第一章 ⑧
勇太は一瞬、思考が麻痺する。
スターのグローブ越しに伝わる感触は、暖かくて力強い。
この世界に生まれてから、同い年の女の子に手を握られた記憶はない。
「うん……」
ちょこん。と、勇太は彼女の隣に座り直す。
「ユウタくんは、ここで何してたの?」
「お、俺?」
評価の格差と、自分の感情とに気が滅入っていたなどとは、知られたくなかった。
「ちょっと休憩しに、なんとなく。……ほら、その、チビで歩幅短いし、変身してないと、移動とか大変でさ。しょっちゅう疲れちゃうんだ」
「そっか。……なんというか、ごめんね? ヘンなこと聞いちゃって。体格差とか、すごく大変だよね……」
ナックル・スターは、慌てたように言うと、視線を川へと向ける。
「見た目のこと口にするの、タブーな感じあるから、みんな言うに言えないし。だから共有されないまま、本人が黙って、ガマンして、一人で抱え続けるしかないっていうか……」
膝を抱える彼女の両手が、膝の前で絡められた。
「いや、謝ることはないよ……」
勇太の目が泳ぐ。
悩んでいたのは体格差ではない。けれども、根幹の部分では密接に関与している。だから、取り繕うこともできない。
ナックル・スターが、自分のためにリソースを使ってくれていることに、気が気ではない。
沈黙が川の如く静かに流れたが、スターは数呼吸置いて、それを破る。
「わたしはてっきり、さっきのコメントとか、気にしちゃってるのかと思った」
再び向けられたライトグリーンの視線に、勇太の鼓動は跳ねた。
『さっきのコメント』と言えばもう、一時間ほど前の、ベヒーモスの一件しかないだろう。
自分の核心に迫ることを、ナックル・スターが気にかけている。
本名すら知らない、近いようで遠い存在の彼女が。
心のどこかに、それを喜んでいる自分がいた。
「俺は、そんなことでへこむほど、ヤワじゃない……」
勇太は言って、小さな拳を痛いほど握りしめた。
「あんなコメントなんて、いつも書かれてるから、さすがにもう慣れたよ」
勇太の、眉を開いて気に留めない素振りに、スターの瞳が微かに揺らいだ。
「強いんだね。わたしが同じ立場だったら、耐えられないかも」
「……だったら、俺がここで君の話を聞いて、励ますよ」
言った直後、勇太は後悔する。
俺はなんてキザなことを!
ヒーローはときに、決まりが良い発言を求められる。その癖が出てしまった。
「ほんと?」
彼女の表情が明るくなった。
それを見て、勇太は安堵の息を吐いた。
生まれた年が同じだからか、勇太はスターのことを、今この場所では、等身大で見てしまう。
なんだ? この妙な親近感――。
勇太の脳裏を、かつての友人――ココの笑顔が再び過った。
「うん……」
勇太は、隣に座る少女に感謝の念を抱いていた。
底辺ヒーローと揶揄される自分とも、分け隔てなく接してくれることに。
「それじゃあさ、わたし達で同盟を結ばない?」
「同盟?」
「うん! 困ったときは助け合う同盟!」
白い歯を見せるスター。
どうして彼女はこんなにも、幸せで楽しげな笑顔になれるのだろう?
世界一のヒーローとして、その名に恥じぬ働きを求められている。それは、とてつもないプレッシャーのはず。
加えて、命のリスクと隣り合わせだ。彼女が万が一、不測の事態に対処し切れなかったときのことを想像してしまうと、キリの無い不安が押し寄せてくる。
少なくとも勇太が同じ立場なら、それこそ耐えられないかもしれない。
今までは、自分がそんな立場になったときの事など考える余裕もなかった。
ただがむしゃらに、人助けを頑張ってきただけなのだ。
「どう?」
勇太はただ、頷くことしかできない。
「俺で、よければ……」
「なら決まり」
スターは嬉しそうに笑って足を崩し、勇太の方に身を寄せ、片手を差し出す。
「困ったときは助け合う同盟、成立!」
勇太が握り返すと、優しく上下に振られた。
「同盟の名前、もっとコンパクトなのがよくない?」
「名前はなんだっていいの」
勇太は呼吸を忘れるほど、彼女の瞳に見入ってしまう。
彼女の笑顔からは、一人になりたいのだと悟らせるようなものが感じられない。
一人になりたいわけでないなら、なぜここへ?
一人が良ければ、俺がいるのとは別の場所に腰を下ろせばいい。
だが、ナックル・スターはそうしなかった。
「――あのさ」
勇太は、切り出す。
「ん?」
少女はぱちぱちと瞬きした。
河原へ来た理由が他にあるとしても、それは勇太にはわからない。
だがもし、彼女が本当に何かを悩んでいて、そうしてここへ偶然辿り着いたというのなら。
「同盟を結んだからには、俺も君の話、聞きたい」
「わたしの話?」
「うん。君も一人になりたかったってことは、考え事がしたかったってことでしょ?」
「……心陽」
「え?」
「わたしの名前。高峰心陽」
「えっ!」
「おかしい?」
彼女の名前は、心地の良い響きだった。
「いや、違くて、その、――ほ、本名?」
「そうだよ? 心に、太陽の陽って書いて、心陽。心陽って呼んでほしい」
「人に言っちゃって平気なの?」
勇太は四方に目を走らせ、聞いている人やドローンがいないかを確認する。
「あなたのヒーロー名だってユウタなんだから、本名を名乗ってるようなものでしょ? それ
とも偽名なの?」
「いや、本名……」
勇太は顔から火を噴きそうだった。
「だ、だって、この見た目だぞ? 偽名を使ったところで、俺だとすぐバレちゃうから、意味が無いんだよ」
「じゃあ、ついでに苗字も教えてよ」
「えっ」
「そうしたらフェアでしょ?」
いたずらっぽく笑う心陽。勇太の心臓は跳ねっぱなしである。
「や、山田。そこに、勇ましいに太いって書いて、勇太」
「山田勇太くん?」
「うん……」
ヒーロー同士で互いの本名を教え合うのは、親交が深く、強い信頼関係で結ばれている間柄なのが一般的である。
まさか、初めて面と向かって話す相手と教え合うことになるとは、思いもしなかった。
「山田勇太くん」
「な、なに?」
「わたしの話、聞いてくれるの?」
僅かに笑みをほどいて、心陽が言った。
「うん……」
名を呼ばれたことにドギマギする勇太が頷くと、心陽はまた、その瞳を微かに揺らがせた。
「それじゃあ、勇太くんはさ」
心陽の瞳に、勇太は吸い込まれそうな気がした。
「――前世って、ほんとにあると思う?」
不意に提示された前世という言葉に、勇太の頬が引き攣った。
心陽から顔を背け、川へと向ける。