第六話 慎重な探索
第六話 慎重な探索
『ダンジョン』
それは魔界から人界に来る魔物達の拠点である。魔術的には家と呼んでもいい。
人界の大気中には生物から流れ出た魔力が充満しており、通常の生物は肉体という『殻』を持つ事でそれに魂が溶けてしまう事を防ぐ。代わりに、魔力の塊である魂から力を外部へ放出するのが難しくなるのだとか。
そして、本質的には肉体を持たない天使や魔物は長時間人界にいると、大気中の魔力に自身が溶けていってしまう。
防ぐ手段は二つ。溶けるより速く『栄養』を摂取するか、疑似的な殻を用意するか。
ダンジョンは後者。魔界にある魔物達の住処を転写。疑似的に箱として作り出し、そこで休息する事で溶けるのを防ぐのだ。天使が羽に丸まって休息するのもこれに近い仕組みらしい。
魔界に似た、しかし魔界ではない場所。当然天界でも人界でもない、異なる世界。故に『異界』とも呼ばれる事がある。
以上が、4枚羽のアプリに書いてあった内容から読み取れたものだ。
めっっっちゃ大変だった。ゲームに誘ってくる巴君にチョップをいれ、二人がかりで古文と英文と何かよくわからないどっかの文字が混ざった文書相手に頭を捻り続けた成果である。スマホが無かったら絶対にここまで読めなかった。
誰かウィキ作ってくんねぇかなぁ……。
「とりあえず、元々の予定通り僕が前衛。巴君が後衛な」
「わかった。なんかすまん」
「危なくなったら助けてね、ほんと」
一応、事前にエクレールなしでの探索についても話し合ってはいたのだ。
浮かれていた自分達も、危険な事をするという自覚はあった。最悪、何らかの事情で守護騎士が出せない戦いも想定していたのである。
と言っても、素人2人が揃った所で妙案など出るはずもなく。シンプルな前衛後衛というわけだ。
「……流石にこの状況だし、巴君の魔法について教えてくれない?」
ポケットから取り出したチョークで壁にバツ印をつけながら、巴君に問いかける。
この印は迷子にならない為のマーキングだ。コボルトにこちらの位置を特定されるかもしれないけど、相手が犬並みの嗅覚を持っていたら関係ないだろう。
「おう。『呪術』って異能なんだが、名前の通り相手を呪う魔法だ。と言っても、この状況だと使えるのは『邪眼』っていう睨んだ相手を呪う魔法だけ。試した事ないから威力はわからん」
「魔力の消費は?」
「たぶん五発撃つのがやっと」
「わかった。基本は僕が殴るから、温存して。状態異常系の攻撃だと思うし、頼りにしてるから」
「おけ」
盾を構えながら、慎重に進む。
随分と曲がりくねった道だ。それに、やはりというか狭い。
天井の高さは2メートルほど。通路の幅も同じぐらいか。エクレールではないが自分も腕を思いっきり振り回そうとすれば、壁や天井にぶつかってまともに攻撃できないだろう。
戦い方を工夫する必要がある。いざとなったら……。
「巴君。エクレールの───」
────ガシャン。
「っ!」
エクレールの発する警告音に足を止め、中腰で盾を正面に構える。
「うお、どうした」
「敵が近付いている……んだと思う。エクレールが警告を発しているから」
「うわぁ、もうかよぉ……!」
後ろから震えた声。こいつ、本当は恐いのに普段通り振る舞っていたのか。
友人のその様子に、正直安心した。どうやら、内心でビビり散らかしていたのは自分だけではなかったらしい。
「ふぅぅ……」
大きく息を吐いて、吸う。
前方の曲がり角から、何かが近付いてくる音が聞こえてきた。
エクレールのおかげで不意の遭遇戦は回避できる。ならば、自分がやるべきは。
「『エンチャント:ストレングス』『クイックネス』」
バフを盛って、ぶん殴る用意をする。それだけだ。
細かい作戦とか、戦術とか。あるいは巧みな戦闘技術なんてものは自分にない。なんせただの高校生だ。
だったら、異能におんぶも抱っこもしてもらう。
技量では勝てないなら、能力値を上げて殴るのだ。
角から出てきたコボルトと目が合った。向こうもこちらに気づいていた様で、驚いた様子もなく棍棒を構えている。
湿った様な鼻をヒクヒクとさせ、牙の並んだ口に嘲笑めいた笑みを浮かべている。
奴にとっては、獲物が向こうからきた。その様な心境なのかもしれない。
『ヴオッ!』
短く一声鳴き、コボルトが駆ける。それに合わせて、自分は姿勢を低くたもった。
突きは、駄目だ。当たる気がしない。縦振りでいく。普通に振って天井にあたるのなら、膝を曲げて……!
接近する両者の距離。背後から響く小さな悲鳴を聞きながら、木刀を斜めに振った。
コボルトは素早い。二足歩行なのに犬の俊敏性を持っている。
だが。
『ギィ……!?』
軋む音を発しながら、奴の頭蓋がへこむ。
バフの分、こちらの方が速かった。不格好ながら振り下ろした木刀は見事コボルトの額に直撃し、骨を砕いたのである。
ぎょろぎょろとした眼玉が叩き潰される光景に吐き気を覚えるも、更に一歩踏み込んだ。
振り抜かれる木刀。押し出されたコボルトが数歩よろめき、仰向けに倒れる。
それを盾越しに見つめて、数秒。起き上がる様子はない様で、大きなため息を吐いた。
「はぁぁぁぁ……い、生きてる……」
恐かった。凄く恐かった。ダンジョンに入る前にトイレへ行っていなかったら、たぶん色々出ていたと思う。
コボルトはまだ生きているらしく、四肢を小さく痙攣させていた。
その姿に意識を引き締め直し、止めを刺す為に武器を構える。
「あ、ちょっと待った」
だが、それを巴君が止めた。その手にはスマホが握られている。
「止めはアプリの機能を試してからにしようぜ」
「確かに……」
こういう時でもなければ使えない機能が、あのアプリにはあったのを思い出す。
コボルトに視線を向けたまま道を譲れば、巴君がスマホのカメラをコボルトに向けた。
『ピロン』
メールでもきた様な軽い電子音。
それに巴君が画面を確認し、頷く。そして、こっちにも見えるようにスマホを傾けてくれた。
『コボルト』
HP:9 MP:8
筋力:14
耐久:10
敏捷:16
魔力:8
霊感:20
表示されるのは、このコボルトのステータス。
例の4枚羽のアプリに『メジャーメント』という機能があるのだが、それは撮影した人間や魔物のステータスを測定する事ができる。
動いている相手をそう簡単には撮影できないが、こうして戦闘不能になっているのなら話は別だ。敵の手の内がわかるのはありがたい。
異能も表示されるはずだが……このコボルトは持っていなかったらしい。他のコボルトも同じである事を祈るばかりだ。
「じゃあ、やるぞ」
そう言って前に出て、コボルトの武器を持っている方の腕を踏みつけてから木刀を構えた。
足裏から伝わってくる脈動。虫以外をこうして踏みつけた経験なんてないから、その感触に腰が引けそうになる。
この鼓動を、今から止めようと言うのだ。
「こ、のっ……!」
迷いを振り切る様に声を出して木刀を振り下ろした。縦振りではなく、動かない相手なので突きで。
しかし狙いが僅かに逸れてしまい、喉狙いだったのが頭蓋にぶつかる。
ごしゃり、と嫌な音と感触が返ってきた。骨を砕き、脳漿を潰す手ごたえ。そんなもの、これまで生きてきて感じた事などなかった。
……最低だな、僕は。
魔物とはいえ命を奪ったのに、罪悪感より先に『気持ち悪い』なんて思ってしまった。
その事実にマスクの下で顔をしかめながら、コボルトが粒子になって消えるのを見届ける。今度こそ、こいつは死んだのだ。
小さく息を吐きながら顔をあげる。正直きついが、弱音を吐いている場合ではない。
「次に行こう」
「お、おう」
緊張した面持ちで頷く巴君。どうやら、魔物との初遭遇にあちらも気を引き締め直したらしい。
返り血も消えたので、ゆっくりと慎重に通路を進んで行く。僅かな高低差があるものの、概ね道は平坦だ。これを作ったのがコボルトだとすると、坑道を掘るのが得意らしい。
そうして進んでいると、再びエクレールからの警告音がした。
立ち止まり前方を注視すると、ちょうどランタンの明かりが途絶えている所に木製の古びた扉があった。
それがガチャリと開けば、1体のコボルトが姿を現す。
『ヴオッ!?』
どうやら今度の個体はこちらに気づいていなかった様で、紅い瞳を大きく見開いた。
エンチャントはまだ残っている。こちらから大きく踏み出した。
普段の自分からは想像もつかない速度で、身体が動く。一息に縮まる距離。目の前にきたコボルト目掛けて、思いっきり木刀を振り下ろし────。
しかし、ドア枠に先端がぶつかってしまった。
まずっ、ドアの分目測を見誤った!
こちらのミスに、コボルトが棍棒を振りかぶる。小柄な分どこにも引っかかる事もなく振り下ろされた一撃が、構えていた盾にぶつかった。
いたっ……くはない。ポリカーボネート製の盾はしっかりと攻撃を防いでくれた。
「おおっ!」
そのまま、盾で相手を力任せに突き飛ばす。膂力と体格で勝っていた事もあり、簡単にひっくり返ったコボルト。奴が転がった所を踏みつけ、今度こそその脳天に木刀を振り下ろした。
嫌な感触が返ってくるが、構わずもう一撃。確実に息の根を止める。
そこで、『ガシャン』という警告音が響いた。すぐに顔を上げて周囲を見回せば、後方。こっちに駆けよってくる巴君の背後に動く影を捉える。
「後ろだ!」
咄嗟に叫べばあちらも気づいた様で、振り返りコボルトを視認した。
気づかれた事を悟ったコボルトが、棍棒を手に巴君目掛けて駆けだす。まずい、ここから戻るのは間に合わない!
「───『イビルアイ』」
震える様な声音で紡がれた呪文。
不思議と背筋が凍るようなその一言に、コボルトが突如として動きを止めた。
『ガッ、ボォォォ……』
かと思えば、棍棒を取り落とすなり胸を押さえて蹲る。その様子に疑問を抱きながら巴君の傍まで戻り、盾を構えて警戒する。
「大丈夫?」
「おう。咄嗟に魔法を使ったけど……」
不安そうにする巴君の左目は、金色に染まっていた。その事に少し驚くも、コボルトの藻掻く声で意識がそちらに向く。
『ギ、ギギ、ブォ……!?』
口の端から泡をふきながら、コボルトが地面の上でのた打ち回った。数秒ほどそうしていたかと思うと、突然両足を『ピン』と伸ばす。
そして、
『ゲ、ボォォ……』
大きく開かれた口と、そして目や鼻から大量の血を吐いて絶命した。
あまりにショッキングな光景に顔を引き攣らせながら巴君を見ると、あちらも顔を真っ青にさせている。
「……やっといてなんだけど、オレ、この魔法苦手かも」
「これを見てテンション上がる奴はヤベー奴だよ……」
なんだこのスプラッタ映画でしか見なさそうな死に方。テレビだったら間違いなくモザイクかかるぞ。
粒子になって消えていくコボルトを見送った後、小さく首を横に振って気持ちを切り替える。
「探索、続けようか」
「おう……」
敵を気遣う余裕なんてない。盾を構えながら、移動を再開する。
「『エンチャント:ストレングス』『クイックネス』」
そろそろ魔法が切れる頃合いなので、バフを掛け直す。
同じ魔法で重複したら嬉しいのだが……残念ながら新しい方に上書きされる様だ。
「なあ、そんなに魔法使って魔力もつのか?」
後ろから巴君が心配そうに問いかけてきたので、頷いて返す。
「うん。異能の1つに『魔力炉心』ってあったじゃん。あれのおかげで、暫くすれば魔力が戻るから」
「は?ちょっと待て。オレの方は回復に結構時間かかりそうなんだけど」
「2回魔法を使っても、8分ぐらいで全快するよ」
「ずっる」
まあそう言われるだけの使い勝手の良さはある。
自分が使う魔法の消費魔力が、だいたい『5』。2つ同時に使えば『10』の消費だが、バフの効果時間はだいたい10分間。
普通に魔力の回復速度の方が勝る。アプリによると魔力の自然回復は『落ち着ける場所で食事や睡眠などの休息をとれば問題ない』とあったので、歩いている間にもほぼ満タンになる自分は恵まれているのだろう。
「そんなんあるなら魔力をこっちに寄越せや」
「いや、魔力の譲渡ってどうやるんだよ」
「……さあ?」
「えぇ……」
グダグダとした会話をしながらも、お互い周囲への警戒は怠らない。
先ほど凄惨なコボルトの死に様を見たわけだが、もしかしたら自分がああなるかもしれないのだ。
直接命を奪って、ようやくこの身が立っている場所が死地なのだと自覚する。
第三者から見たら『遅い』と言われるかもしれないが、『浮かれていた』としか返せない。
自分も、巴君も、降ってわいた特別な力と、それを振るえる環境に浮足立っていたのだ。あげく、家族や自分を守る為なんて大義名分まであったのだからなおの事。
思いかえせば、ダンジョンに踏み込んだ時の気分は本当に『始まりの村を出た勇者』だったと自覚する。ゲームと違って、セーブもロードもできないのに。
ごくり、と。硬い唾を飲み込む音を鳴らしたのはどちらだったか。
薄暗い通路をおっかなびっくり進みながら、木刀と盾を握り直す。
死にたくない。生きて帰る。今は、それしか頭になかった。
読んでいただきありがとうございます。
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