第75話 狂気の豚戦士②
ガイルは、常々不思議に思っていた。
なぜ人間の王は弱いのか、と。
人間たちは、王の子に生まれれば、その者もまた王になるのだという。
ガイルからすれば、それはありえない価値観だった。
血が王を決めるなど、あり得なかった。
王になるために必要なのは、力。
力を持つから王なのであり、王であることが力の証明。
豚鬼の王になるため、ガイルはひたすらに力を求めた。
才能はあった。誰もが羨む戦闘の才があった。驚異的な身体能力も、生まれながらに備わっていた。
ガイルに『王の座は譲る』と言ってきた先代は、その手で殺した。
ああはなりたくないと思った。
ガイルは王として生き、そして死ぬそのときまで王であるつもりだった。
ガイルが王になってから、誰もガイルに逆らわなくなった。
今回もそうだ。
確実にガイルに殺されるとなっても、誰も逃げず、反抗もしなかった。
生き返ることができるという保証はあったが、それだけではなかった。
ガイルの存在自体が、オークたちに潜在的な恐怖を与え続けていたのだった。
さて。
なぜ今回ガイルが自らの手で仲間のオークたちを殺したのか。
その答えは、彼が持つEXスキルにあった。
スキルの名は〈狂気〉。
その効果は、常軌を逸していた。
〈狂気〉
返り血を浴びると、徐々に理性を失い、代わりに筋力をはじめとする肉体能力が向上する。
理性を失うと戦闘のことしか考えられなくなり、撤退、和解等の選択肢が取れなくなり、自分か相手が全員死ぬまで戦闘を止められない。
また、〈狂気〉が発動している間は魔法を使えない。
このスキルを、ガイルはかつて戦いの中で会得した。
30人分の返り血を浴びたガイルの状態は、今まさに最高潮にあると言えた。
常識はずれの身体能力と狂った思考しかできない怪物。
それが今のガイルだった。
*
「飛んだ……?」
誰かが呟いた。
このオークには魔法が使えないはずだった。
にも関わらず、地上から6メートル上にいるハルカゼの眼前まで迫ったのだ。
「いや……奴は、『跳んだ』んだ」
言ったのは、ダメージを負ったハルカゼだった。
「……どういうことでしょう?」
当然、言葉だけでは『飛んだ』と『跳んだ』のニュアンスの違いを聞き分けることはできなかった。
「奴は魔法やスキルで飛んだんじゃない。物理的に、単なる身体能力だけで、ここまで高く跳び上がったんだ。言うならばあれは……ジャンプだ」
全員が絶句した。
それはあり得ないことだった。
自分たちは今まで、安全圏にいるとばかり思っていた。
しかし、違った。
あの怪物にとって、自分たちは射程圏内にいるのだ。
危機は現実のものとなった。
〈聖なる光線〉
〈魔法の槍〉
〈石砲〉
半ばパニックになった魔法師たちは、次々とガイルに向かって魔法を放つ。
今度は、それを避けなかった。
数々の魔法は、ガイルに少なくない傷を作った。
だがそれを無視して、ガイルは再び踏み切った。
ガイルが魔法師たちに迫る。恐るべき速度で。
そして、
〈殴打〉
スキルを発動させ——
——グチャ
棍棒が脳天にめり込む。
即死だった。
「グフフ、グフ、グギギ!」
ハルカゼは再び絶句した。
こいつは、異常だ。
「魔法を撃ち続けるしかない! やられる前にやるんだ!」
ハルカゼの声に呼応して、魔法師たちは攻撃魔法を放つ。
ガイルは今度も避けない。
興味がない、とでも言いたげだった。
また、踏み切る。
逃げたかったが、逃げられないことはわかっていた。
それほどの速度で、ガイルは跳び上がっていた。
今回は特定のターゲットがいるというわけではないようだった。
魔法師の大群の、そのど真ん中に向かって跳び上がったのだ。
例によって、魔法師たちは反応できなかった。
ガイルの周りには多くの魔法師たち。
「グフッ」
一瞬、小さく笑う。
〈ぶん回し〉
そして、スキルを発動。
その名の通り、棍棒を思い切り振り回した。
想像を絶するパワー。
恐るべき滞空時間。
肉が潰れ、断ち切れる音。
この場はガイルの独壇場であった。
ようやくガイルが重力に従い、地面に落ちた。
そしてガイルとともに、8つの死体が落ちてきた。
一度の跳躍で、8人。
人間たちの顔が恐怖に歪む。
しかし魔法を止めることはしない。
ガイルに魔法が降り注ぐ。
外見だけを見れば、優位は圧倒的に人間側にあった。
ガイルはボロボロだった。
本来ガイルのこの姿を見れば、あと少しで倒せると、人間たちは奮い立ってあるはずだった。
「グギギギギ!!」
この狂った笑みさえなければ。
ガイルはまた、『体勢』に入った。
「くるっ!」
ハルカゼとて、全く考えなしというわけではなかった。
〈石の壁〉
ガイルの通り道に、地面と平行になるように壁を作った。
しかし——
「ぬんっ!」
粉砕。
粉々だった。
〈ぶん回し〉
再び同じスキル。
今度は3つの死体が落下した。
人間たちは一種の恐慌に陥っていた。
(逃げるか? いや、逃げてどうする? そもそも逃げ切れるのか?)
一瞬だったが、ハルカゼは深い思慮に至っていた。
火事場の馬鹿力、とは何も肉体的なことだけではない。
この土壇場で、ハルカゼは妙に冷静だった。
そして冷静に考えた結果——
(今、ここでやるしかない)
こういう結論に至ったのだった。




