第三章 ⑥
『ナックル・スターの正体は、異世界から転生した少女なのか』
鳩羽総務大臣が驚愕に呻いた。
時間にして十五分弱の動画は、途切れることなく最後まで放送された。
全員が黙したまま、神妙な面持ちで動画を見ていた。
『情報が些か多すぎるため、整理の時間を設けたい』
石井補佐官から耳打ちをされたらしく、沖田首相が言った。
対して、五郎が挙手した。
「自分が要約して申し上げます。現在、動作を停止中の魔王に対し、有効な攻撃となり得るのは、山田勇太が持つ聖剣だけであること。ただし、現在の山田勇太は、前世で魔王から受けた呪いによって、体格も力も、すべてが弱体化していること。そのため、山田勇太は長期戦が不可能であること。以上の点から、魔王排除には山田勇太の覚醒が必要と考えます」
『山田勇太の覚醒って、具体的に、何がどうなるんだ?』
フィクションじみた内容に、沖田首相から困惑の声が上がる。
「ヒーロー・ユウタとしてのポテンシャルが最大限に発揮され、聖剣で戦うことが可能となります。彼の聖剣であれば、魔王に対抗し得ます」
首相の問いにはアイルが答えた。
『あ、どこか引っ掛かると思ったら、山田勇太って、あの、小柄なヒーローのユウタ君か! まさか、身寄りのない彼が……⁉』
と、沖田首相。
今頃か。と、アイルは思いつつ答える。
「そうです、総理。前世から長年に渡って彼が積み重ねてきた努力は、嘘をつきません。私は彼を十年以上前から見てきましたので、間違いありません」
この場に沖田首相がいたならば、アイルの真剣な眼差しに胸を打たれただろう。
『よ、よし。我々もリツイートだ! みなさん、携帯! 携帯出して!』
沖田首相の声が少し遠退いた。
五郎は首相への感謝か、黙したまま目を閉じ、祈るように小さく一礼した。
『ドリィという女の子は、動画で見る限りでは角も生えているようだが、コスプレとかではないんだろ? この子が、例の魔族なのか?』
虹村官房長官の声。
「はい。ドリィは魔族です。ですが、敵対しているわけではなく、現時点では我々に協力的です。魔王の情報を提供したのも、山田勇太と高峰心陽の過去を映像化し、我々に見せてきたのもドリィです」
『魔族といえば、魔王の手先みたいなものだろう? なぜその魔族が、日本のヒーローの過去を公にするんだ? 関わって大丈夫なのか?』
『ヒーローのユウタとスターは、前世の故郷が同じで、幼馴染であるという事情から推察すれば、この二人が動画の共通項として取り沙汰されているのは理解できる。だが、そうする目的が見えん。ドリィは何者で、何をやろうとしているんだ?』
沖田首相と鳩羽総務大臣が問う。
「ドリィの目的は復讐をすることです。しかし、誰に対しての復讐なのかは確認できていません。ただ、この状況下においても我々に協力しているところを鑑みるに、少なくとも我々への
敵意は無いと思われます」
『根拠が無いだろう。魔族の言うことだぞ?』
と、虹村官房長官に言われ、アイルは頷く。
「仰る通りです。なのでここは、私とナックル・スターで、不測の事態に備えたく存じます」
『ユウタ君の覚醒というのは、具体的にどうすればいいんだ?』
「勇太はまだ夢の世界におり、自らの手で、覚醒の手段を探っている段階です」
アイルが答えた。
『つまり、誰にもわからんということか! 彼はいつ目覚める?』
「なんとも言えません」
『その間に、魔王が痺れを切らして攻めてきたらどうする⁉』
鳩羽総務大臣が言った。
「勇太の覚醒まで、我々が時間を稼ぐしかありません」
アイルの回答に、五郎が続ける。
「総理、ヒーロー庁が設立されて二十年。度重なる異世界災害に伴い、自衛隊法は二度改定され、日本領土において、魔族・魔物の危険が迫っていることが認められる場合、内閣総理大臣は陸上自衛隊の全部、または一部に防衛出動を命ずることができるとなっています。先日のベヒーモスの反省も活かし、ドローンや軽車両だけでなく、陸海空、三自衛隊の戦力と、ヒーローの戦力を統合した作戦の早期展開を進言させてください!」
『総理。本件は異例に継ぐ異例の事態です。超法規的処置が必要と考えます。何卒、ご決断を』
虹村官房長官の声。
『……不明確な点が多く、本来であれば、こんな状況では動けん。しかし、魔王はすでに明らかな敵意でもって、我が国の平和を脅かしている。……とあれば止むを得ん。自衛隊とヒーローの統合編成、ならびに、防衛出動を許可する!』
沖田首相の命令が響き渡り、職員たちが慌ただしく動き始める。
『療養中の防衛大臣に代わり、川本。君が防衛副大臣と一緒に、臨時で各組織をまとめてくれ。総指揮はこちらが執る』
と、虹村官房長官。
『ではただ今より、川本君を、内閣府特命担当大臣に任命する』
「了解しました!」
五郎は沖田首相の声に一礼した。
『総理。魔王の出現はすでに大多数の国民が知る事態です。緊急の記者会見を開き、政府としての対応を伝えるべきかと』
石井補佐官の声に、沖田首相は了承する。
『わかった、防災服を頼む。原稿は不要だ』
五郎はアイルと顔を見合わせ、頷く。
「ではこちらで緊急対策チームを編成。防衛省オペレーションルームを中央指揮所とし、初動対応の作戦立案に掛かります。栗原統合幕僚長、聞こえますか?」
『はい。聞いています』
「鈴木警視総監」
『はい。聞こえます』
「魔王の撃破、撃退、住民の避難を目的とした統合作戦の検討を直ちに開始してください」
『了解しました。銃火器の使用は無制限までを想定し、朝霞で戦闘プランを構築します』
『避難場所を確認し、臨時で増設することも視野に、住民の避難誘導を徹底させます』
栗原統合幕僚長と鈴木警視総監がそれぞれ言った。
「なお、異世界災害マニュアルに則り、戦車大隊、特科連隊を除く地上部隊と警察の総力を住民避難に当て、現場の状況を見て、増員を検討するものとしてください」
「良い手腕だな。私は総務省と国交省に、避難先区域と、住民の搬送手段を確認させよう」
富岡防衛副大臣は、五郎の迅速な指示に、彼の肩を叩く。
「――政府と国民。共に対策を重ねてきた成果が試されますね。毎月行われる避難訓練や、避難所マップの充実が奏功することを祈りましょう」
「川本、訓練は二十年も前からやっているんだ。国民の意識も変わるさ。きっとうまくいく」
指示を続ける五郎の背中に、アイルが言った。
「国民の意識を変えたのは、アイルさん。あなた方ヒーローですよ」
と、五郎は背中越しに言った。
心陽は方々で動く大人たちを見つめて、拳をぎゅっと握りしめた。
☆
勇太は、心陽やアイルを始め、日本中の人々が団結して動き出す中、自分だけが何もできず、遣る瀬無い気持ちでいっぱいだった。
自分は夢の世界で、ただ見ていることしかできない。
「ドリィは思うんだけどさ、勇太クンが成長できない中、辛い鍛錬を続けて来られたのは、大切な人を想い続ける気持ちがあったからでしょ? ということはさ、勇太クンの底力って、そこから来るものなんじゃない?」
ドリィが言った。
「俺の、底力……」
勇太はこれまで一日たりとも、ココのこと、前世のことを想わない日はなかった。
魔王に破れ、仲間を守れなかった自責の念に駆られ、償いの精神からヒーローを志す。その強迫観念がいつしか使命感となり、あって当然の感覚となっていた。
そうした感覚の海の向こうに見えるのは、ココの姿。
魔王と戦ったとき、俺にもっと魔力があれば、戦局は違っていたかもしれないと、何度悔やんだだろうか。人知れず枕を涙で濡らし、何度ココたちに謝っただろうか。
結局最後まで手に入らなかった、質の良い魔力――魔法の底力。
大切な人を想うことが、俺の底力になるのだろうか?
俺がまだその感覚の海を越えられないのは、大切な人への想いが足りないとか、そういうことなのか?
「俺は前世で、ココに伝えたいことがあった。村の鍛冶工房でとか、そのチャンスは何度もあった。けど俺は、ココと生き延びるためにはどうすればいいのかで、頭が一杯だった。一度くらい、自分の欲望に忠実でも良かったかもしれない。けど、ダメだった。……伝えたいことをあえて先延ばしにしてた。……答えを聞くのが恐かったんだ」
ドリィは肩を落とした。
「ヘタレだなぁ、勇太クンは」
勇太は頷く。
「魔王軍の恐怖が広がる世界で、身寄りと言える人がココしかいなくて、ココとの関係が崩れたときのことを考えると、先に進めなかった」
「わかるよ? 故郷を魔王軍に焼き払われて、家族も失って、苦しくて、でも生き延びるには動くしかなくて、戦うしかなくて、救いがなくて、あるのは不安と、心陽ちゃんへの想いだけ。そういう人生だったわけでしょ? だったら、仮にその想いを伝えたとして、実らないとわかったとたん、メンタル崩壊もあり得たかもね」
「俺は、転生した今も、似たような状況なんだ。心陽がココだとわかったけど、言いたいことは、言うに言えない。……成長を見せられないから、堂々と顔向けできないんだ」
勇太は前世の贖罪の思いから、転生後の日本でも鍛錬を続け、ヒーローとしてデビューした。いつか、ココとどこかで再会できたときに、少しでも胸を張って出会うために。
だが、日本での現実も残酷だった。魔王に掛けられた呪いのせいで身体は成長せず、どんなに努力しても、成果も、背も、伸びなかった。
こんな状態では、ココに、――心陽に堂々と顔向けできない。勇太はそう考えていた。
「呪いが邪魔してるんだもんね……」ドリィが視線を伏せた。




