第一章 ②
――三十分前。
勇太は7畳1Kのアパートで目覚めた。
携帯を取り、ヒーロー専用アプリに緊急召致が届いていないか確認。
連絡件数ゼロという表示を見て、一安心。
だが、時計は午後三時を示していた。
「やべ! 師匠に怒られる!」
昨夜は遅くまで魔法を操る特訓を続けていた。それが仇となって疲れが残り、この時間まで眠ってしまったのだろう。
勇太は慌ててベッドから飛び降り、パジャマから学生服に着替える。
勇太の身長は、十七歳の男子高校生の平均を大きく下回り、学生服も特注品。
市販で他の衣服を買うのも一苦労。買えたとしても年に見合わない子供用。
故に勇太は、今日が休日と言えど、上下3セットしかない学生服を洗濯しては、通学にもお出かけにも使い回している。
今日は、勇太がヒーローとなるべく格闘や魔法を教わった師匠のもとへ、久々の手合わせに行く日。勇太はそこで、未だに伸び悩んでいる魔法のことを相談するつもりでいた。
昨夜遅くまで特訓を続けていたのもこのため。
ラインには、師匠からの愛のメッセージ。
《約束の時間過ぎたね。あとで殺す♡》
「勘弁してください」思わずこぼす勇太。
ヒーロー歴は世界最長で、現役を退いた師匠は普段、神社の神主をしている。
今日の昼間は神職関連の会食だそうで、勇太と会うのは午後三時の予定だった。
「これはもう、地獄のシゴキ確定だな……」
天然パーマの髪はそのままに、踏み台の上で歯磨きだけ済ませる。未だ生え変わらない乳歯をしゃかしゃかと。
身支度の最後に、シンプルな指輪状の【ヒーローリング】を人差し指にはめる。
そこでふと、壁に貼られたポスターを見つめた。
等身大ポスターに映っているのは、勇太と同じ十七歳の少女。
世界のトップヒーロー【ナックル・スター】である。
スターの身長は一五八センチ。勇太のほぼ二倍。
小振りな口に通った鼻筋。二重の大きな目は凛として、眉毛は少しつり眉だが、朗らかな笑
顔からは優しい印象が伝わる。
彼女は、勇太の憧れにして、目標。
「いずれは俺も、追いついてみせるからな」
そうつぶやいて、勇太は家を出た。
ちょこちょこちょこちょこ!
勇太は短い手足を懸命に素早く動かし、師匠が待つ神社へと走る。
勇太が住む市川市と江戸川区を隔てる江戸川。その川沿いに、神社はあった。
ところが、神社に向かう途中、人差し指にはめていたヒーローリングが赤く点滅。
ヒーロー庁の職員による緊急召致が入った。
『緊急、緊急。渋谷区に強力な魔力反応を検知。異世界から何者かが転移してきた模様。付近のヒーローは、直ちに現場に急行してください』
ヒーロー全員に送られる音声連絡。勇太の足が止まる。
《師匠、ごめんなさい。呼び出しがあったから、今日はいけない》
師匠にラインを送り、勇太は方向転換。
ここから渋谷区へは、【変身】すれば十分ほどで到着できる。
ヒーローデビューを飾ったのは、十六歳のとき。
それからの一年、勇太は緊急召致が入るたびに急行した。
しかし、距離が遠くて間に合わないこともあれば、小さい身体でうまく戦えず、他のヒーローに頼り切りになることもあった。
今度こそ、みんなの役に立つ!
勇太は意を決し、ヒーローリングをはめた右の拳を、頭上高く振り上げた。
「変身!」
勇太の叫びに応じ、ヒーローリングから光の粒子が発生。彼の全身を包み込んだ。
そうして露わになるのは、変身魔法によって生成された勇太のヒーローコスチューム。
その背には、一振りの大剣。
太い両刃の根元に窪み。そこにサファイアのような輝きを放つ青い宝石がはめ込まれ、武骨な大剣に美しさを付与している。
勇太は重心を低く落とし、両足に力を込め、魔力を集中。
「行くぞ!」
魔法で身体能力を高めた勇太は、その脚力で勢いよく地を蹴り、江戸川を一足で飛び越えた。
――そして、現在。
「く、くそ!」
勇太はいち早く現着するために魔力の大半を喪失。バテていた。
『今回の敵は久しぶりのデカブツということもあって、緊張感が高まる! ヒーロー庁の情
報では、ベヒーモスという強力な魔物とのこと! すでに自衛隊の戦闘ドローンが何機も撃破され、ヒーローの対応が求められています!』
司会者の緊迫した声が、スクランブル交差点に轟く。
魔物――ベヒーモスは、開けた場所に立つ勇太を赤い目で見下ろすと、その巨躯を持ち上げ、威嚇するかのように二本足で立った。
勇太は剣を固定していたバンドを外し、背中から手に持ち直す。
《前座が現着》
《決め台詞は?》
《底辺ヒーローにはない》
《アリとゾウやん》
コメントには叩かれ放題だが、勇太はそれを見ない。
『ちびっ子ヒーロー・ユウタ! 自衛隊の増援もまだ来ていない中、ベヒーモスと戦うというのか⁉ 大人たちに交じって逃げたほうが賢明ではないでしょうか⁉』
勇太は息も絶え絶えに、剣を肩に担いだ。
司会者の、心配しているのか貶しているのかわからない物言いは無視する。
「お、おいデカブツ。……お、俺に、ぶっ飛ばされたくなかったら、5、数えるうちに、元の世界へ、帰れ!」
声変わりもしていない高い声。
『バテバテで、まるで脅しになっていない! ベヒーモスがこれで引き下がるとは思えない!』
「5!」
司会者に被せて言いつつ、勇太はベヒーモスが進んできた道に目を遣る。
踏み荒らされた大通り。潰れて炎上する車。無数に倒れる信号機、標識。両脇に立つビル群にも、ベヒーモスの巨大な尻尾がぶつかったか、大破した窓や壁面が見えた。
自衛隊の小型車両も複数横転し、火を上げている。
「4……」
そのとき、炎上する車の側に、一人の老婆が倒れているのが見えた。
「どりゃああああああ!」
五つ数える前に、勇太は剣を振り上げ突撃した。
ベヒーモスは地響きを起こすほどの雄叫びを上げ、鋭利な爪の手を振るう。
勇太はそれを剣で弾き、ちょこちょこちょこ! 短い足を動かし、ベヒーモスの股下を通過。
倒れたまま動かない老婆のもとへ。
「うににに!」
小さな手で老婆の腕をつかみ、迫る火の手から引き離す。
「お婆ちゃん! 大丈夫⁉」
勇太は疲れも忘れ、老婆に呼び掛ける。
「う、うぅ」
辛うじて息はある老婆だが、自力では立てそうにない。
『ここでユウタ、人命救助に切りかえた! 賢明な判断だ!』
「誰か! 手を貸してくれ!」
勇太は周囲に目を走らせるが、逃げていく人々の背中しか見えない。