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怒りよりも食欲



「レディ様〜、後生ですから退いて下さ〜い」


何度目かの羊美少年の懇願に、あたしは『どっこいしょ』と身体を退ける。

毛だらけのマントを生暖かい目で見つめる羊美少年を横目に、あたしは足を伸ばして、かいかいかいかいっ、と身体を掻いていた。

中途半端に人型に戻れるようになったあたしは、さっそくダーリンとの甘ーい日々を過ごすべく人型になるようになった、……のではなく、今まで通り猫のままで過ごしている。


恐ろしくて、とても戻れません。


と言うのも、人であったあたしの魔界での認識は、「魔王陛下を誑かした挙げ句に裏切ったとんでもない大悪女」として名を馳せているからだ。

オマケにダーリンがあたしの記憶を取り戻すと、魔界の崩壊という危機が待ち構えているときた。

おかげさまで「一度人型になって欲しい」というダーリンの夢のようなお願いを、ことごとく蹴って蹴って蹴り倒した。

まったく、人の気持ち知らずに無理難題を吹っ掛けてくれる、と苛立ちに苛立ったあたしが痛ーい一撃を食らわしてやっと黙ったのだ。信じてくれなかった恨みを込めてガブッといきました。ふん!


その噛み跡を見た、例のあの人から丸焼きにされかけたのは、また別の話である。脱兎のごとく逃げました。




現在あたしは、魔王城にいる。

ダーリンは唐突にヴェルガーの集落に来たように、唐突に城へと帰る事になったのだ。

原因は、例のあの人だとあたしはにらんでいる。

そう、例のあの人、えーと……、宰相さんだ。

帰ってきたあたし達を出迎えた宰相さんからは、薬湯のニオイがぷんぷんと漂っていた。お腹を擦りながら顔色は、たぶん悪かったように思う。次の日にはピンピンと仕事をしていたのは少々解せないが。

しかし、げっそりとなりながらもダーリンの留守を守るなんて、宰相さんは宰相の鏡だとあたしは思う。

あたしの国の宰相は、そりゃあ腐っていた。汚職に横領、着服何でもあり。しかしながら証拠らしい証拠は掴めず、殿下はいつも火でも吐く勢いで怒っていた。あの宰相ときたら年甲斐も無く三十才年下の奥さんをもらって、……。


ダーリンとあたしの年の差の方が、なん十倍もあいてました。


もう年の事は言いません。もしかしたら物凄い熱愛の末かも知れないし、うん。


時間が変化をもたらし、この世に不変は無いように、あたしの日常もちょっぴり変化した。

ヴェルガーの集落から戻って以来、あたしの行動範囲は格段に広まった。色々と見聞を広めようと思案した結果である。

そう、あたしは諜報猫になるのだ。

ヴェルガーの集落で悟ったことなのだが、あたしの見た目はかなり弱々しい子どもらしい。……か弱い乙女ですから。

その見た目を生かして、警戒心無しの相手に近づき、じっくりと聞き耳を立ててやるのだ。


ダーリンにも情報は役に立つはず!


その延長線で、あたしが人に戻った時のための下地として、あんなことやこんな情報を掴んで、悪女でも誰の抗議も黙らせられるように頑張るのだ。噂好きの侍女を舐めるなよ。恥ずかしい秘密を暴きまくってやる。


謁見の間でお仕事中のダーリンにちゅっちゅしてから諜報活動に勤しむのだが、最近お気に入りはお城の屋根を伝って城壁へ、それからちょうど城門の真上へと移動し、下を見下ろす事だ。


猫ですから、日向ぼっこが大好きなんです。


ちょこんと座りながら眺めると、実に様々な形態の人が魔王城へと出入りしている。

角の生えている人、鱗びっしりの人、大きい人。翼が生えてる人。多種多様なこの人達を観察するのがあたしの日課だ。

といっても、門はとても大きいので上にいるあたしからは、彼等の表情までは分からない。


「バウッ、バウバウッ!」


尻尾振りながらあたしを見上げる門番は無視。

構って欲しいのだろうけど体格差を考えて下さい。プチッといっちゃいます、あたしが。


「バウッ! ヘッヘッヘッ」


魔王城の番犬ケルベロスは三つも顔があるから、鳴き声がとても五月蝿い。

道行く人が時々ケルベロスの視線の先を追って、あたしを見るのがこれまた微妙に恥ずかしい。

通りすがりの人は、泣く子も黙る魔犬ケルベロスの視線の先には一体何が、まさか魔王様!? と期待し、はやる心で視線の先を追って行き、そこにいたのはなんと……、あたしですみません。

ということが日常茶飯事なのだ。


「バウバウッ!」


鳴き声は五月蝿いけれど、しょせんは犬。大門の半分くらいの大きさしかないケルベロスにはここまで登ってくるのは不可能だ。

と、思っていたのだが、ぬーっと目の前に現れた黒い巨体。

前足を引っ掛けて、ここまで顔が三つもやって来ました。


『……たっ、立つのは反則だわー!』


あたし?

もちろん脱兎のごとく逃げました。





同じ愚は二度も犯しません。

森ではなく、お城の中に逃げ込む。


隠れる場所、隠れる場所。あたしの身体がすっぽり入る場所!


更に階段を降りて通路の隙間を通り、やっとポッカリと空いた穴を発見。迷う事なく身体を滑り込ませる。

ふー、と息を整えて毛繕い。


ここなら、奴も気付くまい。


それにしてもまさか立っちをしてくるなんて、今まで一度もそんな事はしなかったのに。あたしは油断してしまっていた。

奴は力を温存していただけなのか。そして、あたしが油断するのを待って、……パクっと! いやいや、それは無いはず。


「別にそんなことしなくとも、俺は十分強い。集落じゃ、五本の指に入る。そうでなくてもヴェルガーは魔眼があるんだ、俺には必要ない」


「今まで集落に引きこもってた奴が何言ってる。……そうだな、お前一度相手をしてやれ」


ん?


見知った声にそっと様子を伺う。

やっぱりガウディだ。

ガウディも魔王城にいたことに素直に喜ぶ。慌ただしくヴェルガーの集落を離れた為にろくな挨拶が出来なかったのだ。

しかし今は再開を喜んで駆け寄れる雰囲気ではない。

いつの間にか周りにわんさかと人がいる。

広い殺風景な部屋の真ん中にはガウディと、知らない誰かが向かい合っていた。


「よぉし、始め!」


掛け声と同時に双方が動いた。

すぐに三ツ目の大虎へと変化するガウディ、対して槍を構える知らない誰か。

にらみ合いは一瞬。

知らない人は槍を引き、脇締めて勢い良く突を繰り返す。

横への薙ぎ払いも、ひらりと身をかわすのはガウディだ。しなやかな身体を生かし滑らかな動きで相手を翻弄する。惚れ惚れするほど隙の無い動きはまるで、獲物を狙う虎だ。あれ、そのまんまなような。

一見、守りに入っている様に見えるガウディの赤銅色の毛並みが一瞬光またたいたと思ったら、勝負が決まった。

身体を痙攣させゆっくり倒れた槍の人は、地面に伏したまま動かない。

そのまま、ふん、と鼻を鳴らしたガウディが退出。お疲れ様でした。


「口で言うほどは、あるわけだ。余計に問題児だなぁ」


今の声はずっと場を仕切っていた人の声だ。言葉とは裏腹に面白そうな口調で独りごちる。


それにしても、この野太い声、どこかで聞いた事があるような……

ぐらりとあたしの隠れ家が揺れる。


何事!?


突然、穴の入り口を塞いだ顔とバッチリと目が合った。


「うわっ! 鎧の中になんかいる!?」


大声にあたしの毛並みが逆立つ。狭い穴の中で更に身体が縮こまってしまった。


―――ガウンッ!


金属をぶつけたような轟音と凄まじい衝撃があたしに走る。


こ、ここは危険だわ……!


すぐにでも逃げたかったのだが、身体が思うように動かない。先ほどの衝撃と轟音により平衡感覚がおかしくなってしまったようだ。

よたよたと頼りない足取りで、なんとか穴から抜け出すとぺちょっと力尽きて倒れてしまう。


「あ? どうした、って姫さんじゃないか」


「ままま、まさか陛下の……!」


「だいじょーぶ、だいじょーぶ、これくらいでは死なんだろ」


目を閉じてぐったりしていると、ふわーんと漂う美味しそうな香りに鼻をスンスンさせる。

それと同時にツチアラシのニオイがした。

このニオイは覚えがある。

思い出した。

この目の前の人はあたしを、あろうことか袋詰めにした張本人だ。

しかもか弱い乙女になんて扱いだ。ダーリンならきっと即座に抱き上げて撫で撫でしてくれて、甘ーい言葉で慰めて、……ごめんなさい、夢を見ました。

少し回復したあたしはさっそく文句を付けてやろうと目を開ける。


おおお大っきいぃ!


あたしの前に立ち塞がっていたのは、頭の左右に角を生やした悪人顔の大男だ。

人に戻ったあたしの軽く二倍はある身長に、後退仕掛けた後ろ足に力を込めてなんとか踏みとどまる。

猫のあたしにとってはまさしく山。

巨大な筋肉の塊が立ち塞がっているかのようだ。


負けるものか!


と、勇んでいたあたしだが、美味しそうなニオイの方が気になって仕方ない。

気がつけば、大男が手に持っている肉の方にチラッチラッと目が行ってしまう。


それをあたしに分けてくれたら、袋詰めの件は不問にしてもかまいませんが?


「なんだ、欲しいのか? ほらよっと、お姫さん」


視線に気付いた大男が、千切って床に投げ捨てた。

たっぷりとソースがからめられた肉は、ぺちゃりと音を立てて床に落ちる。

あまりの凶行にあたしの口は塞がらない。

沸々と沸き上がる怒り。


ちょっとちょっと、 あ な た !

まさか、あたしにコレを食べろと?


あたしはお皿に乗った物しか食べません。

お上品な猫ちゃんです。淑女です。レディなんです。

それなのに、なんという仕打ち、なんという屈辱。

そうしている間にも、ソースが床に染みをつくり、肉片には砂が付着した。お世辞にも人が食べれるものではない。

それなのに、食欲を刺激する匂いだけは健在でやたらと鼻に付く。

怨みがましく床に落ちた肉片と牛男を交互に見つめる。

「ん? どうした、食わんのか?」という男には、悪気も敵意も清々しいほど感じられない。

こういう男が一番たちが悪い。


く〜っ、覚えてらっしゃい!


床に落ちている肉片をパクっとくわえる。


いつかその大きい方の肉を奪ってやる!


心の中で呪詛を吐きながら、その場を飛ぶ勢いで離れた。





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