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森で目覚めた朝

冷たい。

最初に感じたのは、湿った土の感触だった。

頬に草が触れている。

どこかで鳥が鳴いている。

風が葉を揺らす音が、静かな波のように耳へ届いた。

「……ん。」

重たいまぶたをゆっくり開く。

青空。

見たこともないほど高い木々。

枝葉が重なり合い、空を覆っていた。

「……ここ。」

思わず声が漏れる。

体を起こそうとして、違和感に気付いた。

「あれ?」

袖が短い。

いや。

違う。

腕そのものが細い。

小さい。

何度も見慣れた自分の手ではなかった。

「……え?」

胸の奥がざわつく。

慌てて立ち上がろうとする。

足がもつれる。

転びそうになりながら近くの水たまりを覗き込んだ。

そこに映っていたのは。

十歳ほどの少女だった。

黒い髪。

幼い顔立ち。

大きな瞳。

「……誰。」

思わず後ずさる。

水面の少女も同じように下がる。

「私……?」

夢。

そう思いたかった。

でも頬をつねると、ちゃんと痛い。

冷たい風も。

土の匂いも。

全部、本物だった。

「どういうこと……。」

昨日、何があった?

頭の中を探る。

仕事。

会社。

昼休み。

帰り道……

そこから先が、思い出せない。

「事故……?」

胸が苦しくなる。

思い出そうとするたび、霧がかかったように記憶がぼやける。

「だめだ……。」

無理に考えるのをやめた。

今はそれより。

「ここ、どこなの。」

周囲を見回す。

木。

草。

岩。

人工物は何一つない。

道もない。

電柱もない。

人の気配もない。

静かすぎる。

静かすぎて、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。

ぐぅ……

その音に、一瞬きょとんとする。

「……お腹。」

空腹だった。

ひどく。

朝ご飯どころか、昨日の夜から何も食べていないような感覚。

「まずい。」

喉も渇いている。

スマホは?

ポケットを探る。

ない。

財布もない。

腕時計もない。

「何にもない……。」

思わず苦笑いがこぼれる。

「これは、本当にまずいかも。」

すると。

ガサッ。

すぐ近くの茂みが揺れた。

鮎美の体が固まる。

息を止める。

何かいる。

熊?

犬?

それとも……

茂みの奥から、小さな影が顔を出した。

灰色の毛。

丸い耳。

黒い瞳。

「……デグー?」

思わず声が漏れる。

そんなはずがない。

日本でも野生では見かけない動物が、こんな森にいるなんて。

灰色の小さな生き物は、鮎美をじっと見つめている。

逃げない。

威嚇もしない。

まるで、こちらを待っていたように。

「おいで。」

気づけば、自然に手を差し伸べていた。

逃げられるだろうと思った。

けれど。

「ぷぃ。」

小さな体が、ためらいなく掌へ飛び乗る。

軽い。

温かい。

その小さな前足が、鮎美の指をぎゅっと掴んだ。

「……。」

不思議だった。

初めて会ったはずなのに。

ずっと昔から知っているような安心感があった。

「君……。」

その瞬間だった。

頭の奥で、カチリ、と何かが噛み合う音がした。

視界の端に、見覚えのない青白い光が一瞬だけ走る。

けれど、文字は読めない。

いや、表示される前に消えてしまった。

「今の……何?」

答える者はいない。

灰色の小さな生き物だけが、鮎美の肩へぴょんと飛び乗り、森の奥をじっと見つめていた。

まるで――

「こっちだよ」

と、導くように。

鮎美は深く息を吸う。

立ち止まっていても、お腹は満たされない。

誰かが助けに来る保証もない。

「……行こう。」

小さな決意だった。

けれど、その一歩が。

世界の歴史を変えることになるなど、この時の鮎美は知る由もなかった。

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