第三章 ⑫
「なにを馬鹿な⁉ 核の影響範囲には、多くの避難場所も含まれるんだぞ⁉」
『だから今、首相たちが時間を稼いでる! 彼の国が強硬手段に出る前に、なんとかして魔王
を倒さなくてはならない!』
アイルと同様に、川本の声にも焦りと思しき震えが混じる。
「俺に逆らう愚か者どもには、我が呪いをくれてやる」
魔王の圧倒的な存在感が、心陽たちを重圧で包囲した。
☆
アイルと五郎が長年をかけて築き上げた、異世界災害への対策。それが魔王の力を前に突き崩され、世界に絶望が広がる。
そんな事態を見つめる勇太にも、絶望と焦りの重圧が募りつつあった。
このまま覚醒できなければ、きっと前世の二の舞になる。
「勇太クン。ここからは動画として放送しない、内緒のパートに入るからね? あなたの師匠・アイルハトゥール・イヴエールは、あなたにこんな伝言を残した。〝お前は私の支えになってくれた〟」
「師匠が? なんでドリィに?」
「魔王が来たことを教えたとき、勇太クンに伝えてくれって」
勇太は嫌な予感がした。
「アイルはどうして、勇太クンに伝言を残したと思う?」
勇太が前世で戦った魔王の背丈は三メートルほどだった。それが五十倍もの大きさとなって現代日本にやってきたとなれば、その強さは計り知れない。
「師匠、……死ぬ気か⁉」
「死ぬ覚悟で戦う人の気持ち、勇太クンならわかるでしょ?」
「…………っ!」
勇太の脳裏に浮かぶのは、前世の最後の戦場。同じことが、日本でも引き起こされている。
「それじゃあいよいよ、そんな勇太クンに、最後のクイズです。あなたが覚醒するためには、何をすべきでしょうか? この最終問題に、選択肢なんて甘いものはない。死ぬ気で戦う仲間のためにも、絶対に答えなくちゃダメ!」
ブラスバンドの最後の演奏が響く中、勇太の焦燥は続く。
早く元の世界に戻って、なんとかしなくては!
「勇太クン? 答えは?」
会場の喧騒の中、ドリィの声だけがはっきりと聞こえた。
思考が渦巻く。
師匠の気は確かなのか?
心陽は俺に何を言おうとした?
どうすれば魔力が覚醒する?
仮に魔力が覚醒したとして、それで魔王を倒せるのか?
「……」
勇太は自分の肉刺だらけの両手を見下ろす。
この身体になってから、かつては片手で扱えた剣が、強化魔法がなければ両手でさえ持てな
くなった。その強化魔法も、長続きしない。
誰かになろうとしなくていい。ありのままの自分でいれば、それでいい。
日本に転生して、いつしかどこかで知った、励ましの言葉。
俺は、弱い。でも、それが俺だ。
だから、弱くていいんだ。誰も助けられない。自分すらも、助けられない。それでいいんだ。
――いいわけあるかよ!
本来出せるはずの力が出せず、自分にすらなりきれない者にとっては、その励ましは、残酷な救いでしかない。不完全な自分を受け入れて、諦めるための。
それじゃ、ダメなんだよ。
鍛えたところで、呪いのせいでまったく成果が出ないとわかっていて、それでも鍛えた。
続けられたのは、ココへの想いがあったから。
想いって、なんだ?
「……」
黙したままの勇太を見つめて、ドリィは待っている。
勇太の脳裏に、ユータンだった頃に育った故郷が蘇る。
剣士を志す傍ら、父から鍛冶師の技術を受け継いだ。
魔王軍が勢力を広げる最中、戦いの旅の果てに入手した金属から、自らの手で聖剣を鍛えた。
――すべては、ココと過ごす日々を守りたいと思ったからだ。
ココと一緒にいたかった。と、勇太は自分の想いを再確認する。
その想いは、転生した今でも変わっていない。
「そうだ。俺は、心陽のことが――」
「ココのことが、なに?」
静かに、ドリィが問う。
「好きだ」
勇太がその言葉を言ったとき、それは起こった。
勇太は突如として、己の血流という血流が細部まで知覚できるようになり、その流れが高い熱を帯び始めたのがわかった。
「っ⁉」
勇太は自分の身体を見下ろした。
身体中が、熱くなっていく。
魔法微生物だ。
魔法微生物が、魔力を生成し始めたのだ。
「今、急に力が……」
勇太の状態を察したか、ドリィは微笑んだ。
勇太は目を閉じ、己の内から沸き上がる、かつてない強大な魔力を感じつつ立ち上がる。
身体が軽い。質の良い魔力とは、このこと言うに違いない!
「俺はやっぱり馬鹿だ。なんで今まで、あの子に直接言わなかったんだ……?」
そう自責したときだった。
体内を巡る魔法微生物が、とある言葉を訴えてきて、それが脳裏に浮かび上がった。
究極変身。
勇太がその言葉を心の中で唱えると、全身を温かな風が取り巻いた。
そうして勇太は目を開く。
会場がどよめき、ドリィまでもが、驚愕に言葉を失って勇太を見ていた。
「え? ここ、ドリィの世界なのに、どうして魔法、使えてるの? そんなことできるの、魔王サマくらい……」
「え?」
勇太は、自分の声が普段よりも低く、男らしいものになっていることに違和感を覚え、ふと身体を見下ろした。
地面が遠い。まるで誰かに肩車されたかのように。
大人サイズのブーツとズボンが見える。
「えええッ⁉」
勇太の体型が、別人のそれに変わっていた。
――いや。
勇太はその姿に見覚えがあった。
「ほい、鏡」
ドリィが指を鳴らし、勇太の眼前に立ち鏡が出現。
「っ!」
勇太の思った通り、かつてのユータン・ライスフィールドの姿が、鏡に映っていた。
【究極変身】なる、魔法微生物が訴えてきた変身魔法で、勇太はかつての自分の姿に変身したのだ。それも、ドリィの支配を押し退ける形で。
「ドリィの支配を逸脱したの、お見事! 灯台下暗し、だっけ? 簡単なようで超難しい最終問題、見事に正解!」
ぽかんとする勇太を余所に、会場の人々の歓声が、ブラスバンドの演奏と混ざり合う。
「つまり、俺の魔力が覚醒する条件って、心陽に好きって言うこと……⁉」
「あなたって不遇なようで、答えはごく単純で、恵まれてるじゃん! おもしろ!」
ドリィは可愛らしい笑みを顔いっぱいに浮かべ、満足そうに続ける。
「お、俺に、こんなことできたなんて、……もっと早く気付けていれば……」
「今まで抱えてきた思いとか、重ねてきた努力とか、そういうぜんぶが合わさったおかげだと、ドリィは思うね。あなたの中で、あなたを見てきた魔法微生物だからこそ、成せるものだよ?」
悔恨の声を漏らす勇太に、ドリィが言った。
「なら、気付けてよかったと思うべきか……?」
勇太は、自らの大きな手のひらを、ぐっと握りしめた。
「過去を断ち切れ。アイルはそうも言ってた」
「師匠が……?」
ドリィは頷いた。
「いろんなこと、ずるずる引きずってないで、あの子に向かって直接、好きって言いなよ」
ドリィがそう言って指を鳴らすと、勇太の眼前に木製の重厚なドアが出現。
「覚悟ができたら、そのドアを開けて進みな? その先でどうすればいいかなんて、誰にもわからない。勇太クンが自分で決めるの」
ドリィはドアを指差した。
「っ!」
勇太は口を引き結び、ドアの前に立つ。
「なぁ、ドリィ。お前の目的って、本当に復讐なのか? いったい誰に――」
「そんなのいいから、行きなよ。時間、無いんだから」
と、ドリィは穏やかな表情で目を閉じた。
「――ああ。行くよ」
「頑張りな。少年」
ドリィの言葉を背に、勇太はドアを開け、降り注ぐ光の中、一歩を踏み出した。
☆
「誰もが、もう終わりだ、ダメだ、って思う。……そんな中でも、頑張れる子は、戦い続けるんだね。ドリィはこの世界へやってきて、山田勇太という少年から、高峰心陽という少女から、アイルハトゥール・イヴエールというおば、……お姉さんから、学んだのでした」
ドリィは言って、勇太が残していった洋菓子を頬張る。
「ドリィのママも、ドリィが知らないだけで、きっと、アイツと戦ってた。勇太クンと同じ目をしてたから……」
クイズ会場に残る観客がどよめき始めた。
ドリィが一度大きく手を叩くと、会場は夢のように静かになった。
「――さてと」
ブラスバンドも、観客も、誰一人いなくなった会場で、一人スポットライトを浴びるドリィは、大きく伸びをした。
「ドリィはもう満足。あとはアイツに、ケリをつけるだけだね」




