第1話 小さな初恋を虹の下で
子供の頃は、誰よりも早く、雨上がりの空に虹を見つけた。
友達と手をつないで坂を上り、虹の色を数えた。
「本当に七色あるね」
一緒に笑って、虹の下で初恋を知った。
澄んだ空気に雨粒が弾けて青空が広がると、繋いだ右手が、急に恥ずかしくなった。
「顔が赤いよ?」
不思議そうに覗き込むから、ますます恥ずかしくて上を向くと、虹も赤く光っていた。
右手を、ぎゅっと引っ張られて隣を見たら、優しい笑顔が眩しくて、青い瞳が穏やかで、ずっと見つめていたかった。
だけど、帰り道、両手の指が曲がり角で、すっと離れた。
「僕、来週フランスへ帰るんだ。元気でね」
君が、事も無げに言ったから、無言で別れた。
あの日の初恋は、雨上がりの空の下、虹と一緒に消えたけど、手を振る君に言えなかった「だいすき」が、今でも心に残っている。
☆ ☆ ☆
「こらー!!待ちなさーい!!また、『初恋洗濯機』を壊そうとしたわねー!!」
今朝も又、木ノ下先生の甲高い叫び声が、南校舎に響いていた。
亡くなって十年経つが、トオルと、ミハルの魂は、未だに転生していない。
その原因の一つが、『転生東野小』に古くから伝わる『初恋洗濯機』にある。
成仏できない魂(小学生限定)に使用するもので、転生する子供の為にある。
初恋に未練を残して亡くなった子供の恋心を、ジャブジャブと洗濯し、未練を洗い落とす勝れ物だ。
洗い流すといった方が正しいかもしれない。
それを、トオルと、ミハルは、何度も壊そうとするのだ。
「あのぅ、木ノ下先生」
新米の若葉先生が、数メートル後ろから、遠慮がちに声をかけた。
先生は、今年、『南ヶ丘中学』を卒業したばかりで、子リスのように可愛い。
「何ですか!?」
二人を追いかけ回した結果、肩まで伸びる黒髪は乱れに乱れて、木ノ下先生は、鬼のような形相で振り返った。
「ひっ、あ、朝の職員会が始まってしまいます」
若葉先生は、より一層、遠慮がちに言った。
「はあ……」
木ノ下先生は、深く溜息を吐くと、額の汗を拭いながら髪を一括りにした。
そして、何も喋らず北校舎へ歩いて行った。若葉先生も、慌てて後を追い掛けた。
『初恋洗濯機』は便利な代物に思えるが、危険を伴う道具でもある。
未練は落ちるが、転生した時、恋心を失う可能性が大きい。
つまり、恋愛感情が死んでしまう。
よって、一時は使用中止になったが、初恋の未練が大きすぎる子供には使うしか手がない。
「思えば、不運な子供たちですよ。虹の下で、初恋坂を見つけてしまったばっかりに、未練が大きいんですからね!」
木ノ下先生は、聞かれるでもなしに話し始めた。
若葉先生は、これが木ノ下先生のストレス解消法だと知っているので、黙って頷くことにした。
「だいたい、あの洗濯機は、一度は捨ててしまったのに、二代目の校長が記念にと、拾って来たんですからね!」
木ノ下先生は、心底悔しそうな顔をして、拳を握り締めて熱く語った。
一日五回は、この文句を繰り返しているのだから、もはや口癖だ。
退職された山代先生が、今の木ノ下先生を見たら、腹をかかえて笑うだろう。
木ノ下先生を散々手こずらせた、逃げ足の速さが天下一品だった二人も、遂に捕まった。
満月の夜、トオルと、ミハルは捕縛され、『初恋洗濯機』の中で、ジャブジャブ洗濯されたのだ。
二人は、無事に転生した。しかし、ミハルの方は、『恋愛感情を持たない女』に生まれ変わったのだ。
誰に対しても、恋心を抱かない人間になってしまったのである。