八話
伊織が輿入れしてから5日が経った。
部屋でミツハたちと和気あいあいしていると、一人の侍女が襖越しに声をかけてきた。
「伊織様、少々よろしいでしょうか?」
声をかけた侍女は伊織の返事が返ってくるまで黙って待っていた。その様子に伊織が感心したのは言うまでもない。
(無礼に襖を開けてくると思ったけど、そうはしないのね)
今まで散々こちらが挨拶をしても無視をしたり物を隠されたりと嫌がらせをしてきたのに、急に態度を改めるとは……。
どうやら何かが動き出したらしい。
(――まだ警戒は解かない方が良いわよね?)
伊織は4人に目配せをした。
渓谷が優雅な仕草で襖を開け、しぶきが問いかける。
「はいはい。何の御用でしょうか?」
「主人からの招待状でございます。輿入れされてから幾分、日が経ちましたゆえ皆様も落ち着かれた頃かと存じます。ぜひお茶会をして親睦を深めたいと主人が申しておりますので、ご参加ください」
「こちらが親睦を深めたくない場合はどうしたら良いのでしょうかね? この招待状を貰わなかったと白を切ればいいのでしょうか?」
渓谷が嫌味たっぷりに問いかけるが侍女は怯まない。むしろ冷ややかな笑顔で問いかける。
「貴方の言葉を伊織様のお言葉と捉えても?」
どうやら、この侍女は数々の修羅場を潜ってきたようだ。渓谷の嫌味をあっさり交わしつつ、言外に「部外者は引っ込んでいなさい」と含ませる。肝の据わりかたからして大名家出身だろうか。一介の浪人ではさすがに分が悪い。もっぱら伊織にとっても、それは同じ。側室なので正妻には歯向かえないし、そもそも出自に天と地ほどの差がある。今後の生活をしていくうえで波風を立たせない方が身のためである。
ならば――。
これ以上の反抗心は得策でないと考えた伊織は「伺います」と侍女から招待状を受け取り返事をした。
「あ~あ……。罠だとわかっているのに行かなきゃいけないなんて嫌だなぁ~」
しぶきの嘆きに伊織が苦笑いする。
「もしかしたら、本当に親睦を深めたいだけかもしれませんよ?」
「ないない! 絶対にない!!」
しぶきが大きく首を左右に振る横で渓谷と厳が首を縦に振る。
伊織の意見を否定する三人をミツハが窘めた。
「厳、渓谷、しぶき――」
「だって~」
しぶきが口を尖らすと残りの二人が思っていたことを口にした。
「まあ、今更ですしね~」
「今更じゃな」
ミツハがそれぞれに視線を向けると三人は目を反らした。これ以上、何も言いませんと口を手でふさぐ。まるで母親に叱られている子どもだ。
そんな光景に伊織がくすりと笑った。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですよ」
伊織の言葉に四人は「やっぱり罠だと思ってるじゃん」と心の中で呟いた。
「では、行きましょうか!」
伊織の声掛けに四人は重い腰を上げたのだった。
招待状に記載された場所に到着すると何と令子が既に上座に着席していた。これにはさすがに伊織を始めミツハたちも驚いた。嫌がらせの一つとして何時間も正座で待たされるかと思っていたからだ。
侍女の一人が口を開く。
「令子様を待たせるとは、どういうつもりかしら?」
相手の言い分は理解できる。側室が正妻を待たせて良いわけがないのだから。
――だが、それはそれ。これはこれ。
招待状に時間が書いていなかったのだから仕方がない。これでも招待状を頂いてから最速で来たのだ。
「開催時間を知らせなかったくせに……」と思ったが渓谷もしぶきも言わない。先ほどの二の舞にはなりたくないからだ。座敷にいる侍女たちは身なりや仕草で大名家出身の者たちとわかる。下手に発言して伊織を窮地に立たせたくない。だが、こういう時は目下(部下)の者が主人に代わり謝罪するのが習わしだ。例え、こちらに非がなくとも……。
それをわかっていたミツハが謝罪しようと一歩前に出ようとしたら伊織により止められた。
ミツハを片手で制した伊織は、すっと前に出る。
「私の歓迎会だと聞いておりますので主役が遅れてきても問題ないはずですよね?」
はっきりとした口調で伊織は立場を明確化した。
招いた者と招かれた者。これでは正妻と側室という構図が成り立たない。故に、こちら側に非がなく角が立たない。
伊織の頭の回転の速さに厳、渓谷、しぶきは舌を巻き、心の中で称賛した。ただ、どうしても顔だけは繕えず、してやったりとにんまり顔だ。
ミツハには伊織の小さな背中が大きく見えた瞬間だった。
(伊織様は戦う術をお持ちなんだ)
他者と渡り合う術を持ち合わせておらず、知ろうともしなかった昔の自分。そして常に受け身だった今の自分をミツハはこの時、恥じていた。
「――そうでしたわね。改めて大奥へようこそ。これからもよろしくお願いいたしますわ」
こうしてお茶会もとい歓迎会は令子の牽制が効かないまま始まった。