第二章 ⑦
キリエは日本生まれの日本育ちなので、日本語力は言うまでもない。加えてエルフの母親とはエルフ語で会話するため、心陽は彼女から時折エルフ語を教わっていた。
「魔法かと思うくらい完璧だな、キリエ」
先生が拍手し、心陽たちもそれに倣う。
キリエはライトグレーの長髪をかき上げ、胸を張る。ブレザーに包まれた胸が大きく揺れた。
心陽は自分の控えめな胸元を見つめ、こと栄養に関して、自分の筋肉は欲張りだと思った。
「心陽さん」
「え?」
立った位置から何かを見下ろすキリエが、心陽に囁いた。
キリエの視線を辿って、心陽は自分の筆入れを手に取る。
筆入れに隠していたヒーローリングが青く点滅。誰かが通話を求めていることを訴えていた。
「青だから、まだ平気でしょうけど、一応出たほうがいいと思いますわ」
拍手が鳴り止む寸前、キリエは心陽に耳打ちして席についた。
ヒーローリングの点滅が、青でなく赤だった場合、魔族や魔物、ときには事故、災害などの緊急招致を意味し、アラームも鳴動するため、迅速な対応が求められる。
心陽は手を上げた。
「先生、ごめんなさい。ちょっとお腹が――」
すると、心陽がヒーローであることを知る先生も調子を合わせてくれ、
「それは大変だ。キリエ、高峰を保険室へ」
「かしこまりですわ!」
心陽はキリエと共に教室を出た。
「ありがとう、キリエちゃん」
「同じヒーローとして当然ですわ」
キリエはランキング五十八位のヒーローで、有事のときは今回のように、心陽と二人で授業を抜け出している。
「ちょっと失礼するね」
心陽は持ち出したヒーローリングを人差し指に嵌めこみ、二度タップした。
『心陽、悪いが緊急のお願いだ。今から防衛省に来てくれ』
通話機能が立ち上がり、アイルの声が聞こえた。
「え、どういうことですか?」
『お前と勇太に試練がある。それを乗り越えられれば、昨日お前と話したこと、あれが大きく進展するかもしれない。もっと言うと、解決するかもしれないんだ』
心陽の鼓動が強く脈打った。
「試練、ですか?」
『そうだ。勇太と一緒に、夢の世界に入ってもらう。詳細はお前がこっちへ移動する間に話す』
「――聞こえてしまいましたけど、お相手はアイルさんですわよね? 試練って……わたくしも何かお手伝いできますの?」
「ごめんキリエちゃん。今回の話は言えないの。先生には早退するって、伝えておいてくれる?」
心陽は顔の前で手を合わせ、ぺこぺこと頭を下げる。
「……オンナの勘というものはときに、魔法よりも強いことがありますの」
「え?」
キリエのジト目と目が合った。
「殿方絡みですわね?」
びくん! と、心陽の肩が跳ねた。
「ち、違うよ!」
「お顔が真っ赤っ赤ですのよ?」
「いいから、先生に伝えておいて!」
心陽は急いでその場を離れ、屋上で変身を済ませると、防衛省へ急行した。
☆
面会室に、アイルの召喚魔法でベッドが二つ召喚された。病院で見るような、白い布団が敷かれたものだ。
アイルが見張る中、ドリィは赤のマーカーペンで、ベッドを囲むように魔法陣を描いた。
床に魔法陣が描かれると、勇太はベッドの片方に仰向けで横たわるよう指示を受ける。
そこで部屋のドアが開き、心陽が現れた。
「あ……」
勇太は思わずそんな声が零れるが、そこから先が続かない。
「おはよう……」
と、視線を逸らす心陽の頬は赤い。
「あなたがナックル・スター? ドリィが見せる夢の世界に興味があるの?」
微笑みかけるドリィに、心陽は警戒の眼差しを向ける。
「わたしは、アイルさんに呼ばれたから来たの。魔王が侵略に来るって聞いて」
ドリィは肯定する。
「そうだよ? あとは呪いを解く方法もわかるかも! みんなドリィの好きにさせてくれたらだけどね? あなた達二人には、記憶を見せてもらって、クイズに答えてほしいの」
心陽はアイルに視線を投げかける。
アイルは物言わず頷いた。
俄かには信じ難い心陽だが、大人たちが何も否定しないなら、ドリィの話は信ぴょう性が高いということだ。
「夢の世界に入ったら、命の危険はありますか?」
と、心陽は聞いた。
「死ぬことはないけど、ドリィがつまらないと思ったら、もっと好きにしちゃうかも」
ドリィの紫色の瞳が、心陽のライトグリーンの瞳を捉える。
「勇太くんのことは、好きにはさせません」
「まずは自分の心配をするべきだと、ドリィは思うよ? 心陽ちゃん」
部屋の空気がピリついた。
恐らく心陽も、ドリィに本名で呼ばれたことに驚愕しているのだろう。と、勇太は思った。
「来てくれてありがとう、心陽」
本名を知られてはヒーロー名で呼ぶ意味もなく、アイルは心陽と呼んだ。
「アイルさんが電話で言っていた試練、乗り越えれば、勇太くんのためになるんですよね?」
心陽はアイルに振り向いて、なにか含みのあることを言った。
「それなりに危険を伴う賭けだが、やるしかない」
アイルが言った。
与り知らない会話に、勇太は心陽とアイルを交互に見るしかない。
『高峰さん、急に呼び出して済まないが、君もベッドへ頼む。これから、そこにいるドリィが魔法で君たちを眠らせて、夢の世界へ連れていく。そこに、クイズの会場があるそうだ』
川本の指示で、心陽は勇太の隣のベッドに横たわる。
「一緒に面白いことしようね? 勇太クン」
ドリィが勇太の頭をぽんぽんと撫でると、心陽の目が鋭く細められた。
「彼に触らないでください」
「まぁ、コワイ目つき。心陽ちゃんのクイズ、難しくしちゃおうかな? あなたの記憶、なんだか面白そうな感じがするし!」
にたりと笑うドリィ。
「彼女には、なにも悪さするなよ?」
勇太はドリィに釘を刺し、それから目を閉じる。
「二人とも、楽にして?」
ドリィが言った。
「勇太、心陽。もう一度言うぞ? これは試練だ。自分に打ち勝ち、自分で決めろ」
アイルの声が、二人の耳に届いた。
勇太は遠のく意識の中、その言葉をヒントとして受け取った。
☆
「それでは、お楽しみタイムのはじまりはじまりぃ!」
ドリィは魔法を発動させると、全身を金色の光の粒子に変じさせ、虚空へ解けるようにして姿を消した。
ドリィの魔法で眠りについた勇太たちを見守りながら、五郎が切り出す。
「正直なところ、弟子の山田くんが夢の世界へ行くこと、あなたは反対すると思いました」
アイルは五郎の精悍な顔を見上げる。
国会議員の仕事は事務作業から国会での答弁、テレビへの出演と多岐に渡る。何をやってもどこかから批判が飛んでくるような立場だ。
アイルには、それを積み重ねた苦労が、彼の顔に刻まれているように思えた。
「あなたは既にドリィと戦った身だ。ドリィが望むのはクイズとはいえ、夢の世界は不確定要素が多く、危険なのはわかるでしょう? そんなところへ、山田くんどころか高峰さんまで巻き込もうというんです。それなりの考えがあってのことなんですよね?」
尤もな指摘だな、とアイルは頷き、ドリィと遭遇したときの出来事を話す。
「私の身に起こったのもクイズだった。過去の記憶を勝手に見られて、問題はその記憶の中から出題される形式さ。ドリィは人の過去を掘り返し、反応を見て楽しんでいた……」
アイルの脳裏に、以前暮らしていた異世界の光景が蘇る。
石造りの広大な神殿。魔力に満ち満ちた新鮮な空気。
そして、忘れもしない、憎んでも憎み切れない、黒い鎧の剣士。




