最終章 ②
お札は不思議にも、風に吹かれることなく、まっすぐに心陽の肩に貼り付いた。
再活性のお札には文字通り、身体を活性化させる魔法が込められてある。そのお札を貼りつけた者の大半の魔力と引き換えに、貼りつけられた者の傷や体力を大幅に回復させるものだ。
瞬間、肉と骨が断ち切られる、鈍い音がした。
「うぐ、ぅ――」
ドリィの胴体ほどもある太さの魔剣が、彼女の華奢な身体に大きな裂け目を穿ったのだ。
「ドリィ!」
心陽が叫ぶ頭上から、ドリィは人形のように落下。魔法障壁など張れる余裕もなく、地面に
叩きつけられた。
手足が不自然な方向へ曲がり、額、口、腹部から大量の血を流して、しかしドリィはまだ意識があった。
「ドリィ、どうして……?」心陽が身を起こした。
「自分のご主人さまに、逆らったかって? ――あはは、びっくり、した?」
これまでの威勢など見る影もなく、消え入りそうな声で、ドリィは薄く笑った。
「ずっと、ずっと、昔ね?」
夢魔という存在を、ドリィという存在を理解できず、首を振る心陽に、ドリィは語り掛ける。
「ドリィの、ママ、は、魔王の、オンナだった。けど、魔王は、飽きて、ママを、切り捨てた」
心陽はそれを聞いて、はっと目を見開いた。
自分たちと同じように、大切なものを失ったことのある存在は、魔族側にもいたのだ。
「お前も母親に似て、愚かだったのだな、ドリィよ。母親は、お前の自由を俺に求めた。我が僕は永劫、僕でしかない。俺の意に背いたならば、罰は当然のこと」
巨体の肩の上から、魔王の冷酷な声が降ってくる。
「夢魔の命が一つ捨てられた程度で、死してまで復讐しようとは! 滑稽の極みなり!」
魔王の嘲笑が響き、心陽は拳をきつく握りしめた。
「わたし、今わかった。ドリィの気持ち」
心陽の目と、ドリィの目が合う。
「自ら投げ出せるほど、人生は軽くないもんね? 運命とか、そういうものは関係なく、あなたは逃げずに生きて、耐えて、機会を待ち続けた。どんなに孤独で、辛かったことか……」
心陽はかつての自分と照らし合わせ、その目から涙を流した。
「わたしは、喉を切り裂いて逃げた。結果的には良い方向に向かったけど、わたしがやったのは、喜んじゃいけないこと。ドリィを見て、それを改めて、もっと強く理解した。人生はそれだけ重くて、意味のあるものなんだって」
「意味を語れるのは、絶対的な存在のみだ。貴様らのような、うつろい消えゆくだけの下等生物ごときに、その資格は無い! 貴様らに価値など無いのだ!」
魔王は吐き捨てるように言い、魔剣を頭上高く構えた。
地上の三人に、死が降り注ごうとしている。
「だからね? ドリィ。わたしも、もう逃げない。わたしは前のわたしとは違うから。ココじゃなくて、高峰心陽だから!」
心陽は身体により一層の力を込め、どうにか立ち上がる。
再活性のお札の補助を受けてもなお、魔王から受けたダメージは心陽を蝕んでいた。
彼女のバックルベルトが赤く点滅。魔力枯渇を知らせるアラームが鳴り出す。
しかし心陽の表情は、危機的状況を撥ね退けるかのように晴れやかだった。
「今なら、ちゃんと言える。わたしの人生にだって、意味があったんだって、気付けたから!」
と、心陽は言い、胸に片手を当てる。
どうか、この言葉が彼に届きますように。
「――わたしは、かつてのユータン・ライスフィールド、そして、今を生きる山田勇太くんのことが、好きです」
それは、心陽の前世で、魔王がココに掛けた、【不告白の呪い】――その発動を意味する言葉。
でも、構わない。心が軽い。
一人の男の子を好きになった。好きになれた。好きって言えた。
「貴様、その名前――まさか! 前世でユータンと一緒だった、あの小娘か⁉」
かつて自らが呪った少女を思い出したか、魔王は言った。
「そうだ! わたしはかつて、ココという名前だった。そして今は、心陽という名だ! お前の呪いなんて、恐くなんかない!」
心陽の断固たる物言いに、魔王は嘲笑を響かせる。
「ドリィといい、貴様といい、抵抗虚しく潰え、無になる定めだというのに、その反抗的な眼
差し。弱き者は強き者の僕として、争いなく暮らすのが道理。それもわからぬとは、滑稽な!」
魔王が言った途端、ドクン! と、心陽の心臓が、刺すような痛みを伴い脈打った。
ついに呪いが発動したのか。と、心陽は察する。
ふと胸元を見下ろすと、ヒーローコスチュームさえも染め上げる形で、赤黒い染みが左胸から腹部、首元へと広がり始めていた。
もう間もなく、わたしは呪いによって死を迎える。
「魔王よ、愚かなのはお前だ。長く生き、圧倒的な力を持ちながら、人の尊さを理解できないなんてな」
かろうじて呼吸を落ち着かせたアイルが言う。
「好きに抜かすがよい。俺は貴様らのような愚か者を泡のように消し、忘れ去る」
心陽が目を閉じ、己の魔法微生物に意識を向けると、彼らが訴えかけてきた。それによれば、魔力は残り僅か。できるとすれば、渾身の攻撃か、渾身の防御。いずれにせよ一度きり。
たとえここを凌げたとしても、自分には呪いによる死が待っている。
だからどうした!
両足を肩幅に開き、両腕を腰溜めに構え、魔力を拳に集中する。
「絶世破断・輪廻封殺」
魔王が唱えると、魔剣の闇色のオーラが大きさを増し、渦巻き始めた。そして、
「滅びろ、愚か者ども!」
魔王はその魔剣から、黒き波状の剣撃を振り飛ばしてきた。
心陽が選んだのは、アイルとドリィの前に立ちはだかったうえでの、攻撃。
天目掛け渾身の打撃を放ち、魔王の剣撃にぶつけること。
「――っ!」
歯を食い縛る心陽。その目尻から、光が散る。
面と向かって言えなくて、ごめんね。
どうか、元気で。
「はぁあああああああああああああああッ‼」
心陽が決死の咆哮を上げ、まさに拳を繰り出そうとした、そのとき。
ガキィン! という金属音を轟かせ、魔剣から放たれた黒き剣撃が、何者かの大剣に受け止められた。




