第三十二話 地獄を見る者達
第三十二話 地獄を見る者達
何やら自分への如月姉妹からの視線が厳しくなった気がするが、兎にも角にも『炎獅子神社』へ車で送ってもらった。高級車に驚いていたが、舞さんが乗ってきたのも含めて2台もあるは……。
それにしても。写真ではなくこうして直に見ると、なんとも立派な神社である。
年末年始はかなりの参拝客がくるのか、大きな駐車場がありながら『炎獅子神社・第1駐車場』とあるので、他にも存在する事が予想できる。
そして駐車場から少し歩けば、朱色の大きな鳥居が待ち構えていた。如月姉妹に倣い、鳥居の前で一礼してから境内に。
そこから手を洗ったり道の端を歩いたり。正直、神社には久々に来たので新鮮にさえ思える。
ここ数年、両親が初詣に行くのを見送って正月は家でソシャゲの周回していたからなぁ……。
なお、巴君は相変わらず鍋に入って透明化していた。お前それでいいのか、神様って実際にいるらしいのに。
いや、如月姉妹が特に何も言ってこないし、いいのか?
そうして神社の裏手……で、いいのだろうか。本殿や拝殿と思しき建物とは別の所に通されて、和室にて攻略の準備をして待っている様に言われた。
何とも、高そうなお部屋である。審美眼など碌にない自分だが、それでも使われている畳や座布団が良い物なのはわかった。机の上のお茶菓子も、美味しそうである。
正直、気後れしてしまう。異能関連って、本当にお金が沢山動いているんだなぁ……。
「幸太朗」
「ん?」
大鍋の蓋が僅かに開き、巴君が目元だけを覗かせる。
「お前はこっちの部屋で準備しろ。オレは隣で準備する」
そう言って、襖の向こうを指差す巴君。
「え、別に同じ部屋で良くない?そっちの準備って、サーベルと弓矢外に出すだけだし」
今更、巴君に自分の着替えを見られてもどうとも思わんぞ。
流石に全裸になるとかならともかく、パンツやシャツはそのままだし。
「いや。今回はオレも本気をだす。ヴァイオレットさんの話を聞いた後だと、そうじゃなきゃ居た堪れないし……」
「本気?普段とは違うの?」
「普段も、全力は出している。ただ、その……あの装備をというか、まあ着る意味はないと思うんだが……」
「……?」
何を言っているのかわからないが、着る?防弾チョッキでも持ってきているのか?
いや待て。そう言えば魔力を纏った衣服の話を聞いた気が───。
『HAHAHAHAHA!!』
「Oh……」
全身タイツのムキムキマッチョが脳裏に浮かび、強制的に思考を停止した。
「なんかわからんけど、わかった」
「おう。覗いたらケツに穴を増やすからな」
「え、こわ」
マジで何を持って来たんだ、こいつ。
好奇心が湧くも、友人の着替えを覗くのも悪い。言われた通り、襖には近寄らずさっさと装備を整える。
軽く胸を叩いて防弾チョッキの具合を確かめてから、数分。ようやく巴君の大鍋が戻ってきた。
「よっす。遅かったけど、何を装備したの?見てもいい?」
「今鍋の蓋を開けたら貴方のお尻でドラムやるわよ」
「わっつ!?」
やけにドスのきいた声にギョッとすれば、蓋が僅かに押し上げられて巴君のジトッとした目元だけが見えた。
「……というか、わからないの?」
「え、なにが。あ、口調がゴールデンウイークの時のやつになっていること?」
「……そうね。ちょっと、今はこういう方向でロールする事に決めたの。合わせなさい」
「……大丈夫?引っ張られすぎない?」
あのキザ男ムーブで結構やらかしていた様に思うが。
そう心配するも、巴君は小さく顔を横に振る。
「こっちのなら、問題ないわ。ドラウグルのダンジョンでも、そういう意味でポカはやっていないでしょう」
「それはそうだけど」
「全力の態勢をとったから、こうなった。それだけ。気にしないで」
「そう……なの?」
本人がそこまで言うのなら、これ以上はいいか。
そうして更に待つこと、10分ぐらい。
「お待たせしました」
「あ、はい」
梓さんの声がしたので答えれば、襖が開かれる。
彼女は、落ち着いた着物姿から巫女服へと装いを変えていた。例の霊刀とやらは、脇差と共に腰に挿されている。
白い着物に赤い袴。オーソドックスな巫女スタイルだが、先ほどよりも体のラインは分かり易い。
なるほど……巴君ほどではないが、でかい。
つい視線が彼女のお胸様に向かいかけるも、理性を総動員して目を合わせる。
「こちらの準備も出来ています。いつでも出発可能です」
「わかりました。……改めて、お礼を言わせて頂きます」
そう言って、梓さんが頭を下げてくる。
「この様な依頼、命を落とす可能性の方が高いでしょうに、受けて頂いた事を心から感謝します」
「あ、はい」
咄嗟に気の抜けた返事をしてしまうも、顔を上げた梓さんの表情は真剣そのものだ。
「ですが、それでも勝つつもりで挑みます。お2人は、どうか生きて帰る意思を持ち続けてください」
「わ、わかりました」
その言い方だと、梓さんは相打ち上等ぐらいの気持ちでいる様に思えるのだが……。
そこはかとなく不安になるも、ここで問答を続けても意味はないだろう。生憎と自分も巴君も口下手だ。
「では、参りましょう」
「はい」
『……ええ』
そうして通されたのは、建物の地下。
途中からそれぞれ履物を履いて、草履とブーツの音が洞窟の様な通路に響く。
5分ぐらいだろうか。自分達の目の前に、木製の大きな扉が現れる。頑丈そうな造りだが、それ以上にびっしりと貼られたお札の方が気になってしょうがない。
これ、この先にあるのがダンジョンってわかっていなかったら滅茶苦茶怖いのだが……。
いや、ダンジョンもある意味心霊スポットだから、合っているのか?
「梓様!」
そんな事を考えていると、しわがれた声が背後から聞こえて来た。
振り返れば、かなり焦った様子で駆けてくるご老人たちがいる。その少し向こうに、巫女服姿の舞さんもいた。
うむ。巨乳姉妹の噂に偽り無し!
「梓様!羅刹に挑むというのは、本当ですか!?」
そんな事を考えていると、先頭のお爺さんが厳しい目で梓さんを睨みつける。
対して、彼女は真っ直ぐに視線を返しながら頷いた。
「はい。今日、奴の首を獲ります」
「おやめください!下手に刺激しては、どれだけの被害が出るか……!」
「そうです!何より、梓様は如月一族最後の希望。ここで命を落とされては、次世代はもう……」
お爺さんに続き、次々と説得を試みる老人たち。なるほど、この人達が如月家の分家とやらか。
「ここはやはり、当初の予定通り舞様にお役目を果たしてもらうしか……」
「っ……!」
お婆さんの言葉に、梓さんが拳を強く握る。
「いいえ。その必要はありません。私達が、羅刹を討ちます」
「……我が孫娘を、贄としたのに。ご自分の家族は駄目なのですか?」
ぼそりと、お婆さんが呟く。
「おいっ」
「あの子の犠牲は……これまでの犠牲は、貴女の我が儘で無駄になってよいものなのですか」
隣のお爺さんが止めようとするも、そのお婆さんは止まらない。
瞼の垂れた目を血走らせ、しわがれた声に隠しきれない怨嗟を乗せて彼女を睨みつける。
それに対し、梓さんは目を逸らさなかった。
「いいえ。そういう事ではありません。肉親の情故に、という理由がないとは言い切れません。ですが、それは『ついで』です」
「ならば、なぜ!何故今なのです!あの子の時と、何が違うと言うのか!」
「私の霊能の才は、既に打ち止めです」
きっぱりと告げられた言葉に、自分と巴君以外の全員が息を飲んだ。
「これ以上、どれだけ修行を重ねても強くはなれないでしょう。しかし、羅刹は違います。今後も奴は生贄を食らう度に、力を増していく」
「で、ですが」
「今しか、ないんです。これ以上あの鬼が力をつける前に、討たねばなりません。御役目を果たされた方々の為にも……」
強い決意の籠った瞳に、老婆が一瞬たじろいだ。
だが、すぐに持ち直した様子で睨み返す。
「では、倒せる確証があるのですか?貴女の刃は、奴の首に届くと!」
「わかりません。それでも、やるしかないのです」
「そんな無責任な!」
「そうです、考え直しましょう!」
「まだ『残り火』からの返事は来ていないのでしょう?もう一度、協力の要請を送ってからでも……」
「いや、ここは他の霊地を管理する一族に支援をだな」
「そうは言っても、他の土地にこちらへ手を貸す余裕があると言うのか……」
ご老人たちの間でも、意見の食い違いが起き始めた。
どうするのかと視線を梓さんに向けるも、彼女が何とか落ち着かせようと声をかけるが効果はない。
かと言って、部外者の自分達が口を挟むのもどうかと思うし……。
「梓」
悩んでいると、涼やかな声が薄暗い通路に響いた。
人々の言葉が、ほんの僅かに途切れた瞬間。そこにするりと飛び込んだ声と共に、舞さんが静々と歩み出てくる。
「勝算は、あるの?」
「……ある。ゼロじゃ、ない」
「そう……」
一度だけ強く眼を瞑った後に、舞さんは改めて梓さんを見つめた。
「生きて帰れとは、当主として言いません。むしろ死んできなさい」
「……うん」
姉妹に告げるには、あまりにも冷たい言葉。
だが。
「ですが……同じく当主として、この言葉を送りましょう」
その瞳を見て、彼女を『血も涙もない』などと、誰が言えようか。
「ご武運を」
「……うん!」
それだけ言って、舞さんが1歩下がる。
そして、自分達に対して深々と頭を下げてきた。
「どうか、勝利を。微力ながら、この場にて祈らせて頂きます」
「は、はい!」
彼女と共に先ほどまで言い争いをしていたご老人達まで首を垂れたものだから、慌ててこちらも頭を下げる。
数秒ほど頭を下げ合って、互いに顔を上げて舞さんと梓さんが見つめ合う。
「行ってきます。姉さん」
「ええ。行ってらっしゃい」
そう告げて、梓さんが門を開いた。
室内には石の祭壇があり、その上にもはや見慣れたダンジョンへの入口が浮いている。
「お2人も、準備はいいですか?」
「あ、大丈夫です」
『問題ありません』
「では……参ります」
そうして、祭壇を登りダンジョンの入口へと飛び込んだ。
一瞬だけ覚える世界が切り替わる感覚の後、自分の視界には。
「うわぁ……」
凄く、成金趣味な光景が広がっていた。
異様に煌びやかな、畳張りの部屋。金色の襖を、やたらめったら配置された蝋燭の乗った燭台が照らし出している。
豪華絢爛ではあるのだが、何というか、品がない。飾られている壺や置物も、言ってはなんだが『知識のない人が値札だけ見て買った物』感が溢れている。
なんでわかるのかって?自分もたぶん、高い品を集めた部屋を作れと言われたら似た様なもんを拵えてしまうからだよ。
マスクの下でドン引きするこちらに、梓さんが振り返る。
「どうか、気を抜かない様に。ここは既に死地です。いつ、理不尽なまでの力が襲い来るやもわかりません」
「あ、すみません」
そうだった。ここはダンジョン。
あまりにもあんまりな光景に悪い意味で圧倒されてしまったが、気を引き締めなくては。
部屋の広さはかなりある。20畳を軽く超えている上に、天井の高さも5メートルほど。これならば、エクレールを顕現させる事も可能だ。
ただ……。
ちらりと、腰の刀に手をかけながら周囲を油断なく警戒する梓さんを見る。
あまり、この人に手の内を明かしたくない。梓さんの人格どうこうという話ではなく、『残り火』対策だ。
奴らみたいに悪い霊能組織もいる。どこから情報がもれるかわからない以上、最高戦力であるエクレールは晒したくなかった。
この事は、梓さんの支度が済むのを待っている間に巴君とも話して決めている。
それはそれとして。
『エクレール』
脳内で、守護騎士に呼びかける。
『このダンジョンは、僕と巴君だけでも大丈夫そうですか?』
───ガシャン。
肯定を告げる金属音に、少し胸を撫でおろす。
『でも、危なくなったらお願いします』
───ガシャン。
これで、取りあえずの不安は払拭された。警棒と盾を握り直し、周囲を見回す。
今いる部屋には何もないらしい。襖に手をかけて、ゆっくりと開くと板張りの廊下に出た。
こちらはこちらで、木と和紙で出来た行灯が両脇にずらりと並んで明るくなっている。視界の心配はしなくていいらしい。
廊下から見える左右の襖も、全て金色だ。華やかではあるが、ここまでくると不気味に思える。
───ガシャン。
「っ、敵が来る。じゃない、来ます」
慌てて敬語に直しながら、盾を構える。
「ため口で構いません。いや、あたしもそうする」
「あ、はい。……うん」
「数はわかるか」
「いや、そこまでは」
素早く先ほどの部屋に隠れながら梓さんが言ってきたので、自分達も彼女と共に廊下から部屋に移動した。
そして、梓さんが片膝をついて掌を廊下に当てる。
「……1体。羅刹の配下が見回りをしているみたいだ」
「それは」
「……ちょうどいい。あたしがやる」
そう言って彼女は立ち上がり、鞘を少し前へ出す。
右手で柄を握り、鞘と刃両方を前後に引く様にして、捻りながら抜刀した。僅かに紫がかった刀身が露わになる。
「アタシがどこまでやれるのか……お互い、気になっていただろう?」
「それは、まあ」
「この異界に入った段階で、隠れて進むなんて出来ない。ここは羅刹の腹の中だ」
そうかな……そうかも……?
「危なくなったら援護してくれ」
そう言い残して、梓さんが廊下に出た。ほぼ同じタイミングで、ガシャガシャと足音が聞こえ始める。
廊下に堂々と仁王立ちする彼女の視線の先。角を曲がって現れたのは、鎧を纏った鬼だった。
武者の様な装いで、手には2メートル弱の槍を持っている。灰色の肌にギョロギョロとした赤い目を輝かせていて、牙を覗かせながら梓さんを見て涎を垂らしながら嗤った。
『ゲギャ、ゲギャ!』
耳障りな笑い声を上げて、鬼が槍を構えて走ってくる。
対する梓さんは正眼に構え、己を落ち着かせる様に長い息を吐いた。
両者の距離が、槍の間合いへと詰められる。勢いそのまま突き出された穂先を梓さんは刃で弾き、懐に入ろうとした。
だが鬼はそれより速く槍を引き戻し、次の突きを放つ。
それを彼女は鍔で防ぎ、再び弾いた。
『ゲギッ……!』
僅かにバランスを崩しながら苛立たし気に吠えた鬼が、槍を振り上げる。そして、全力で叩きつけてきた。
ゴウッ、と音をたてて振り下ろされる一撃を梓さんが半歩下がって回避すれば、廊下に穂先がぶつかり板を割った。
鬼が得物を抜こうとするも、柄を彼女が素早く踏みつける。
「はぁ!」
そして、槍の柄の上を独楽の様に回転しながら斬撃を放った。
『ゲギッ……!?』
鬼の首が刎ねられ、宙を舞う。
どしゃり、と兜が音をたてて床に落ち、遅れて残された身体も廊下に倒れ伏した。
残心。刀を緩く握りながら半歩引いて構える梓さんに、ここがダンジョンである事を忘れて思わず見惚れてしまう。
素人目に見ても、なんと流麗で美しい太刀筋か。一挙一動が、幾度も繰り返し行われてきたのだと分かる程に自然であった。
本人の美貌もあって、この歪な異界より余程華やかである。戦場の華とは、彼女の様な人を言うのかもしれない。
そうして呆けていると、巴君が鍋から腕を出してこちらの肩をつついてきた。
振り返ると凄い勢いで腕を引っ込め、代わりにスマホの画面を見せてくる。
『餓鬼』
HP:13 MP:10
筋力:14
耐久:12
敏捷:12
魔力:10
霊感:20
先ほどの鬼のステータスの様だ。小さく巴君に礼を言い、廊下に出る。
「お疲れ様です、梓さん」
「いや、だからタメ口でいいって。異界の中でいちいち敬語に言い直したりとか、面倒でしょ」
少し困った様に笑いながら言う彼女に、それもそうかと頷く。
「わかりまし……わかった。怪我とかはない?」
「問題ないよ。……やれる。あたしは、強くなった」
刀を握り直し、梓さんが呟く。
「……2人は、援護をお願い。このまま羅刹の所まで強行突破する。特に魔女である真島殿は、魔力を温存して」
───ガシャン。
その時、エクレールが警告音を出した。どうも追加が来たらしい。
それに半瞬遅れて梓さんが弾かれた様に顔をあげ、刀を正眼に構え直した。
「下がって!川内殿は真島殿の護衛を!」
『いいえ。私が攻撃。幸太朗も攻撃。下がるのは貴女』
「え?」
巴君の言葉に梓さんが思わずと言った様子で振り返るのと、追加の鬼……餓鬼どもが来たのが同時だった。
『ゲギャ!ゲギャ!』
『ギギヒヒ……!』
涎を垂らして得物を構える奴らは、先ほどの個体同様に朱色の立派な鎧兜を纏っていた。
だが、なんというか。『着られている』。そうとしか思えない。
数は4体。まあ、なんとかなるだろう。
『『アンサラー・アサルト』』
大鍋の左右に括りつけられた、弓矢と剣。その片割れがひとりでに浮き上がり、鞘から抜き放たれる。
『露払いはこちらがやるから、周囲の警戒だけお願いするわ』
「ちょっ」
梓さんの言葉を遮り、サーベルが飛翔。凄まじい勢いで回転しながら、餓鬼どもへ襲い掛かる。
『ゲギャ!?』
1体目が反応するよりも先に、その首が刎ね飛ばされた。
紅い血を振りまきながら回転する刃は止まらず、2体目の首も引き裂いて飛んでいく。
そして、それがUターンして戻ってくる事に恐怖したのか、武器も構えずに残りの2体がこっちへ走ってきた。
「『エンチャント:マイティ・ウォーリアー』」
己にバフを盛って、駆ける。
勢いそのまま向かってくる餓鬼の片方を盾で殴りつけて廊下に転がし、もう1体に警棒を振り下ろした。
反射的に左腕を掲げた様だが、諸共に打ち砕く。
メキャリ。
そんな音をたてて奴の左腕は籠手ごとへし折れ、警棒は兜を割って頭蓋にめり込んだ。
『ギ、ギェ』
先ほど盾で殴り飛ばされた個体が、折れた右腕を抱えながら逃げようとする。
だが、立ち上がって走り出そうとした時には追いついたサーベルが首を斬り落としていた。
一応餓鬼どもが粒子に変わっていくのを確認してから、背後へ振り返る。
ふよふよと浮かんでいる大鍋と、あんぐりと口を開けている梓さん。どちらも無事な様だ。
視線を正面に戻し、マスクの下で小さくため息を吐く。
……やり辛いなぁ。
『行きましょう。大丈夫。私達、ここの鬼どもよりは強いから』
「う、うん。……いや、今のは……」
『ダンジョン……異界で物思いにふける暇なんてないわ。ああ、そうそう。私もお言葉に甘えてタメ口でいくから、そのつもりで』
「あ、ああ。あれ、なんか口調が全然違う気も」
『気にしないで。ただの本気モードの代償だから』
「う、うん?」
混乱した様子の梓さんと、若干捲し立てる様な巴君。
今回自分達がやるべきなのは、ダンジョンの攻略───だけではない。
依頼人である梓さんが、無事に帰還する事も含まれている。契約内容にそんな事は書かれていなかったし、報酬も前払いって事でヴァイオレットさんが預かっているが……。
流石に、死なせようものなら寝覚めが悪いなんてものではない。あの雰囲気で見送った舞さんに、梓さんの遺体を持ち帰るなんてどんな顔をすればいいのか。
自分達が危なくない範囲で、彼女も守らないと。
「……はぁ」
思わず、再びため息がもれる。
何故こんな面倒な事になったのか。何故ダンジョン攻略中に居た堪れない気持ちにならないといけないのか。
それもこれも、自称羅刹とやらが悪い。
見つけ次第殴ろう。そう決めて、警棒を握り直した。
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