第三章 ④
防衛省・庁舎A棟。学校の体育館ほどある広大なオペレーションルームのドアを勢いよく開け、アイルと五郎が入室した。
慌ただしかった部屋が一瞬静まり、数十名の視線が二人に注がれた。
「元ヒーローのアイルだ。そこのスペース、借してほしい。二人を寝かす。説明はあとだ」
「君、大至急、このメモリに保存された動画を検証してくれ。ざっとで構わない。問題なければすぐにヒーローチャンネルに投稿する。テレビ局にもコンタクトして、すべてのチャンネルで同じ動画を放送させろ。テレビ業界とのパイプが太い防衛大臣の名前を出せば、すぐ通る」
五郎はヒーロー庁の職員に、ドローンから抜き取ったメモリを渡す。
「えっ、それ、上の許可はあるんですか?」
「いいからやれ。責任は僕が取る」
アイルと五郎は、大部屋の隅に勇太と心陽を寝かせて、大型モニターに映し出された魔王の映像を睨む。
「須川危機管理官、巨人の件、状況はどうなっていますか?」
「湾内を航行中の船舶については海保が対応中。アクアラインでは衝突事故を七件確認しています。現在、上下線ともに進入禁止とし、道路上の車両をすべて退避させているところです」
五郎の問いに、白髪交じりの短髪を整えた痩せ型の男――須川危機管理官が答える。
「死傷者は?」
「今のところ出ていません」
「件の巨人からは何らかのコンタクトはありましたか?」
「コミュニケーション・ドローンを急行させてます。向こうからの魔法による音声通信などはまだありません」
「ドローンテレビ中継システム(ドロテレ)、出ます!」
職員の声がして、大型モニターの映像が、コミュニケーション・ドローンが撮影したものに切り替わる。
一同は驚愕の声を上げた。
巨人の頭部が大きく映し出されたのだ。頭部は西洋の鎧兜を思わせる角張った形状をしており、頭頂には角のような突起物が見られた。頭部の目にあたる部分には細く鋭利な穴。その奥で、目が赤い光を発し、ドローンのカメラを睨んでいるように思える。
「あの兜じみた顔、友好的には見えないな。みんなにどう説明しようか? あれが魔王だって」
「今はまだ様子を見ましょう。魔王という呼称は、場合によっては混乱を招く可能性がありますから」
アイルの問いに、五郎が返す。
巨人は、巨体であるが故か、ゆっくりとした挙動で移動を開始。海面から露出した大腿部を交互に動かし、安定した姿勢で前進する。
「巨人、港区方面へ向け移動を開始した模様」
職員の声。
「巨人の身長は一五〇メートルと推定。あれだけ巨大なものが異世界から現れた前例はなく、状況は不可測です。複合的な初動対応が必要と思います」
須川危機管理官が言い、五郎は頷く。
「同感です。官邸対策室に繋いでください」
首相官邸と通話が繋がり、壁に設置されたスピーカーから、官邸大会議室での会話が聞こえてくる。
『――続いて、東京湾沿岸域への対応についてですが、警戒レベルは最大とし、住民には避難命令を出しております。また、空港も全便欠航。経済的損失よりも安全を優先した処置を実行中です。ただ、私としましては――』
『山口大臣、お話中に失礼。川本、聞こえるか? 虹村だ。そっちは映像見えてるか?』
虹村官房長官の声。
「はい。コミュニケーション・ドローンが現着。通話の用意ができています」
『よし。私が対話を試みる』
五郎が答えると、今度は沖田首相の声がした。
巨人の前進に合わせて移動するコミュニケーション・ドローンの拡声器から、沖田首相の声が大音量で流れる。
『歩行中の巨人に告ぐ。人の言葉はわかるか? 私は内閣総理大臣の沖田。君が接近している国の代表を務める者だ』
すると巨人は歩を止め、低く唸るような、重く圧し掛かる、おぞましい声を発した。
『山田勇太を出せ』
『――それは誰だ?』
「総理。山田勇太は私の弟子。日本のヒーローです」
アイルが答える。
『山田勇太に会うのが、君の目的か? 君は何者だ?』
アイルの声を聞いた沖田首相が、巨人に問いかけた。
『魔王。それが魔族の王たる俺に相応しい呼び名だ。俺は、俺に仇なす者を残らず滅ぼす。ここへ来たのは、我が呪いを受けても尚、身の程を弁えず足掻く者を、真っ向から叩き潰すためだ。山田勇太を差し出せ。従えば、貴様らは我が僕として生存を許す。逆らえばすべて滅ぼす』
『滅ぼすだと⁉』
沖田首相が、狼狽えた声を上げる。
『三時間、与える。山田勇太を連れて来い。三時間後、山田勇太が姿を見せなければ、攻撃を開始する』
魔王と名乗る巨人が告げた次の瞬間、ドローンからの映像が途絶えた。
五郎は携帯の時計を見る。
午前十一時十二分。
「……魔王って、あの、ゲームとかに出てくる魔王です?」
須川危機管理官が、隣に立つ五郎に聞いた。
「その魔王です。話す手間が一つ減りました」
五郎が答えると、今度は女性職員の声が上がる。
「緊急! 巨人の周辺を警戒していたドローンが全て撃墜された模様です!」
『異世界があって、異種族がいて、魔法があるなら、魔王もいるか……』
虹村官房長官の声には、諦めと疲れを思わせる溜め息が混ざっていた。
『その、山田なにがしは、今どこにいるんだ?』
「私たちの傍にいます。名前は山田勇太です、総理」
沖田首相の問いにはアイルが答えた。
『山田勇太と話せるか?』
「彼は今、眠りの魔法に掛かっておりまして、会話はできません」
『どういう状況なんだ?』
「話せば長いため、今は割愛させて頂ければと」
五郎が言った。
『一体、山田勇太は何者なんだ? 魔王が要求するほどの、重要人物なのか?』
「山田勇太は転生人なのです。彼は前世で魔王と戦い、敗れた経緯があります」
アイルの言に、場がざわめいた。
『え、山田勇太って、魔王と知り合いなの?』
予想外の関係性に、沖田首相はぽかんとしたような声で言った。
『総理。緊急の課題は山田勇太のことよりも、今後の対応かと』
と、石井補佐官の声。
沖田首相が言う。
『そうだな。現場の映像、なんとかして出せないのか? 最悪、ランクは問わん。ヒーローを派遣して確認させてくれ』
『とりあえず、テレビつけてみましょう』
官邸大会議室でテレビが点けられたらしく、アナウンサーのものと思しき声が聞こえてきた。
『信じられません! 私は幻影の魔法にでも掛かっているのでしょうか⁉ これほど巨大な異世界生物、見たことがありません! 巨人は周囲のドローンを、黒い玉のようなもので破壊し、湾内に仁王立ちしています!』
少し遅れて、五郎たちがいる部屋の大型モニターにも、映像が表示された。
魔王は微動だにしていないものの、その気になれば数分の内に上陸できるように思われた。
『あの巨体で陸に上がられたら、厄介だぞ』
官邸大会議室のどこかで、誰かがつぶやいた。
『民間のヘリを近づけさせるな! 落とされるかもしれん。ドローンと代わらせろ』
虹村官房長官が声を荒げる。
「海保に連絡して、至急、民間のヘリを全て引き揚げさせてください」
「わかりました。ドローンを追加で飛ばすようにも伝えます」
五郎が須川危機管理官に指示を出す。
『魔王は山田勇太を渡せと言っていたが、一体どうするっていうんだ?』
「魔王は勇太を殺すつもりです。渡すわけにはいきません」
沖田首相の疑問に、アイルが答えた。
『よくわからんが、魔王は山田勇太が日本へ転生したと知って、止めを刺しに来たなんて話か?』
狼狽えた声で、虹村官房長官。
『そ、そんな要求、呑めるわけがない! ヒーローだって、一人の国民だ! 殺されるとわかっていて、差し出すなんてことできるか! 大至急、対応策を練らねばならん!』
憤る沖田首相に、鳩羽総務大臣の声が続く。
『仰る通りです。対処フローの選択肢は二つ。異世界に追い返すか、排除か、ですね』




