四話
紀州国。
本州中央部よりやや南側に位置し自然豊かな国である。代々、将軍家の血縁者が統治していることもあり、幕府にとって重要な拠点の一つでもある。
面積は大きくも無いが小さくも無い。これと言った特産物は無く慢性的に財政難に陥っている――というのが5年前までの世間が認識している情報だ。
何故、5年前なのかというと国主が代替わりしてから紀州国は大国と称されるようになったからである。それ故、紀州国のマイナスの印象は今では考えられなくなっている。
――あくまで経済面の話だけではあるが……。
「ミツハちゃん、おはよう!」
仲間より一足早く食堂に着いた来島しぶきは満面の笑みで覇気がない女の子を迎い入れた。
手招き後、ミツハを座布団に座らせたしぶきは日課となっているミツハの顔色を確認する。
(ーー顔色は悪くないね。目の下に隈もない。痣や火傷の痕は……ないね)
一通り、状態を確認したしぶきは、何時ものように「今日も可愛いね!」とミツハを褒める。男性であるしぶきに褒められて嬉しくない女性はいないだろう。だが、ミツハは「おはよう」と力無く返事するだけだった。
しぶきとミツハの朝の挨拶が終わると二人の元に初老の村上厳と美青年の児玉渓谷が四人分の朝食を持ってきた。
女性のため一人だけ寝る部屋が違うミツハとは、この時が初対面となる。昨日ぶりの再会だが厳も渓谷も「おはよう」と元気よく声をかける。
「おはよう。厳、渓谷」
この二人に対してもミツハの挨拶は感情のないものだった。他の人間からしたら無表情で覇気のないミツハの対応は頭にくるものだろう。もしかしたら瘦せ細った身体と相まって気味悪く思う者もいるかもしれない。だが、巌・渓谷・しぶきにとっては声を聞かせてくれるだけで良かった。何故なら、数年前までミツハは精神的苦痛を受けたことにより声を出せなくなり、食べることすらも拒否していたからだ。
「今日は焼き鮭ですよ」
丁寧な口調で渓谷が本日の献立を発表しながらミツハに大きな焼き鮭がくるよう配膳する。味噌汁係となった厳も「具は茄子だぞ」と言ってミツハに四つの中で一番具が入ったものを置く。三人とも当然のように愛するミツハに良いものを……と行動している。
松平信康に拾われてから続く日課であった。
「さあ、ご飯を食べよう!食べよう」
「いただきます」
しぶきの号令に全員が感謝をもって手をつけた。
「今日のミツハちゃんの仕事は何?」
「お部屋の掃除」
「へぇ~。どこの部屋?」
「ーーたしか大奥」
「大奥!?」
ミツハ以外の三人が驚く。それもそのはず。今までミツハに割り当てられていた業務は厠掃除や廊下の拭き掃除に庭の掃き掃除など下女でも嫌う仕事が多かった。それなのに下女が立入禁止されている領域である大奥の一室を任されるとは……。
三人に一抹の不安が残った。
「ーー大奥ですか……。もしかしたら新しく迎える側室の部屋なのかもしれませんね」
「あぁ~。肥前国のお姫さんだっけ?」
渓谷の予想にしぶきが説明を付け加える。
「遠路はるばるご苦労だのう~」
頭の中で地図を広げた厳が、しみじみと言葉にしたのを聞きながらミツハが詳細を告げる。
「多分、違う。物置部屋って言っていたから」
「物置部屋ですか……」
「物置部屋ねぇ~?」
「物置部屋かぁ~」
ミツハ以外は、この物置部屋が側室の部屋になるなと確信した。何故なら、嫌がらせには丁度良いからだ。矜持の高い令子が側室を許すわけないと考えている三人は、早くも正妻と側室の戦いが見れるなと浮足立った。
「ほら! さっさと入りな。お前一人でこの部屋を掃除するんだよ! わかったね?」
巌たちと別れたミツハは女中頭に連れてこられたと思ったら埃臭い物置部屋に押し込められた。
(何が置いてあるんだろう?)
ミツハが辺りを見渡していると女中頭に強めに肩を叩かれた。
「とっとと仕事しな! あんた一人しか、ここに人員を割けないんだからね!!」
「わかりました」
「本当、あんたが居てくれて良かったよ。じゃなきゃ、あたしらにとばっちりが来るからね」
女中頭が吐き捨てるように言ったこと言葉の意味はミツハにはわからなかったが、自分にしか出来ない仕事だということは理解できた。
(ーーがんばろう)
埃を吸わないよう口に布をあてたミツハは、高いところから埃を落とし始めた。この城に来るまでは掃除の仕方はおろか市中での買い物の仕方すらわからなかった。それが今ではどうだろう。どこから手をつければ良いのか、この場所にはこの掃除用具が必要などわかってきた。未だ力が及ばず迷惑をかけることが多いが、それでも少しづつではあるが成長できた事にミツハは喜びを感じていた。