる。
「…………」
『…………』
わかった、わかってしまった。
あたしの馬鹿、大馬鹿!
泣いてしまいたい。
犯人は、こてこてのお肉のソースだ。
あたしの口元にべったりと付いていたソースが、しっかりとダーリンの袖口に引っ付いて固まってしまっていたのだ。
「だれか、刃物を、」
「ミミミミィ!」
ダーリンの命令を掻き消すように、あたしの甲高い声が謁見の間に響く。
ひげは嫌、ひげは駄目、ひげだけは切らないでー!
「わかった、わかったからレディ、少し、」
「ミィミィミィミィ!」
いたたたた、ダーリン、動かさないで、引っ張らないでー!
生命の危機とも言える、ひげの危機に興奮してしまったあたしは、自分で自分の首を絞めるが如く暴れまくっては痛みに悶える。
そんなあたしに冷静さを取り戻したのは、やはりダーリンの一声だ。
この日、ありがたくもあたしは魔王陛下より新たな称号を賜った。
「いいからバカ猫、少し黙れ」
地を這うような、背筋も凍る声音に、あたしはピシャリと口をつぐむ。
再び刃物を手配するダーリン。
ダーリンの暴言はひとまず置いて、とても逆らえる雰囲気ではございません。
ひげが無くては、魔界で生きてはいけません。
でも、逆らえばぷちっとされちゃう気もします。
あたし、終わった……
迫りくる研ぎ澄まされた刃先を前に、神妙に目を閉じる。
こわい、すごくこわい。
じわりじわりと恐怖があたしの身体を這い上がる。
すぴすぴすぴと自分の荒い鼻息だけが耳を占めた。
―――サクッ、……サクッ
と、何かを断つ音に身を震わせる。
そっと目を開ければ、無残にも切れていたあたしのひげ……、ではなくダーリンの服。
ポッカリと袖口が切り取られたそれは、なんだか滑稽に見えるかも知れないが……
とんでもない!
ダーリン、大好きだわーー!!
……後に思えば、服の切れ端を顔にくっ付けながら、全身で愛をいっぱい表現するあたし方こそが、さぞかし滑稽だったに違いない。
そのあと新たに侍女に任命されたお嬢さん方に、ぬるま湯で優しくひげをもみもみされました。
初仕事、こんなのでゴメンナサイ。