第四章:星からの使者
それから何年が経ったのか。私は時の感覚を失っていた。太陽の位置から季節を知り月の満ち欠けから月日を数える原始的な生活。だが、これが人間本来の時間感覚なのかもしれない。
私の身体は島の生活に適応していた。塩分を含んだ海風で皮膚は浅黒く焼け魚を捕る毎日で筋肉は引き締まった。髪は伸び放題でもはや「カンザスの女パイロット」の面影はない。
だが私は女性らしさを保つ努力を続けた。海水で髪を洗い貝殻で爪を整え、赤い珊瑚を砕いて口紅代わりに使う。これらは生存に直接関係ない行為だが、人間らしさを保つために不可欠だった。
特に大切にしていたのがフランのブレスレット。毎日磨いて輝きを保つ。金属が錆びないよう真水で洗い、柔らかい布で拭く。この小さな美しいものが私の心を文明世界に繋ぎ止めてくれる。
ある夜私は空に異変を察知した。
それは午後11時頃だった。南十字星の位置から季節は南半球の夏。天の川が最も美しく見える時期。だが空の一角に星座にはない光があった。
それは飛行機ではなかった。プロペラ音もエンジン音もない。完全な静寂の中でその物体は私の頭上に舞い降りてきた。
直径約30メートルの円盤状の物体。表面は鏡面仕上げの金属で月光を反射して青白く光っている。反重力推進システムかそれとも未知の物理法則によるものか。
着陸音はしなかった。砂浜に静かに着地するとハッチが音もなく開いた。
そこから出てきたのは明らかに人間ではない存在だった。身長約2.2メートル、細身で手足が長い。皮膚は青白く大きな楕円形の瞳が顔の3分の1を占めている。典型的な「グレイ」タイプの地球外生命体。
彼女——なぜか女性だと確信できた——は私に近づいてきた。テレパシーによる意思疎通が始まった。
『我々は君を待っていた、アメリア』
声ではない。直接脳内に響く概念の伝達。その感覚は何かに似ている。そう、女性同士が言葉を交わさずに理解し合う時の感覚。心と心が直接触れ合う感覚。
『君のような魂を。星々を渡る翼を欲する魂を』
彼女の意識が私の心に触れる時、不思議な安らぎを感じた。それは母性的な包容力。女性特有の包み込むような優しさ。種族は違っても女性としての本質は共通している。
「あなたたちは何者?」私は声に出して尋ねた。
『我々は探索者。この銀河系の様々な惑星で知的生命体の進化を観察している。地球は我々の観察対象の一つ』
彼女の意識が私の記憶に触れる。大西洋横断飛行の興奮、空への憧憬、重力からの解放願望——私の全てが彼女に伝わった。
だがその時私が最も強く感じたのは、フランへの想いだった。共に空を飛んだ日々。女性同士だからこそ分かち合えた感情。彼女の死への悲しみ。
『君の心の中に美しい記憶がある。同性への深い愛情と尊敬。我々の種族でも同様の感情が存在する』
彼女の言葉に私は安堵した。愛情の形は宇宙共通なのかもしれない。
『君は地球人の中でも特異な存在だ。物理的制約を超越したいという願望が我々と共鳴している』
私はフランのブレスレットを見つめた。彼女の記憶がこの小さな装飾品に込められている。
「それで私をどうするつもり?」
『選択肢を与える。このまま島で一生を終えるか我々と共に星々の海を旅するか』
私は躊躇しなかった。この選択に論理的思考は不要だった。これは魂の選択だ。
「私はあなたたちと行く。でも一つだけ条件がある」
私はフランのブレスレットを手首から外し、彼女の墓の前に置いた。
「彼女の記憶をここに残していく。私が帰ってきた時のために」
『理解した。愛情は距離も時間も超越する』
私は地球外生命体の言葉に込められた優しさを感じた。女性としての共感。これから始まる旅への期待と不安。新しい世界への憧憬。