第一章 ⑨
「ぜ、前世? なんで……?」
勇太には秘密があった。
前世に深く関わる秘密だ。
「わたし、そのことで悩んでるの」
と、心陽は澄んだ目で勇太を見つめる。
勇太は、父が自衛官、母がパートタイムで働く、ごく普通の家庭に生まれた。
しかし勇太の両親は、彼がまだ生後半年というときに命を落としてしまった。
転移魔法を通って現れた魔族の災害に、巻き込まれたのだ。
父は自衛官として魔族と戦い、戦死。
母は勇太を連れて逃げる途中、崩れた建物から勇太を庇い、そのまま。
以後、勇太は孤児院で育ち、六歳のとき、今の師匠である一人の女性に、弟子として引き取られた経緯がある。
勇太は過去を鮮明に覚えているし、すべての出来事の意味を、そのときに理解できていた。
勇太は生後一日目から、一般的な高校生並みに物事を解し、半年で日本語を覚えた。
なぜ生まれてすぐそんなことができたのか。その理由こそが、勇太が秘密にしていることであった。
そしてこの秘密は、知られるわけにはいかない。
「ほら、あなたの師匠さん――先代のナンバーワンは、転移人でしょ?」
何も言えないでいる勇太に、心陽は続けた。
「そ、そうだけど……?」
先代のナンバーワンとは、心陽がそうなる前に、ランキングで一位の座にいたヒーローを指す。【雷拳のアイル】というヒーロー名を轟かせた、勇太の師匠その人である。
かつて最強と呼ばれたヒーローの弟子が、ランキングで最下位になったがために、ネットでは師匠に対する批判の声も見られた。
「異世界から地球に転移してきた人が転移人。それと違って、異世界から生まれ変わって地球に来た人が、転生人。転生人かどうかは、その人に前世の記憶があるかどうかで判断されるら
しいんだけど――」
「前世の記憶……?」
「うん」
よりによって、なぜここで前世の話が出てくるんだ?
心陽の言う、前世で悩むって、どういう状況なんだ?
「転生人っていう概念があるのに、実際に転生人だって判明してる人が一人もいないのって、変だと思わない?」
早く答えろ。
動揺を悟られるな。
「転移してくる人がいるなら、たぶん、転生してくる人もいるはず、みたいな感じで、空想上の理論なんじゃないの?」
心陽の目が、尚も勇太の目を見つめる。
「じゃあ、例えばの話ね? 前世の記憶を持った転生人のAさんがいるとします。Aさんには前世の異世界で友達だった剣士がいて、その剣士が大事にしていた剣が、驚くことに地球で発見されました。この場合、転生人はAさん一人だけでしょうか?」
いったい、さっきから何を言っているんだ?
そう問いただしたい衝動に駆られる勇太だが、その衝動を上回る緊張感が迸った。
「お、俺に聞かれても……」
勇太の首筋を汗が伝い落ちる。
「勇太くんは、前世の記憶と思えるもの、あったりしない?」
勇太はすぐに頷いた。
「もしあったとしても、前世とか、今生きてるこの世界とは関係ないだろ? だから考えない」
心陽の表情に落胆の色が浮かび、眉尻が僅かに下がった。
川に目を向ける勇太は、それに気づかない。
「そう、だよね……」
心陽も川に目を遣る。彼女の手が、その胸元をぎゅっと握り締める。
「どうして、俺にそんなことを?」
勇太が聞くと、心陽は首を縦に小さく動かした。
「会いたい人がいるの。どうしても、会いたい人が」
「え?」
理解が追い付かず、言葉に詰まる勇太。
「まさかと思いながら聞くけど、会いたい人っていうのは、前世の……?」
心陽は物言わずゆっくり頷いて、真剣な眼差しで勇太を見つめる。
「それってつまり――」
勇太は言いかけたことを続けるべきか、一瞬迷う。
それってつまり、心陽自身が、自分の前世を覚えてる転生人ってこと?
しかし、その質問をしてしまえば、答えはイエスかノーの二択しかない。
勇太は彼女の答えを聞きたくなかった。
前世を覚えている者が他にもいるなどと、思いたくなかった。確信したくなかった。
もしそんな人物が存在するなら、勇太が恐れていることが、現実のものとなるかもしれない。
「会いたい人って?」
勇太は質問を変え、話題が自分の正体へ迫らないよう図る。
「それは……」
今度は心陽が黙り込んで、視線を落とした。
「恋人、とか」
つぶやくように言った心陽の、微かな潤いを帯びた瞳が、地面から勇太へと向けられる。
「…………」
勇太は彼女の目が、何かを伝えたがっているように感じられた。
だが勇太には、この沈黙を破る術がわからない。破って良いのかさえも。
「…………」
心陽は視線を落とした。
勇太は必死に掛ける言葉を探すが、見つからない。
「……わたしが会いたい人は、剣を持ってたの。大きな剣」
心陽が切り出す。
「剣?」
「そう。剣」
できればもう、この話はおしまいにしたかった。
一方で、心陽はそれを望んでいないようだった。
「今日、勇太くんが戦ってるところを、初めて近くで見たんだけど、変身してるとき、剣を持ってたよね?」
言われてみれば、心陽の扮するナックル・スターと、勇太の扮するユウタが直接同じ現場に居合わせるのも、今日が初めてだった。
「うん。持ってたけど……?」
「勇太くんの剣って、元は誰のだった、とかってある?」
勇太の剣に、元の持ち主が存在するかどうかを、心陽は気に掛けているらしかった。
ぞわりと、勇太の背筋に悪寒が走る。
「…………」
言葉が出ない勇太の隣で、心陽が待っている。
心陽が勇太の隣に座った理由は、剣の話をするためだったのではなかろうか?
なんの目的で?
「ごめん。俺、そろそろ帰らなくちゃ」
勇太はぴょこりと立ち上がった。
「――っ」
心陽がはっとするのを、勇太は視界の隅から感じた。
「勇太くん。剣は、初めからあなたの物なの?」
もう、彼女の目を見れそうになかった。
みんなに尊敬され、応援される、ナックル・スターという輝かしい英雄が、すぐ隣にいるこの状況自体、本来ならあり得ない。
もっといろいろなことを話して、友達になりたい。
そんな思いが、勇太の心の奥底で、すみっこで、勇太を見つめ、悶々とさせた。
だが。
勇太は今、この世界で生きてきて、最も恐れる事態に直面していた。
剣の持ち主と、前世。
この二つのワードは、勇太にとっては苦悩なのだ。
その苦悩に触れようとしてきた心陽は、果たして、自分の味方なのだろうか?
そんな疑問までもが、脳裏を過ってしまう。
「悪いけど、その話はしたくないんだ」
勇太は心陽に背を向ける。
きっともう、心陽とこうして二人きりで話せる機会などやってこないだろう。
それでも勇太は、足を進める。
ちょこ、ちょこ、ちょこ。
小さな一歩でも、積み重ねれば大きな一歩になると信じて、今まで歩んできた。
彼には、大きな一歩でやり遂げねばならないことがあった。
ナックル・スターに並ぶ、スーパーヒーローになる。
それをやり遂げるまでは、止まれないのだ。
「勇太くん!」
心陽の、滑らかで優しくも芯のある声が、勇太の背に触れる。
「また、会ってくれる?」
勇太は思わず、立ち止まってしまう。
心陽が【敵】に該当するようには思えない。
彼女の立ち居振る舞いからは、それがまったく感じられない。
しかし、心陽が勇太に質問をした真意がわからない限り、勇太は彼女を完全に信用するわけにはいかない。
「きっとまた、会うこともあるよ。同盟も、結んだし」
かといって、突き放すようなことも言えなかった。
ぐっと口を噛み締め、勇太は再び一歩を踏み出し、河原をあとにする。
家に着くまでの間、彼の拳はきつく握られていた。




