第三章 ⑦
魔王の呪いがもたらす現実と向き合うだけで精一杯の勇太は、ココがこの地球に転生している可能性に思い至ることができなかった。
むしろ、魔王の手先が転移してくることばかりを危惧してきた。
ココと会うことはもう二度とないものとし、自分のことだけを気にしてきたのだ。
もう一度、心陽に面と向かって立ち、想いを伝える資格など、あろうはずもない。
「自分には、そんな資格なんてないって思ってるでしょ?」
頬を膨らませるドリィに、勇太は何も言えない。
「図星ね? 心陽ちゃんもあなたも、どうしてそう自分一人で抱え込んじゃうかなぁ。二人の人間が身を預け合って【人】って書くんだから、二人で支え合えばいいじゃん。向き合うことから逃げちゃ、見てるドリィからしたら、超つまらない」
「…………」
ドリィにそう言われて、勇太は肩が少し軽くなった気がした。
「それにさ、気付かない? 勇太クン。魔王サマがあなたに掛けた【不成長の呪い】は、あなたの体格に対するもの。要は、聖剣を扱うあなたのリーチが長いことが、魔王サマにとって厄介だったの。魔力そのものは、呪いの対象に含まれてない。たぶんだけど、前世であなたと戦った魔王サマが、あなたの魔力に対しては脅威を感じなかったからだと思う」
勇太は目を見開いた。
「……なら、俺の魔力は、それを覚醒させる方法さえわかれば、呪いに邪魔されずに発揮できるってことか?」
ドリィは頷く。
「あなたの魔力の質が良くなくて、すぐに息切れを起こすのは、気持ちの問題」
「気持ちの問題? 呪いのせいじゃなくて?」
呪いのせいではないとなれば、まだ希望はある。
「あるんでしょ? 心陽ちゃんに伝えたいこと。それがスッキリすれば、魔法微生物も喜ぶかもよ?」と、ドリィ。
「俺の魔力を高めるには、心陽に想いを伝えればいいのか? 俺の魔法微生物たちは、言いたいことを言うだけで、質の良い魔力を供給してくれるのか? そんな都合のいい話なのか……」
ぶつぶつと独り言ちる勇太を見て、ドリィは肩を落とす。
「勇太クンは、魔王とかその手先が、いつ襲ってくるかもわからず、さらには覚醒の方法もわからずに、ずっと不安な日々を送ってきたわけでしょ? 次第に追い詰められて余裕がないわけ。ドリィだったら、そんなときは、可能性が少しでもある方向へ片っ端から進んでみるけどなぁ? 夢魔のドリィが夢から別の夢へ渡るときも、そういう気分だったりする」
魔王が侵略に来ると、ドリィは言った。
勇太はかつて、魔王の首に傷を負わせた。それが、魔王の負った初めての戦傷だった。
前世では、ユータンの聖剣だけが、強力な魔法障壁を持つ魔王に届き得る武器だった。
その聖剣は、今も勇太の求めに応じて、変身したときにのみ現れる。
しかし勇太は、ユータンのときのような、強靭で大柄な身体ではない。今のままでは、聖剣
もまともに扱えない。
だからどうにかして、魔力だけでも高める必要がある。
「心陽に会いたい」
気付けば勇太は、誰に言うでもなしに、口にしていた。
「なぁに?」
「心陽に、今すぐ会わせてくれ!」
首を傾げるドリィの目を見て、勇太は言った。
「もういい加減、自分のことばかりじゃダメだ! 俺は変わらなくちゃいけない!」
もはや、自分から言い出すのが恐いなどと、言っていられる場合ではない。
「今すぐはムリ。でも、ドリィからの最後のクイズに答えられたら、勝負は勇太クンの勝ちで良いよ? 元の世界へ戻してあげる」
「……本当に、次で最後なんだな?」
今すぐにでも目を覚ましたい勇太は、ぐっと堪え、ドリィの目を見る。
「うん。次でおしまい」
と、ドリィはまた、視線を伏せた。
「マカロン、食べる?」
ドリィは細い指で、洋菓子が並んだ皿を勇太の方へと押す。その爪にはハートのネイル。
「甘いの、苦手なんだ」
「お紅茶は?」
ドリィはティーカップを口に運んだ。
勇太はそれを見てから、おもむろに身を乗り出して、小さな両手でティーカップを取る。時間はかなり経っていたが、紅茶はまだ湯気を立てていた。
ずずず。
勇太は、焦る気持ちが少し落ち着いた。
「おいし?」
「うん」
勇太が答えると、ドリィは満足げに目を閉じた。
「……」
そうして目を開けたドリィからは、微笑みが消えていた。
「最後のクイズに進む前に、約束通り、魔王サマと呪いのことについて教えてあげる」
会場全体が静まり返り、彼女の声に集中する。
「魔王サマはもう、日本に来てる。東京湾に」
「なっ……⁉」
その言葉に、勇太は耳を疑った。
「呪いを解くには、魔王サマを倒すしかない。でも、今の魔王サマの倒し方は、ドリィにもわからない」
淡々と、挑戦的な視線を放つドリィに、勇太は驚愕を隠せない。
頬が引き攣り、額にじわりと汗がにじむ。
「今の魔王?」
「うん。今の魔王サマは、ユータン・ライスフィールドが戦ったときのサイズとは違う、五十倍くらいの大きさにパワーアップしてるの」
「ご、五十倍っ⁉」
勇太の脳裏には、前世で魔王と戦ったときの光景がフラッシュバックしていた。
もう二度と、あんな虐殺があってはならない。
魔王を倒せる可能性があるとすれば、聖剣しかない。その聖剣を持っているのは、勇太一人。だが、倒すべき魔王が大きすぎる。
見えない重圧に、勇太は胸が押し潰されそうだった。
「……勇太クン、顔が真っ青だけど、大丈夫?」
「お前がこうして俺たちと接してるのは、魔王が来るまでの時間稼ぎだったのか?」
しばしの沈黙の後に出た勇太の声は、弱々しく震えていた。
胸が締め付けられるかのように痛んだ。
「ちがう。魔王サマが、ドリィが思ってたよりも早く来ちゃっただけ」
ドリィは首を横に振り、改めて頬杖をつく。
「ドリィのこと、憎い? それとも、まだ信じてくれる?」
勇太はドリィの瞳を交互に見つめた。
「……信じてみるよ。信頼は目に見えないけど、行動は見える。ここはドリィが操る夢の世界だけど、ドリィは俺に悪さはしてない」
「さっきふっ飛ばしちゃったけど……?」
「あれくらいは師匠とのジャレ合いで慣れっこだから、気にしてない」
ドリィの目が、僅かに見開かれる。
「意外。ここまでドリィが好き勝手やったら、さすがに怒ってくるかと思ったのに。――勇太クンも、心陽ちゃんに負けないくらい、面白いね」
ドリィが指を鳴らすと、ブラスバンドが短く奏でられた。
ジャジャーン!
「見て欲しいものがある」
ドリィがモニターを指差した。
モニターには、緊迫した表情で移動するアイルと五郎の姿が映し出された。アイルは勇太を、五郎は心陽を、それぞれ抱きかかえている。
「この映像は、今の二人を映してるのか?」
「ううん、しばらく前の映像。寝てる勇太クンたちを地上階に移すところ。あなたが寝ている間に、現実世界ではいろいろなことが起こったの。最後のクイズには、これから見せる映像のあとで答えてもらいます!」
勇太はドリィに言われずとも、二人の映像に釘付けになった。
これから一体、なにが起きようというのか。その不安で頭が埋め尽くされていく。




