第一章 ⑥
「え?」
勇太が顔を上げると、長身でメガネをかけた少年が立っていた。
彼の手には、勇太の財布。
「君のことだ。人目を忍びたい心理で、地下から帰るものと読んだのさ。感謝したまえよ?」
「インテリ……お前が拾ってくれたのか?」
勇太が財布を受け取ると、メガネの少年は頷く。
「君が現場に落として、気付かないまま帰ってしまうのが見えたんだ」
「――お前の視覚能力は鳥類並みって噂、伊達じゃないな」
メガネの少年曰く、遠距離から狙撃で援護しようとしたところで、ナックル・スターが魔物をあっという間に倒してしまい、出番を失ったらしい。
「所持品は個人情報の塊だ。もう少し管理に気を配れ。学生証とか見られたら身バレだぞ」
メガネの少年の背中には、変身魔法によって召喚された大型のクロスボウがあり、矢で狙撃する遠距離タイプのヒーローであるとわかる。メガネには望遠機能と索敵機能があるらしい。
「インテリよ、俺はこの見た目だぞ? 学生証のあるなしに、大体一目でユウタだってバレる。もう開き直るしかない」
「いつも言ってるが、インテリじゃなくて、いんてる! 院照誓矢だ」
誓矢の黒髪は色素が薄めで短く手入れされ、顔立ちも俳優のように整い、紳士的な雰囲気がある。そこに黒縁のメガネと生真面目さが合わさり、インテリと呼ばれるようになった。
「ネットでみんなからインテリって言われてるだろ? 愛嬌だよ、愛嬌」
「この見た目だから、視聴者は僕をそう呼んでいじるんだ。でも君は同業者だろ? 今は本名
ではなく、サン・アローと呼んでくれたまえ」
サン・アローとは、彼のヒーロー名である。
勇太は肩を竦め、改札に向かう。
「悪かったよ。財布をありがとう、サン・アロー」
勇太は礼を言って、ガンッ。また通行止めのバーに引っ掛かった。
「街の平和を守るヒーローがそんなでどうするんだ? もっとシャキっとしたまえよ」
「わかってる」
「背中、丸まっているぞ。それじゃあ、小さい背中がもっと小さく見える」
「なぁ、サン・アロー」
勇太は改札を通ってから、誓矢を振り返る。
「なんだい?」
「お前みたいに、変身していられる時間を長くするには、どうしたらいいと思う?」
変身していられる時間は、魔力の質に左右される。
「……それで絶望したような顔をしているのか?」
「どうしたらいいと思う?」
「人によって違うだろう? 十人のヒーローがいたら、やっていることも十通りだ。自分で正解を探すしかない」
「魔力の質を高めるために、何をやってる?」
「僕の場合は、弓道とアーチェリー。弓を扱うスポーツをすることだ。僕が使う武器と合っているだろう?」
誓矢が背中のクロスボウを指し示す。
「魔力の質を良くするには、より強く鮮明なイメージが必要だって言うしな。弓の魔法を扱うなら、イメトレも弓ってわけか」
「ナックル・スターに比べれば、僕もまだまださ。彼女くらいに質が良くなれば、強い効果の魔法を発動できるし、少しの魔力で長時間の変身も可能なんだけどね」
「【魔法微生物】が生成する魔力の量は、限りがあるもんな。俺も質を上げて、低燃費になりたいんだけど……」
ぐっと、勇太は拳を握りしめる。
「問題は、魔力の質が上がる行動に巡り合うことだけど、至難の業だよな」
魔力の質が向上するためには、体内の【魔法微生物】と仲良くなる行動をしなければならず、その行動は人によって違うため、個々人の正解を見つけるのが極めて難しい。
「千差万別って言われているからな。……だから、諦めずにいろいろなことをやってみるしかない。君の師匠なんか、かなり変わったことをやっていなかったか?」
「魔法を使うときは、お札に決まった魔法陣を描いて、一日に三回以上、猫の真似をする」
師匠が毎日、筆でお札に魔法陣を描いたり、猫そっくりの声で鳴いたり、両手で頭や顔を擦ったり、手の甲を舐めたりしている光景を思い出し、苦笑を溢す勇太。
「自分に合う方法を見つけるには、そういうギャグみたいなことまで手を出さないと見つから
ないこともあるんだ。探し続けるしかないさ」
「どう頑張っても成長しない呪いに掛かってるとしたら?」
「呪い?」
「うん」
誓矢の目が、訝るように細められる。
「どういうことだい?」
「……いや、なんでもない」
と、勇太は踵を返す。
つい、口にするつもりのなかった言葉が出てしまった。
心のどこかで、誰かに知って欲しいのかもしれない。
「山田くん。呪いだかなんだかわからないが、君が諦めない限り、誰も君の可能性をゼロにはできないぞ」
「俺は、この目で確かめたものしか信じない質だ。可能性は、目に見えないだろ?」
「……君はどうしてそう、希望を持とうとしないんだ?」
誓矢の声が落ち込んだ。
勇太は立ち止まり、振り返る。
「希望も目に見えないから。……けど、絶望もしない。理由は同じ」
「それは、前向きな意味で受け取っていいのか?」
「ああ。気長に頑張るよ」
「――呪いも、目に見えないものじゃないのかい?」
誓矢の最後の問いに、勇太は答えなかった。
☆
勇太が自宅の最寄り駅まで戻ってきた頃には、日が西に沈み始め、むし暑さが薄れていた。
物思いに耽る勇太は、家路につく途中で、ふと河原へ立ち寄る。
東京と千葉の間を流れる江戸川――その土手のなだらかな斜面に腰を降ろした。
「…………」
脳裏に浮かぶのは、自分に対する否定的なコメントの嵐。
勇太はまたしても携帯を取り出し、SNSを開いてしまう。
ヒーロー・ユウタで検索し、人々の反応を見る。
《ユウタとかいう雑魚、なんでヒーローやってるの?》
《足手まといなんだから辞めちゃえばいいのに》
《日本のヒーローの面汚し》
《底辺ヒーロー》
さきほども見たコメントに行きつく。
改めて見ても、胸が締め付けられる感触は変わらない。それどころか、コメントが増えていないことにもショックを受けてしまう。
興味ないヤツのことなんて誰も見ないし、話題にもしないもんな。
勇太はそう捉え、斜面に寝そべった。
なんでヒーローやってるの? と、ここには居ない誰かが思っている。
君には言ってもわからないよ。俺のことなんて。
夕日を受け、オレンジと青紫のグラデーションを織り成す空が、まるで自分の心の中を映しているかのように思えた。太陽のオレンジが、深まる宵闇に抗っているが、追いやられるのは時間の問題。
このままヒーローを続けても、今日の戦いのように、重要な場面では他のヒーローに頼らざるを得ず、場合によっては何らかの失態を犯し、その責任を負うかもしれない。
それは避けなければならないが、避けられなかった場合を思うと、身震いするほど恐ろしい。
けど、わかっていて尚、俺は立ち向かわなくてはならない。
勇太の課題は、魔力の質を上げ、効果を強め、変身持続時間を延ばすこと。
聖剣頭突きがベヒーモスの手を破壊できなかったのも、魔力の効果が足りないからだ。
「魔法微生物。聞こえるか? 俺にもっと質の良い魔力を……」
勇太は試しに、そう声に出してみる。