へーんしん!
エネリから「まずは自分の魔力を感じるところから、始めましょうね〜」と言われ、現在瞑想中のあたし。
目を閉じて自分の身体の中に巡る内なる力に意識を傾ける。
以前なら意識を向けなくとも感じられたあたしの魔力は、今はこうして集中しなければ欠片も感じられない。
魔界では、ヴェルガーのように獣の姿と人型の二つの姿をとれる一族は、二つの姿の種族と呼ばれる。かなりそのままだが、変な名称を付けられるよりよほど覚えやすい。
その二つの姿の種族の起源は、過去に起こった魔界での深刻な人口減少が原因だそうだ。
多種多様の種族が集まった魔界では、始めは子孫を遺すには当然同じ種族としか遺せなかったそうなのである。
必然的に起こった問題が、魔界の人口低下だ。
そんなとき、種の存続の危機に一筋の光が射し込んだ。これこそが二つの姿の一族の始まりである。
比較的知能の高い獣達が何を思ったか人型をとる事で、同じ人型をとる別の種族と契る事が可能となったのだ。
二つの姿の種族とは、魔界の環境に合わせて見事適応を果した種族なのである。
よって一般的に魔界では、多種族とも交配可能となる人型をとれるようになると、一人前と見なされるのだ。ヴェルガーにいたっては、額の第三の瞳が開く事も条件となる。きっと他の種族にも色々な異なる条件があるのかも知れない。
ちなみにエネリの旦那さんは純粋な人だそうだ。どおりであたしのにゃん言葉が伝わらなかった訳である。
異種族の結婚で生まれる子どもは、強い方の親の種族になるそうだ。なるほど、納得。旦那さんは見るからに弱そうだ。
非常に興味深い。
もともと歴史に興味があるあたしはもっと聞きたかったが、隣で退屈そうに欠伸をしている仔虎ちゃんにエネリが気付き、さっそく実践に移る事となったのだ。
ところがその実践も、仔虎ちゃんにとっては退屈だったのである。
『あそぼ、あそぼ』
いきなりの衝撃を身体に受けてあたしの集中が途切れる。そのままバランスを崩したあたしは、突撃してきた犯人と一緒に床を転げ回った。
犯人は言わずもがな仔虎ちゃん。
あたしと一緒に瞑想していた仔虎ちゃんは、黙ってじっと動かない、と言う苦行に堪えきれきれず、あたしを巻き込んで遊び出したのだ。つまり飽きてしまったのである。
やはり遊びたい盛りの子ども。一人(頭?)が遊び出すと、残りの仔虎ちゃん達も身体をウズウズとさせてそれに便乗してきた。
『こら、あたし瞑想したいの!』
『きゃー』
何度あたしが諌めても聞きやしない。それどころか抑えにかかるあたしを嬉々として避ける。
あたしの闘争本能に火がついた。
『くおらぁ!』
『きゃーきゃー』
―――グルァァアァ!!
突如響いた咆哮にあたし達はピタリと動きを止める。
『エ、エネリ』
いつの間にか三ツ目の虎型に戻ったエネリがにっこりと微笑んだ。つもりのようだが、鋭い牙が剥き出しにされて、とても恐ろしい。
『さあ、続きをしましょうね』
異論はございません。
みんな背中の毛を逆立てながら、のそのそエネリの傍に戻りました。
それからのあたしは、ひたすら時間の許す限り瞑想をした。
なんと言ってもご褒美は、ダーリンへのあーん、である。
俄然ヤル気が出てきた。
今日もあたしはダーリンへの朝の挨拶の後、瞑想できる場所を求めて颯爽と散歩に繰り出すのである。
やはり精神的な部分が影響する行為でもあるので、落ち着ける場所だと効果倍増なのだ。
ベッドからぴょんっと飛び降りたあたし、なのだが。
あ、あれ?
いつまで経っても足が床に付かない。底が抜けたという事ではなく、浮いているようなのだ。
ひょいひょいとあたしの足が虚しく宙を掻く。
首を捻るとあたしの身体から手が生えて、いや、手が支えていた。
そのまま視線を上にやる。
……ダーリン!
あ、今日は一緒にいろって事ですね。
もちろん従います。
だってあたしもダーリンといたいからだ。
てなわけで、本日はダーリンと一緒に公務に勤しむ事になった。
晴れ渡った空。
赤茶色の葉を繁らせた木々が果てしなく続く。その地平線の先には巨大な建築物を思わせる影がうっすらと浮かんでいた。
ダーリンのお城だわ。
広大な絶景を特等席で眺め、ご機嫌なあたしは何気なくチラッと視線を下にずらすと、思わず毛が逆立ってしまった。
絶壁!
にくきゅうから冷や汗が出る。
今、あたしはヴェルガーの集落の一番高い場所、大岩の頂上付近にいた。
一番高い場所といっても、ヴェルガー以外の来客、つまり人の足で入れる一番高い場所であって頂上ではない。
ちなみに本当の頂上ではヴェルガー獣型の人がだらーんと寝そべって日向ぼっこしてました。いいな、あれ。
ここでは床にあたる岩の一部が大きく掘られていて、そこには雨水が並々と貯めらている。
ダーリンはさっきから、うんたらかんたらと水の浄化作用の事や排水などの説明を受けて、頷いたり指を指したり忙しそうにしてるので、あたしは景色を楽しんでいたと言う訳である。
あ!
見知ったヴェルガーを見つけて、あたしは傍まで歩いて行く。
ガウディだ。
今は虎型でおすわりしたり、辺りをうろついたりと何だか落ち着きがない。
『ねぇねぇ、何してるの?』
挨拶がてらに軽く尻尾を振りながら訪ねる。
あたしに気付いたガウディも、軽く尻尾を立てながら迎えてくれた。
『よう、何してるように見える?』
『うろうろ?』
『……護衛だよ、護衛!』
つまりさっきのうろうろは、辺りを警戒しての事だったらしい。
『リボン似合ってるじゃねぇか』
『えへへ、でしょ?』
お気に入りを褒められると嬉しくなってしまう。すりすり。
最近、あたしは感情や好意を態度で表す様になってきた。
ガウディの太い足にありがとうの意味を込めて擦り寄る。
『ところで、ここは何する所のなの?』
『洗い場兼水飲み場みたいなもんだ。あっちこっちに水を貯める窪みがあるだろ? まだ外に出すには危ない子どもがよく使うんだ。もちろん親と一緒にな』
そういえば、上から見た景色に川や池の類いは見当たらなかった。
離れた位置にあるのかも知れない。
あたしはふわふわ毛並みのエネリの仔虎ちゃん達を思い浮かべる。
確かに、大人ヴェルガーなら魔の森を突破できるが、子どもなら危ないだろう。
『ふぅん』
せっかくなので、窪みの一つを近くでよく見る。
『それは浄化前』
透き通った水の底には、泥や砂等の沈澱物があった。雨ざらしなので、仕方ないかもしれない。
くんくんニオイを嗅いでしまうのは、もはや本能だ。
水底にキラリと反射する何かを見つけて、あたしは思わず身を乗り出す。
そして呆気なく、どぼーんっといい音立てて落ちてしまった。
溺れる、溺れるー!
バタバタ前後足を動かす。
窪みは意外に深かった。
「ミィミィ!」
あたしの甲高い声が辺りに響く。
『……うん、こういう事があるから親と一緒に、なんだ』
濡れ猫となってしまったあたしはガウディにくわえられて、あっさりと救出された。
でも、その『期待を裏切らないヤツめ』みたいな目で見るのは止めて下さい。
そのまま駆け付けたダーリンの近くでぺちょっと放される。
風が吹く。
寒いぃいぃ……!
大岩の頂上付近であるこの場所は、風が吹き荒びとんでもなく寒い。
すっかり身体が冷え込んでしまったあたしは、暖かい場所を求めて本能的にガウディの腹下へ潜り込んた。
『つ、冷た!』
ガウディの抗議は無視する。
今は身体を暖める事が優先。
あったかーい
ぬくぬくと毛皮に包まれて、ほっと息を吐く。
「…………」
その様子を一部始終見守っていた魔王陛下が、ズボッとガウディの腹下に手を突っ込んだかと思ったら、いきなりガシッとあたしの身体に手を固定。抱っこの体勢ですね。
そしてあたしは何故か、
ズルズルズルズルー
引きずり出されました。
曝されたあたしの身体は、たちまち冷え込む。
な、なにするの、ダーリン!?
抗議するように見詰めても、取り合ってはくれない。
一瞬の隙を突いてダーリンの手から逃げ出したあたしは、再び潜り込もうと頑張るが、何故か同じようにダーリンに引きずり出される。
猫の目で見てもわかる、その魔防加工が施された高そうな服を、あたしの水気たっぷりな身体で汚せと!?
無理です。
あたしにはそんな怨みを買う勇気、ありません。
思い返すも侍女時代。
愛くるしい毛皮のカタマリ、フランちゃん。姫様が大層可愛がっていた犬がいたのだが、普段は賢いそのワンコ、何を思ったのか雨上がりの庭で走り出し真っ白な毛並みを泥色に染め上げた。
そのあとお約束のごとく姫様に抱っこをねだり、なんと姫様のドレスまで泥だらけに。
侍女仲間と苦笑いしながらドレスの着替えを手伝ったのち、あたしは汚れものを洗濯係の下女へと頼んだ。
その後、お優しい姫様は自分の落ち度で汚したドレスを洗う下女に申し訳なく思い、さりげなく差し入れを提案したのだ。
姫様からの心こもった差し入れを持って行ったあたしは洗濯場にて、聞いてしまったのだ。
「あのバカ犬、私たちの仕事を増やしやがって」などの罵倒怨嗟呪詛の類いを。
しっかりと聞きました。聞きましたとも。
入って行ける雰囲気では無かったので、差し入れを持ったまま逃げ帰りました。
つまり、このままだとあたしも「あのバカ猫め、躾なおしてくれる!」などと影で言われる羽目になってしまう!
マント?
あれはあたしの心の安寧の為に必要不可欠なものなので、あれに関してはどんな罵倒も受け付ける。でも渡しません。
し か し !
自分で覚悟をした事については構わないが、それ以外の事ではマントの前科があるだけに極力避けたい。
よって拒否。
いーやーー!
必死に抵抗するあたしは、あっさりと裏切りにあってしまった。
『頼む、俺の為に陛下の所に行ってくれ』
パクっとガウディにくわえられたあたしは、ペッとダーリンの前に吐き出されました。
素早くあたしを取り押さえるダーリン。なに、その連携?
あれよあれよと言う間にダーリンの胸に抱かれたあたしは、高級な御服様をしっかりと汚してしまった。
……今度、洗い場の皆さんにドン・グラを貢ぎにいこう。
固く心に誓いながら、怨みを込めてどこか満足気なダーリンを蹴った。
そんな事もありながら、あたしの魔力は順調に戻ってきたのである。
「レディの魔力、だいぶ高くなってきたわね」
エネリに褒められたあたしは胸を反らす。
日々の努力の結果です。
やはり努力を認められるのは誇らしい。……ただし、動機は不純ですが。
「じゃあ、これから身体を変化させる術式を教えるわ」
よーし、ドンとこい!
「といっても、もともと私達二つの姿の種族は身体にその術式が組み込まれているから、難しいこと考え無くても大丈夫」
『…………』
「魔力で自分を包みながら、人の形になった自分を思い浮かべればいいのよ。その時に身体を土で捏ねるようなイメージをしてね」
エネリさん。あたし、違うんです。
とは今さら言えない!
もともとあたしの知っている変化の魔術は、そんなに簡単に出来るものではない。
変化の対象となる媒介を用意し、しっかりと術式を練り、発動と同時に魔力を吹き込み術式を展開させ、身体を対象へと変化させる。
なお、対象に変化中の時には姿を維持させるために常に一定の魔力が消費する事となってしまうのだ。
しかし、エネリやガウディ、その他ヴェルガーの皆さんには、魔力の消費を伴う疲労は見受けられない。
二つの姿の種族とは、まさしく魔界の歴史と環境から生まれた命ある傑作なのだろう。
いや、待てよ。
あたしの場合、もともとは人なのだから、あたし自身の身体を媒介にできないものだろうか?
考える。
変化の魔術で戻る方法は一番初めに考えた。だかその時はあたしの魔力が全く無かった為に諦めたのだ。
でも、今は違う。
さっそく術式の構造を練り立てにかかる。
ん、なにこれ?
組み立てた術式の中に、奇妙な式を発見した。
取り外しにかかるが、この頑固モノは一向に外れようとはしない。
命に関わるようなものでもなかったので、仕方がなく諦める事にした。
さっそく組み立てた術式に、命を吹き込む様に魔力を与える。
展開した術式が意思を持ったように、ふんわりあたしを包んだ。
久々に感じる魔力の奔流。
どこか心地よい、懐かしい感覚。
自分自身で造り出した流れに身を任せながら、あたしは目を閉じてその時を待った。