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リボンをめぐる攻防



あたしは駆け出す。


「にゃあん、にゃあん!」


ダーリン目掛けて一目散に駆け出す。


足にぶつかる様に身体を擦り寄せる。

しばらく周りをくるくる回った後、前足を上げて立ち上がる。

あたしの意図を理解してくれたダーリンは、すぐにしゃがんでくれた。


「にゃー、にゃーあん」


端正な顔に頬を寄せて、今まで会えなかった分も合わせて舐めまくる。


て、あれ? ダーリンさっきから何にもしてくれないけど、そんなに心配してなかったの?


ふと、気が付いたあたしは頬ずりを止めてダーリンを不安げに見詰める。

ダーリンは僅かに顔を緩ませて、優しく一撫でされた後、ひょいっと抱き上げられた。


あ。

あたしが落ち着くのを待ってくれてたわけね。


余りにも冷静なダーリンの反応に、形振り構わず飛び出していったあたしは恥ずかしいと感じてしまう。

本音を言うならもう少し熱烈に喜んで欲しかった。


ダーリンが歩く度に、人垣が見事に割れて道が出来る。

人混みの中から、真っ青な顔のエネリが飛び出してきた。


『エネリ、ありがとう。やっとお迎えが来たの』


「えっ?」


あたしがエネリにお礼を言うと、一瞬虚を付かれた様な表情をした。


「大丈夫だよ、エネリ。こっちへおいで。……失礼致しました、陛下」


エネリの旦那さんが優しくエネリを諭す。

ダーリンは特に気にした様子もなく、奥に用意されたふかふかの椅子に座った。

両脇にはツチアラシライダーの皆さんがダーリンを守るように待機。わらわらと集まり膝を付くヴェルガーの皆さん。

息を切らして入ってきたガウディが、エネリに素早く取り抑えられ、姿勢を低くしたのが見えた。

ヴェルガーの集落広場が、あっという間に謁見の間みたいになった。


「こ度は我らヴェルガー集落へようこそおいで下さった」


ヴェルガーの真ん中にいる、一番大きな体の人が口を開くと、皆一斉に頭を下げた。


「そう固くならずとも良い。今回の訪問はただの視察だ。紙面の報告だけでは全ての現状など到底理解出来るものではない。集落が出来てまだほんの十数年、だいぶと様になってきたようだが、不自由はないか?」


「おかげさまで順調です。全ては陛下のお力添えあってこそ。我ら一同、感謝しても仕切れぬほどでございます」


難しい話が始まってしまった。

思わず欠伸が出てしまう。

ダーリンはあたしを迎えに来てくれたのではなく、どうやらもともと視察にきたらしい。

偶然に感謝しよう。


神様、ありがとう。


といってもあたしの知っている神様は皆当てにならないけど。


生活状況や付近の様子、最近のヴェルガー誕生など難しい話をひとしきりし終わった後、ダーリンはふと思い出したかのように、綺麗なリボンを取り出した。


ん、何?


うとうとしかけてたあたしは瞬きを繰り返す。

目にも鮮やかな美しいリボンが、あたしに御披露目するかのように広げられた。


これは、まさか!


眠気が綺麗さっぱり吹き飛ぶ。


ダーリンからのプレゼント!


興奮のあまりに椅子から降りたり登ったり、降りたり登ったりを繰り返す。


わぁー、素敵!


青空のように染め上げられた光沢の布地に、金色の刺繍が施されている。真ん中には透明感のある紫色の石が付いており、石の留め金はあたしの毛が絡まらないように考えて造られているみたいだ。早速ダーリンが着けやすいように、おすわりをして背中を向ける。


ね、ね、はやくつけて?


チラチラと振り向くあたしの熱視線に、ダーリンは満足したような顔であたしの首にリボンを通す。


何だかすごく、くずったい。


首周りにリボンが優しく擦れる触覚的なくすぐったさもあるが、あたしが感じたくすぐったさは気持ちの方だ。

何だろうか?

嬉しさと同時に気恥ずかしさも込み上げ、二つの気持ちが胸の中で混ざり様々な思いに変化する。

期待、惑い、歓喜。

そして生まれる、暖かい感情。

胸を打つ動悸。

トクントクンといつもよりも速く脈を打つ。


……どうしよう? 今すごく、抱き付きたい。


人のままだったなら、あたしの顔はきっと真っ赤に染まっていた事だろう。

それに人前で自分からダーリンに抱き付き胸に顔を埋めるだなんて、そんな恥ずかしくてはしたない事、絶対にできない。

猫で良かった。

ふわふわとした熱に浮かれ、振り向いた。

視界を掠めた光景にあたしの身体が固まる。

思わず目を疑う。


なんで?


『…………』


か た む す び !?


ギュッと固く、素早く二回結ばれたであろう結び目には、あたしの毛が巻き込まれて大変な事になっていた。オマケとばかりに左右には余ったリボンはびろーんと垂れ下がっている。

しかも振り向き様にそれがペチっとあたしの身体に当たった。


なんて色気の無い結び方!


なんだかもう、色々と台無しだ。

さすが魔王陛下の不器用さには畏れ入る。あまりに男らしくて涙が出てきそうだ。


いやいや、なんで固結びなの!?


こんなリボンを首に結ぶのなら、蝶々結び。これ、絶対に譲れません。

そんな結び方だとすぐに外れる? そんなもの、ちょっと工夫すれば大丈夫だ。初めから蝶々結びに固定したものをリボンに縫い付けてもいい。

色々と出来るものだ。その気があれば。


とにかくこれは却下。

あたしはすぐに外しにかかる。

後ろ足を使って、控えめにちょいちょいっとリボンの結び目を弄るが思うように上手くいかない。


「レディ」


諌めるようなダーリンの声。


もちろん無視します。

貞淑な妻は普段は夫に従うものですが、これだけはいただけません。

貞淑な妻にだって譲れないものはあるのです。


そう、ダーリンに貰ったからこそ妥協はしたくない。綺麗に可愛く着けたいのだ。

プイッと顔を背けて、再びちょいちょいっと結び目を弄りだす。

何度も弄ったせいか、やっと結び目が解れてきた。それにしても、巻き込まれた毛が痛い。

仕方ないな、という雰囲気のダーリンは、ひょいっとあたしを抱き抱えると緩んだ結び目を固く縛る。

元の位置に降ろされたあたしは、結び目を確認して思いきり顔をしかめた。


『……ちょっと!』


今度は苛立ちから、激しくちょいちょい弄る。


「レディ、外すな」


『そう言うのなら、ちゃんと蝶々結びにして。信じらんない、なんで固結びなの!』


乙女心をわかってない!


すぐさまダーリンに抗議する。

だが、ダーリンに聞こえているのはいつもよりも低く「ぅにゃー!」っというあたしの不満たっぷりな鳴き声だ。

緩んできた結び目に、またもやダーリンがあたしを抱き上げギュッと縛る。

もしも、あたしが自由に動く五本の指があったのなら「もう、ダーリンったら不器用なんだから」とかなんとか、幸せそうに苦笑いして自分で直して終わりだっただろう。

だが、今のあたしは猫。

自由に動く指先のかわりに、ぷにぷにしているピンク色のにくきゅうが付いている。

細かい作業にはてんで不向き。リボンの結び目を少し緩めるのも、後ろ足を忙しなく動かすかなりの重労働なのだ。

何度か同じ事が無言で繰り返されたのち、とうとうあたしはキレた。


『だから、固結びは駄目って言ってるでしょ! そんな可愛くない結び方は嫌ー!』


ベシベシベシベシッ!


あたしのお腹に回されたダーリンの腕に、猫キックを連続で食らわせる。


「このっ、さっきまでは大人しかったくせに。一体何が気に入らない!? 命令だ、着けろ!」


『蝶々結びなら喜んで着けるっていってるでしょ、ダーリンの馬鹿ぁ!』


暴れまくるあたしにダーリンもムキになって抑えに掛かる。

負けじとあたしもクワッと牙を見せた。


「……お、畏れながら陛下。レディはリボンを着けるのを嫌がってがっているのではありません。結び目が気に入らないと申しております」


第三者の介入にあたし達はお互いピタリと攻防を止める。

みんなが唖然とした表情でこちらを見ていた。

ダーリンがあたしを放す。

そして、すごく気まずそうに、着席した。あまりの熱戦のあまり立ち上がっていたようだ。

あたしも気恥ずかしさのあまり、顔の毛繕いをして気を紛らわせる。


痴話喧嘩、みられたよ!


しかもかなり低次元の!


ヴェルガーの皆さんはあたしの言ってる事はしっかり理解できるわけで。

会話(?)を聞かれた以上はいつものように、澄ました顔で「我関せず」の姿勢を貫けない。

油断した、思いきり。

魔王城ではあたしのにゃん言葉を理解できる人は居なかったので、いつでも言いたい放題言っていたのだ。

伝わらないもどかしさもあったが、言いたいことを誰にも気にせず口に出来る環境は鬱憤が溜まらないので、あたしはいつでも気分爽快。

今回もその要領で、思いきり、ぼろカスに、魔王陛下に悪態つき、さんざん駄々を捏ねました。


「レ、レディ」


恐る恐るあたしを呼ぶエネリ。

ダーリンとの喧嘩を止めてくれたのはエネリだったのだ。

呼んでくれた事にこれ幸いと、何かと目立つダーリンの傍をそそくさ離れる。

傍に近づいて気が付いたのだが、エネリの顔は緊張のせいか少し強張っていた。

額にはうっすらと脂汗が滲んでおり、張り付いた髪がなんとも色っぽい。

不謹慎な事を考えてしまったが、もしかすると具合が悪いのかも知れない。


『……エネリ、調子悪いの?』


「えっ、そんな、事はない、わ」


それなら、良いのだか。

くりっと首を傾げた時に、エネリの後ろの人と偶然にも目が合った。

その人は、何故かビクッと驚いた後、気まずそうにあたしから目を逸らす。


『…………』


何だか急にいけない事をした気分になった。

あたしが目を逸らすと、再度視線を感じた。

もう一度素早く後ろの人を見ると、再び同じことが繰り返される。

後ろの人も、その隣の人も、斜め前の人も。

何故か固唾を飲んで、あたしの一挙一動を凝視している。

まさか、初めから皆さんの視線はあたしを追い掛けていたのだろうか?

きっとダーリンを大勢いる観衆の前で罵倒したことに関係あるのだろう。

視線が痛い。とても。

そういえばダーリンは魔界でとっても偉い、魔王陛下だった。

あたしだって仕えていた姫様がいきなり罵倒されれば、殺気の一つ二つくらいは簡単に芽生える。


ダーリンはあたしだけの人、ではなかったのだ。


あたしが知っている魔界は、ヴェルガーの集落のほんの一部と魔王城の狭い一角。

本当の意味で、あまりにもダーリンを知らなさ過ぎた。

自分の無知に少なからず衝撃を受ける。

一緒に生きる覚悟。“魔王陛下”を愛するという事。


このままでは駄目だ。


漠然とした焦りがあたしに押し寄せる。

もっとあたしは、知らなければいけない。

知りたい。この世界の事を。


キュッと弱く首が締まる感覚に我に帰る。

見れば、エネリはあたしのリボンを蝶々結びにしてくれていた。


『!』


綺麗に結ばれたリボンに、始めに感じた嬉しさが甦る。


『エネリ、ありがとう』


いつものように、すりすり甘える。

一瞬顔を緩ませたエネリは、すぐにちょっと引きつった顔になった。

やっぱり具合が悪いのかも知れない。

それなのにあたしは、大人気なく駄々を捏ねて、わざわざリボンを結ばせてしまった。

思えば魔界に来てから、いろんな人に迷惑ばかり掛けている。

ダーリンを初めとして、宰相さん、羊美少年。

ガウディにエネリ。

ツチアラシは怖いけど、迎えに来てくれた人達。

いろんな人の善意によって、あたしは生かされている。


もっと、しっかりとしないと。


猫だという、今の現状に甘えてはいけない。


まずはダーリンのペットという立場から、相棒になろう。

ダーリンは猫に癒しを感じていたわけで、きっとあたし個人に対して癒しを感じたわけでは無いのだ。

ふかふかの毛並みに愛嬌ある動物なんて、それこそ猫以外にも山ほど存在する。

以前に沢山の猫がやってきた時は、奇跡的にダーリンが目移りしなかっただけで、今のあたしの立場はあまりにも脆い。

だから相棒に、パートナーになる。

“あたし”にしかできない事を見つけて、ダーリンに認めてもらうのだ。

一つの決意を胸に固める。


でも、その前に。

うん、仲直りしよう。


まずは、思いきり嫌がって暴れて困らせてしまったダーリンに謝ろう。

ダーリンの方に向き直って立ち止まる。

尊大に組まれた長い足。どこか気だるげに付かれた頬杖。反対側の指ではトントンと一定のリズムで腕置きが叩かれている。

なにより表情が無い。妙にまっさらなのが余計に怖い。


な、何でそんなに不機嫌そうなの?


いや、不機嫌なのは分かる。だってあたし、すごく嫌がったし。猫キックしたし。

あたしが聞きたいのは、それを差し引いても余る、その非常に恐ろしげな雰囲気は一体なぜ? だ。

もしかしてエネリにすりすりしたことが原因とか?


そんなまさか、という思いとそれを掻き消すような過去の出来事が脳裏に甦る。


そういえば貴方、あたしが姫様姫様ばかり言ってると、よく嫉妬してましたね。

仕えている主の事を気にかけるのは、侍女として当然の勤め。褒められこそすれ、それに対して拗ねられるなんて、あたし初めての経験でしたよ。

もちろん惚れられた立場にあぐらをかいていたあたしは「いやん。可愛いなぁ、もう」なんて暢気な事を考えてました。

それがまさかの魔王陛下。無知とは恐ろしい。


さしずめ今回の不機嫌は、いつも自分にしか懐かないペットが、預かり知らない所で他人に懐いてしまった事に対する独占欲ゆえだろう。頼むからその独占欲、少し閉まって下さい。


さっそく先ほどの覚悟が試される気分だ。


意を決してダーリンへと足を進める。

威圧感たっぷりのダーリンの視線にあたしの耳がぺちょーんとなるが、ここは我慢。あたし、やるときはやる女、もとい猫です。

勇気を出して「ごめんね」の意味を込めて、ダーリンの足に頭を寄せる。すりすり。

「はぁ」とダーリンが溜め息を吐けば、威圧感はあっという間に消え失せた。

ひょいっと抱き抱えられたあたしはダーリンのお膝に座らされた。

どうやら許してもらえたみたいだ。


「リボンの結び目が気に入らないと、レディがそういったのか?」


ダーリンが問いかけた相手はエネリ。


本当です。

でもそれに関しては十分反省しているし、恥ずかしいので蒸し返さないで欲しい。


「は、はい」


「他には何と言った」


「その、固結びは可愛くない。蝶々結びにして欲しい、と」


だーかーらーやーめーてー


ダーリンは少し考える素振りを見せる。何か思案するように闇色の瞳が伏せられた。


「それはレディと、かなり高度な意志の疎通が出来るという事か?」


「はい。それも魔獣のような一方的な感情の吐露ではなく、お互い会話が成立します。おそらくレディ……様、の知能は我らと同じ高さと考えて間違いないでしょう。地上の種族の事は詳しくは存じ上げませんが、我らと同じ二つの姿をもつ一族の可能性があります」


妙に勿体ぶった動作でダーリンは頷く。


「……興味が出た。しばらく滞在する」


ダーリンの一存で、あっさり滞在が決まった。

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