第二章 ⑫
「魔法の練習、お疲れさま」
「ど、どうしたんだ? ドレスなんか着て……」
少し日に焼けた顔を赤らめ、ユータンが言った。
「き、今日はそういう気分なの」
「来るって事前に言っといてくれれば、お茶くらい用意したのに」
気まずそうに目を逸らすユータン。
「いつ通知が届くか、わからなかったんだもん」
「噂は俺の耳にも届いてるよ。すぐ広まるの、田舎の村あるあるだよな」
村では、ココが王国一番の名門魔法学校に首席で合格したことで、話題が持ち切りだった。
ココは嬉し気に頬を赤らめ、上目で「ドレス、どう?」と聞いた。
「似合ってるよ。すごく……」
ユータンは恥ずかし気に背を向け、タオルで顔を拭く。
「魔法学校、合格おめでとうな!」
彼は背中越しに言った。
「ありがとう。お父さんもお母さんも、すごく喜んでくれたの」
「俺は、ココならやれるって信じてたぜ?」
ドクン。
二人を見守る心陽は、胸が高鳴る音を聞いた、気がした。
「あのね、ユータン」
「な、なんだ?」
ユータンはココに向き直った。タオルで拭き切れていないのか、顔には若干の汗。
「進学が決まったからさ、わたし、明日には村を出るの」
「……明日か。思ってたより、早いんだな」
「うん。カバンとか、制服とか、いろいろ準備しなくちゃいけなくて」
「初めは忙しいだろうけど、やったじゃないか。だって城下町だぜ? 田舎暮らしの年収じゃ到底住めない家賃でも、主席なら学費と一緒に免除だろ?」
子供のように目を輝かせるユータンに、ココの顔は再び紅潮。
「そ、そうだよ? しばらく会えなくなるから、こうして見納めに、わざわざドレス姿で来てあげたの!」
ココはそう言ったあとで、下唇を噛んだ。
わたしのばか。
言いたいこと、違うのに。
「城下町までは、ここからだと馬車で六日か。……寂しくなるな」
肩を落とすユータン。
「俺、ココが作ってくれる焼き菓子好きだったんだけどな」
「うん……」
「…………」
沈黙。
「お、俺もさ! もっと頑張って、立派な鍛冶師になったら、城下町に鍛冶屋を構えるよ。そうすればまた、ココに洋菓子、作ってもらえるからな!」
白い歯を見せて笑うユータン。
ココは、頭一つ分背が高い彼を見上げる。
彼の笑顔を見ていると、魔族が力を増しているという噂――その不安が和らぐ。
「ねぇ、ユータン」
ココは彼に、伝えたいことがあってここまで来た。
それは、魔法学校に首席で合格したことではない。
ココが魔法学校を志したのは、魔法を学んで、ユータンの力になりたいと思ったから。
長かった勉強の日々でも、彼女の頭の中には常に、彼の姿があった。
だからこそココは、輝かしい合格を勝ち取った今、彼に想いを伝えたかった。
「な、なんだ?」
「――っ」
ユータンに面と向かって見つめられると、心臓が跳ねあがって、思考が乱れる。
そんなココを見つめる心陽は、拳を強く握る。
たった一言。ただその言葉を言うだけでいいのに。
「わ、わたしと一緒に、城下町に出ない? そこで働き口を探すとか……」
――どうして、言えなかったのだろう?
「え?」
「だ、だってほら、ユータンは魔法剣士が第一志望でしょ? 途中から始めた鍛冶だって、あなたのお父さんに追い付ける技量って聞くし、見習いとして、城下町でやっていけると思うの!」
城下町への同伴を誘うという、本心とは違うことを言ってしまったココ。
ユータンが頷けば、離れ離れにはならない。だが本当に伝えたいことは、先延ばしのまま。
「誘いはうれしいけど、今はまだダメだ」
ユータンは首を横に振った。
「……どうして?」
「俺も目標があってさ。魔剣の噂あるだろ? 魔剣に使われた金属は、ドワーフだけが生成できる希少なもので、魔族がそれを奪って、魔剣を鍛えたらしいんだ。俺は、魔剣と同じ金属を手に入れて、魔剣に対抗できる剣を作る。それが叶えば、国王にも認めてもらえるだろうし、一流の鍛冶師として、城下町に税金免除で住めるようになる。だから俺はまず、ドワーフに弟子入りする!」
ココは、ユータンの考えの裏に、魔族への警戒心を感じた。
初めは剣士を目指していたユータンが、父親と同じ鍛冶師の道も意識し出したのは数年前。ちょうど、魔族がドワーフの山を襲い、奪った金属で魔剣を生み出した噂が流れた頃だった。
魔剣を形作った金属。ユータンはドワーフの下で修業し、魔剣に対抗する剣を鍛えるという。
その真意は同じだと、ココは悟る。
わたしはユータンの。
ユータンはみんなの、力になりたいんだ。
魔族によって、恐ろしいことが起きたときに備えて。
「――そっか。ならしばらく、お預けだね」
そう。わたしはお預け。
その一言を伝えるタイミングを、見失ってしまった。
「たまには帰って来てくれよ。城下町での暮らしとか、学校での話を聞かせてほしい」
「ユータンも、風邪ひかないようにね?」
ココが腰の後ろで組んだ手を、ぎゅっと握りしめる。心陽は、それを見逃さない。
ごめんね、ドレス。わたしを綺麗に飾ってくれたのに。
「おう! お前が魔法学校を卒業するまでに、俺も必ずそっちへ行くからな!」
「うん、待ってる……」
ユータンはこんなわたしに、いつも希望をくれる。
彼の健気な姿勢が、心の在り方が、わたしを癒してくれる。
やっぱり、伝えたい。
このままじゃ、いけない。
わたしは、そんなあなたのことが――。
二人の視線が交錯する、その刹那を。
大地を震わす轟音が引き裂いた。
後にわかることだが、その轟音は、決起した魔王軍の最初の行進だった。
終わりの始まり。
ココとユータンを見守る心陽の視界が、真っ暗闇に包まれる。
ああ、そうだ。
わたしは結局、最後まで言えなかった。
☆
心陽が目を開けると、そこは曇天の空が広がる戦場だった。
ココとユータンの村は、魔王軍の最初の標的となり、虐殺と略奪の末に焼き払われた。
二人は大人たちに交じって抵抗した。
そのときに持ち得た二人の魔法と剣技を駆使して。
しかしその途中で、未来を若者に託そうと、両親を始め村人は、ココとユータンを含む子供たちを先に逃がした。
彼らの犠牲の上に生を得たココたちは、重い悲しみと使命感を胸に、混乱渦巻く城下町で軍に志願。
他の若者たちと同様に学業を捨て、夢を捨て、生き残るための鍛錬と戦いに明け暮れた。
そうした歳月の果てに訪れた、最後の戦場。
ここへ来る道中にも、数え切れぬ出会いと別れがあり、紆余曲折を経て、ココは魔法を極め、ユータンは聖剣を手にし、剣豪の称号を手に入れていた。
しかし、ココにとって大事な一言を告げる機会だけは、ついぞ与えられなかった。
「どうして、わたしにこれを見せるの?」
テラ・ベラトールの連合軍と魔王軍。双方の戦士たちが振るう刃が、心陽の身体をすり抜け続ける。彼女の視界には、重厚な鎧姿のユータンと、軽量の薄い鎧に魔導師のローブを羽織ったココの姿があった。
心陽が問いかけると、死と金属の喧騒を彼方に押しやって、数メートル先にドリィが現れた。
動画のボリュームを下げたかの如く、剣閃が入り乱れる戦場に沈黙が流れた。




