第二話 非日常の始まり
第二話 非日常の始まり
一夜明けて、月曜日。
色々と不思議な事が起きた日曜日だったわけだが、それにより世界は大きな変化を───見せなかった。
テレビやネットでこそ当然ながら天使やその発言内容について大盛り上がりだったものの、詳しい事はよくわからないという事で進展はなし。
各国政府はどこも『慎重な事態への対応と分析をしていきたい』という内容ばかりで、明確な説明はなかった。その事に批判の声が上がる程度で、やはりこちらも進展はなし。
『結局あの天使を名乗る存在はなんなのでしょうか?本当に聖書の中から出てきたと?』
『異能やら魔物やら、まるでアニメの話ですよ。まったく信用できません』
『しかし、彼ら、あるいは彼女らが不思議な力を使っているのは事実ですよ。何もない所から現れたり消えたりしているんですから』
『政府は一刻も早く、事態の説明をしてほしいですね』
『いやいや!そもそも政府は何かを知っているのに、話していないんですよ!国会で自称天使が言っていたでしょう!?政府が隠蔽しているんだ!』
『その通りですよ。国会議事堂の上にいるあの自称天使に、我々は一切取材ができていない!これは報道の自由を奪っている!よほど政府にはやましい事がある。そうとしか思えませんよ!』
『そもそも総理が幼い少女の様な姿になった事についても、よくわかっていませんね。世界各国でも容姿や性別に大きな変化が出たという相談が病院に────』
『本日は心霊現象に詳しい方々にスタジオへ来ていただきました。フリージャーナリストの────』
テレビではキャスターやどこかの大学の先生が各々の意見を言うだけで、結論と呼べるものは出ず。
ただ、自分も天使の言っていた『もう隠蔽とかしていられる状況じゃない』という言葉は気になった。
それは、今までは政府が異能や魔物の事を隠していたという意味ではないか。
ネットでもその辺り燃え上がっている様で、役所や政治家の事務所に電話が殺到しているらしい。
しかし、知り合いに政府関係者なんていない自分の日常は、普段どおりのまま。それらの騒ぎも遠い所のお話である。
ただし、僕個人については別の話。なんせ『異能者』とやらになったのだから。
まず、自分が異能者になった事はまだ両親に話していない。
理由に、特に大それたものはない。単純に手に入った不思議な力に対し、独占欲めいたものがわいただけだ。
それに、まだ『守護騎士顕現』とか『豊穣の祭儀』とか、説明だけ読んで実際に試してはいない事が山ほどある。
いや、まあ『豊穣』の方はまだ使うか検討中だけども。それはさておき。
親に話したら、それらを試す事自体に反対される気がして、自分は口を閉じたのだ。
理性では相談した方がいいと考えるも、感情の部分が『NO』と言う。だからまあ、しょうがない。そのうち、話そうとは思うけど。
もう一つの変化。それは、巴君が学校を休んだ事である。
担任の先生は『体調不良』としか言わず、まだ入学したばかりという事もあって自分以外彼……彼?と親しい者もいなかったのでクラスの誰も気にしなかった。
ただ、自分は知っている。巴君が休んだ理由を。
あの後、スマホで互いに簡単な状況説明をした結果、あちらも異能者になっていた事が判明。
それと、普段行く病院は随分と混んでいて受け付けてもらえなかったらしい。
今日は『母親と大きな病院に行く』とも言っていた。正直、自分にできる事はないので健康を祈るばかりである。
何はともあれ、学校が終わり帰宅時間に。
部活にも入っておらず、巴君以外に友達もいない自分は、一人歩いて帰っていた。自転車通学をしなくとも通えるのが、あの高校を選んだ一番の理由である。
田舎とも都会とも言えない、人気のない道路。所々に空き地が目立つそこを歩きながら、空が赤くなっていくのを何の気なしに見る。
夕暮れ。あるいは逢魔時。ふと、そんな単語が浮かんだ。
昨日の一件で、少しオカルトな思考に偏っているのかもしれない。ただ、不思議と妙な胸騒ぎがした。
この場にいてはいけない。そんな虫の知らせめいた感覚に、足を大きく踏み出す。
その時だった。
───ガシャン。
「っ!?」
どこかから聞こえた金属同士がぶつかる音。それに、慌てて周囲を見回す。
そして───自分の正面。少しだけ道路が高くなっている場所に、何かの影があった。
───ガシャン。
再び鳴る金属音。息を飲みながら、その存在を凝視する。
それは、子供の様に小柄な体格をしていた。
夕日で暗いシルエットしか見えなかったのが、徐々に目が慣れてその容貌を視認できる様になる。
細くしなやかな手足。黒に近い焦げ茶色のごわごわとした体毛に覆われ、右手には打製の棍棒らしき物が握られていた。
身に纏うのはボロボロの腰布一枚。だが、目を向けるべきなのは武器でも装いでもない。
顔だ。その存在の顔は、犬そのものだった。
『グルル……』
低い唸り声が、十メートルほど先から聞こえてくる。あの、犬頭の怪物から。
剥き出しの犬歯に口端から垂れる涎、そしてギラギラと輝く紅い瞳。
特殊メイクの類でない事は、素人の自分でも一目でわかった。アレは、間違いなく本物である。本物の、化け物なのだ。
犬頭の怪物が、姿勢を低くする。
まるで、獲物を前にした肉食獣の様に。
『アォオォォオオオオオンンッ!!』
「ひっ」
自然と、自分の喉からは悲鳴が漏れていた。
遅れて、理性が囁いてくる。あの瞳に宿るのは『殺意』だと。今まさに、自分を食い殺す為に奴は存在しているのだと。
恐怖から慌てて逃げようと足が動く。だが、両足がもつれて後ろに転んでしまった。
尻もちをついた自分に、犬頭の怪物は嗤った気がする。その視線が恐くて、距離をとろうと手足を動かし這いずる様に後退った。
しかし、そんな動きで逃げられるはずもない。怪物が走り出す。獲物である、自分目掛けて。
速い。それこそ犬の速度でもって、こちらへと迫ってくる。彼我の距離が瞬く間に縮まり、不思議と周囲がスローモーションになって、奴の鋭い牙や武骨な棍棒がよく見える様になる。
それが、一層恐怖を掻き立てた。
───ガシャン。
また、音がした。そしてようやく音の出どころがわかる。
この金属同士がぶつかる様な音は、あの怪物からしているのではない。
自分の中から、しているのだ。
───ガシャンッ!!
一際大きな金属音。同時に、目の前が『白い何か』に覆われる。
『ギャッ』
そんな声がして、一秒遅れてすぐ傍に何かが落ちてきた。
転がるそれが何なのか確認する余裕もなく、ただ目の前にある背中を見つめる。
純白の、穢れ一つない鎧。シンプルな形状の全身鎧に、紫色の腰布。手には黒い柄と鍔に、白銀の刀身が輝く2メートルはあろう大剣を握っている。
ゆっくりと、あの『ガシャン』という音と共にそれは振り返った。
飾り気と言えば腰布ぐらいのその騎士の額には、一角獣の様な金色の角が生えている。
こちらが座り込んでいるとは言え、恐らく立っていても首が痛くなる程に見上げなくてはいけない巨体。2メートル半は身長があるのではないだろうか。
何者かもわからず、これがどういう状況かもわからない中。不思議と、先ほど感じていた恐怖は消え失せていた。
呆然と見つめる自分を騎士は一瞥した後、両手で剣を握り直す。
すると、一瞬だけ剣がぶれたかと思えば大剣は二振りの長剣へと変わっていた。幾分か小さくなるもそれでも十分両手剣と呼べる二振りを左右で持ち、騎士は自分の左隣に移動してまた背中を見せてくる。
まるで、すぐ傍の空き地との間で遮る様に。
『グルル……』
あの犬頭の怪物と同じ唸り声。それが聞こえた事に目を見開く自分へと、空き地の生い茂った草むらから怪物達が飛び出してきたのだ。
長年放置され、膝当たりまで雑草が伸び種類もわからない木が数本生えていた、この辺では珍しくもない空き地。
その草むらに、4体もの怪物が身を潜めていたなどと思いもよらなかった。
『ガァァアア!』
2体が騎士へと跳びかかり、もう2体が分かれて彼?の左右へと移動する。
だが、怪物達が姿を現すと同時に騎士も動き出していた。
『ギャッ』
短い悲鳴が響く。今度は、はっきりと見えた。
それはきっと、先ほども起きたのであろう光景。首を刎ね飛ばされ、絶命する怪物の姿が視界に映る。
一刀一殺。瞬く間に2体の怪物を斬り捨てた騎士の姿に、残り2体が一瞬怯む。
それに対し、騎士は機械的なまでに淀みない動作を見せる。左手に持った剣を、勢いよく片方の怪物に投擲したのだ。
一直線に飛んだ長剣の速度は、メジャーリーガーの剛速球すら霞ませる。あまりの衝撃に胸を貫かれた怪物の体が浮いて、小柄な体躯はアスファルトの地面に串刺しとなった。
残り1体。形勢不利と思ったのか背中を見せたそいつに、騎士は右手の人差し指を向ける。
何をするのか。そう疑問に思ったのと、光が爆ぜたのがほぼ同時。
怪物の体が跳ね、半瞬遅れて『バチリ』という音がする。電撃が、騎士の指先から飛んで奴の背中を打ち据えたのだ。
小さく黒煙をあげ、肉の焼ける臭いをさせながら前のめりに倒れる犬頭の怪物。
その音で、ようやく思考が現在の状況に追い付いてきた。
自分のすぐ傍で転がる怪物の死体。むせ返るような血の臭い。切断された死体の断面が、こちらに向けられている。
「う、ぁ……」
腰が抜けたままの自分に、騎士が歩いてきた。
ガシャン、ガシャン、という音は、あの時自分の中から響いていた音に他ならない。
何より不思議なのが、この光景を作り出したあの騎士に小指の甘皮ほども恐怖心を抱けない事だ。
むしろ、安心している自分さえいる。それが不思議だったが、ある結論へと思考を導いた。
「……守護騎士?」
こちらの言葉に、騎士は小さく頷いた。
そのタイミングで、散らばっていた怪物の血も残骸も、粒子となって虚空へと消えていく。
ついで、自分の中に何かが溜まる様な感覚があった。
幻めいた光景に困惑するこちらへ、騎士はいつの間にか剣を消して片膝をついてくる。まるで、忠誠を誓うかの様に。
「えっと……」
『………』
何か言われるのを待っているかの様にその体勢を維持する騎士に、呼びかける。
「とりあえず、立ち上がるのを手伝ってもらっていいですか?」
腰が抜けたままの自分に騎士は頷くと、脇の下にその大きな掌を入れてきた。
肥満とは言わないけど、痩せているとも言えないこちらの体を赤子相手の様に軽々と持ち上げてくる。
先ほどの戦いでも思ったが、凄まじい身体能力だ。支えられてどうにか足に力を籠めながら、お礼を言う。
「さっきはありがとうございました。それと、今も」
『………』
騎士は何も答えない。ただ、自分がちゃんと立てるようになるのを待っている。
怒っている……風にも見えない。だからと言って困惑している様にも思えなかった。
まるで、人形に話しかけている様な錯覚さえある。そこで、騎士の顔を見上げていて気づいた事があった。
至近距離から見上げているのに、兜の中にあるはずの顔がスリットから見えない。暗闇だけが覗いている。
「……あの、失礼ですけど兜の下を見せてもらっても?」
ようやく立てるようになった自分に、騎士は己の兜を手で外して中身を見せてきた。
空っぽ。白銀の鎧の内側は、何も入っていなかった。
「……な、なるほど」
そういう感じね、うん。OK、だいたいわかった。
嘘です全然わかっていません。でも超常の存在ってのはさっきから散々見せられているし、もう驚かんぞ。
「どうも、戻してください」
ガチャガチャと兜を嵌め直す騎士を見上げながら、質問をしてみた。
「あー、そのぉ……名前とかって、あります?」
こちらの問いに、嵌め終わった兜は横に振られた。どうやら無名らしい。
自分の予想が正しいのであれば、この騎士が『生まれた』のは昨日。赤ん坊も同然……というのは語弊があるだろうが、名前がないのは当然か。
少しだけ周囲を見回して、誰もいない事を確認してから口を開く。
「もしよかったら、僕が名付けてもいいですか?」
騎士が、ゆっくりと頷いた。
胸が高鳴るのがわかる。
非日常が昨日から始まったというのは、理性ではわかっていた。だが、こうして実際に何かが起きるなんて、この時までは考えもしなかった。
この感情が、能天気な興奮なのか、命の危機にアドレナリンが出過ぎたのかはわからない。
それでも、思うままにこの騎士の名を呟く。
「エクレール」
フランス語で『稲妻』を意味する言葉。先の戦いを見て、これが浮かんできたのだ。
その名前が気に入ったのかはわからないが、騎士は静かに頷く。かと思えば、ゆっくりと透ける様に消えてしまった。
彼……または彼女かは不明だが、それを見送って。
「はぁぁぁぁ……」
大きなため息を吐く。
心臓が耳元で鳴っているかの様にうるさい。胸を押さえながら、再び周囲を見回した。
血も肉も残っていないが、エクレールの投げた剣が怪物を串刺しにした所に、小さな穴を見つける。
近づかなくてもわかるが、あれは切っ先が刺さってできた傷だ。つまり、これまでの出来事は白昼夢の類ではない。
「帰ろ……」
一瞬警察に連絡するかとも考えたが、なんと説明すればいいんだ。絶対に面倒な事になる。
それよりも、この場から逃げるようにそそくさと家に歩き出す。
……どこか、実感の持てなかった世界の変化。
それが、こんな物騒な形で現れた。
遅れてやってきた不安感に押される様に、足は速くなっていく。
家につき、母さんの『おかえりー』という声がリビングから聞こえてきて、こんなにも嬉しく思えたのは初めてだった。
「ただいま」
泣きそうになりながら答えて、スマホで父さんに『帰り道、気を付けて』と送っておく。
理由も書かずに送ったせいで、五分ぐらいしてから『なんかあった?』と来たが、適当に『最近物騒だから』とだけ返した。
正直に話す……かは、少し迷った。自分自身頭がぐちゃぐちゃで、上手く説明できる気がしない。
父さんは車で通勤しているし、通り道も大きな道路ばかりだったはず。だから、大丈夫……なはずだ。
迎えに行くかと一瞬考えたものの、母さんもいる。正直、祈るしかない。
手洗いとうがいをすませて、自室に。制服から部屋着に着替えながら、気になったのはやはりあの怪物達。
子供の様に小さな体をした、武器を持つ犬頭の怪物……。ゲームとかで見る、『コボルト』に似ていた。
少しずつ冷静さが戻り始めた頭で、あれが魔物なのかと理解する。同時に、背中に氷でも入れられたかの様な寒気を覚えた。
天使が言っていた、『もう隠蔽できる状況ではない』という言葉。そして、『思った以上に人界へ押し寄せてきている』とも、言っていた気がする。
それはつまり、今日みたいな事がまた起きるという事ではないのか?
今回は、エクレールのおかげで無事に済んだ。でも、父さんや母さんは?エクレールは自分の異能だ。たぶん、遠くにまでは単独で移動させられない。それが本能的にわかる。
だが、常に両親と行動を共にするなんて事はできない。生活がある。
……対策が、必要だ。でも僕一人では妙案なんて浮かばない。せいぜい、何かが起きる前にこの辺を散策して、他にいないか────。
そうだ。他に、まだ近所にいるかもしれないのだ。何なら巣だってあるかもしれない。仮称コボルトは群れで襲ってきたのだから。
考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが浮かぶ。とりあえず、何か有益な情報がないか例のアプリを起動した。
いっそ、それで得た情報も含めて両親に相談した方がいいかもしれない。もう異能を使うのを止められるかもとか言っている場合じゃないし。
「……え」
そうして探っていると、とある文書を見つける。
『魔物は異能者を特に狙う。霊感の強い人間は魔物にとって非常に栄養価が高い。ただし、視認されたり彼らのテリトリーに入らなければそこまで狙われない』
『魔物の存在をより身近に感じているか否かで、遭遇率は変動する。詳しく知っている者ほど、その臭いは彼らに届く』
……ぶねぇ!?両親に情報全ブッパする所だったぁ!?
思わず指から力がぬけてベッドにスマホが落ちるが、そんな事を気にしている余裕はない。
あの天使ども、こういうのはもっと分かりやすい所に書けや!?というか、狙われやすいってなんだよ!?自衛しろって言いながら、危険度上げてんじゃん!
怒りと焦りを覚えながらも、どうにか諸々の感情を飲み込んでスマホを拾い上げた。思う所は多々あれど、とりあえず少しでも情報が欲しい。
すると、手に持ったタイミングでスマホに通知が来る。
父さんだろうかと確認するも、差出人は別の人だった。
『明日、放課後にうちへ来てくれないか?』
今日学校を休んだ、自分と同じ異能者。そして、自分よりも日常が遠のいてしまった友達。
巴君からのものだった。
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