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三話


 信康が居城としている紀伊城までは海路と陸路を使い数週間かかる道のりだった。道中、これといった会話は信康との間に無かったが伊織にとっては初めての遠出だったため終始心が躍っていた。


 ――目の前で起きている出来事にさえ傍観者として楽しめる程に……。


「一体、どういうつもりですか!? 姫様を城内に入れさせないとは!」

「我々は主の命に従っているだけです」

「でしたら、信康様を呼んできてください!」

「信康様には滞っている職務に全うして頂くため、お部屋に篭っていただきました」

「それでも取次くらい出来ますよね? 信康様に姫様のこの状況をお話しください!」

「集中なさっているため、お声がけも不可能です」

 食い下がる気が無い伊織付きの侍女・操と頑なに城門を守る門番との口論は、かれこれ30分以上続いていた。

 二人の攻防を見ていた伊織は、流石に何か裏があるのではと勘繰る。足止めの可能性か、あるいは今回の婚姻が認められていないのか? どちらにせよ、もう少し展開が進んでくれないと自分の立ち位置が見えない。

 (大物が現れてくれないかしら?)

 期待に胸を膨らませている伊織の耳に再び操の声が入る。

「信康様に輿入れに来たんですよ! 奥方を迎え入れないなんて正気ですか!?」

「あら? 奥方と言っても側室でしょ?」

 操の声に被さるように鈴を転がすような声が伊織達に届く。

 洗練された一挙手一投足が香を纏った正絹を靡かせ、陽の光に照らされた紫光りの黒髪を持つ艶麗な女性の登場に誰もが目を奪われた。

 堂々たる絶世の美女の態度に操は怯み、門番は低頭した。

 ――伊織に至っては「超大物、来た〜!」と内心大喜びして密かにガッツポーズをしていた。

 誰がどう見ても目の前の人物は最重要人物と言っても良い。

 伊織の頭の中で情報が整理される。

 (信康様の御母堂は他界されているから、残るは――正妻!)

 今代の将軍の妹である松平令子。御齢は23歳。5年前から大奥を取り仕切っている女帝だ。

 伊織が滅多にお目にかかれない美女の顔をマジマジと見ていると、ふと令子と目があった。優雅な微笑みのなかにある凄み。一瞬で、どちらが上か立場を理解させられた。最も伊織には正妻に取って代わろうなどという考えは無かったのだが……。

「一つ、言っておくわ。これより先は鍋島伊織のみの入城を許可します。御付きの者は即刻、自国に帰りなさい」

 それだけ言うと令子は門番に目配せをして帰って行った。

「えっ? ちょ……ちょっと、お待ちください!」

 勿論、操が抗議するが令子は振り返らない。散々行く手を邪魔してきた門番二人が令子の姿を隠すよう立ち塞がる。

「また、あなた達は邪魔立てする気なの!?」

「主の命令です。あなた方はお帰りください」

「はい、そうですか。って言うわけないでしょ! どこの世界に主人を一人置いて去る臣下がいるって言うのよ」

 少し前と同じ光景が繰り広げられていく中で、伊織が口を挟んだ。

「――持参した調度品は持ち込み可能ですか?」

「側室様が心配される物は全て揃ってあります。どうしてもと言うのなら長持ち一つだけ持ち込み可能です」

「そうですか……」

「姫様! もしや、こんな馬鹿げた条件を飲むんですか?」

 操が驚いた顔で伊織の意志を確認する。「信康様とお話し出来れば――」と打開策を提案するが、伊織にはわかっていた。信康様にお願いしたところで状況が変わる事はないと。

 門番達の上司は令子だ。その証拠に信康の事を『信康様』と呼んでいた。彼らが口にした『主』と『信康様』は別々の人物だと言うことだ。他にも納得のいく状況があった。自分の質問にすぐ返答出来たことだ。令子に指示を仰がず答えが出たと言うことは、初めからどう行動すれば良いか教えられていたということ。

 ……つまり――。

 婚姻は認めるが許していない、ということだろう。

 伊織は、この婚姻がもたらす美点と難点を考えようと思った。さすれば、自分の立ち位置が見えてくるはずだ。

 幕府と対峙したところで、今の肥前国に勝ち目はないのだから。




 伊織と令子が対峙している一方で、信康もまた屋敷の者相手に口論していた。

「放せ! 触るな!!」

「そうはいきません。これより先は通せません。どうぞ、執務室へお戻りください」

 信康一人に対して5人の男が必死に行く手を塞いでいる状況だ。

 もう少し早く異常に気づくべきだったと後悔する。

 城に到着した途端、城内に急かされ伊織達に指示する時間も無く来てしまった。同行していた家臣も、待ち構えていた家臣達によって早々に城内へと引き上げられてしまった。そのせいで伊織達は訳も分からず城外に残されている事だろう。

「いいから、そこを退け!」

 信康の高圧的な物言いにも怯まず、男達は頑なに道を塞いでいる。

 痺れを切らした信康が強引に足を進めようと男達を掻き分けると、思わぬ人物と対面した。

「切羽詰まった様子ですが、どうなさいましたの?」

 令子の登場に男達は頭を垂れるが信康だけは睨みつけた。

「このくだらん茶番は、お前の仕業か?」

「ふふっ。茶番とは、どういう意味ですの?」

「白々しい。俺と伊織たちを引き離して何を企んでいる?」

「引き離すなんて人聞きの悪い。伊織さんとお話がしたかったので待っていてもらっただけですわ」

 令子の言葉に信康は眉をひそめた。値踏みしたかったのか。それとも牽制したかったのか――。

 (おそらく、どちらもだろうな)

 信康の気持ちを汲んでか、令子が言葉を続ける。

「私は側室を持つのに反対していませんよ。信康様のような野心あふれる方には政略結婚の一つや二つ、必要ですしね」

「――なにが言いたい?」

 令子の含みを持たせた言い回しに信康が低い声音で問う。

「私も信康様も幕臣。しかも血統は誰よりも濃い。敵の政略に嵌るなんて無様な真似は出来ませんわ。ですから伊織さんのみの入城を許可します」

「なんだと? 伊織付きの侍女達を受け入れないという事か?」

「ええ、そうですわ。身の回りの世話は私の侍女が引き受けますし、伊織さんのために調度品も揃えてありますから心配無用です」

 ふと、信康は思い出した。

 伊織を迎えに行く前に令子が大量に買付していた事を。

 (表立って否定しないが歓迎はしないというわけか)

 信康も伊織と同じ考えに辿り着いた。それを踏まえて令子の真意を探る。

 (伊織は城内に味方がいない。十中八九、令子の息がかかった者たちから嫌がらせを受けるだろうな)

 ――ともすれば……。

 伊織の味方になってくれる人物を探さなければいけない。


 だが、信康には難しかった。


 信康に味方といえる家臣はいないからだ。今回の件でも痛感したが、城主である信康よりも将軍の妹である令子の方が発言権が強いのだ。信康に従いはするが忠誠を誓っているかといえば違うのだろう。


「――ならば、俺も条件をつける。伊織には俺が選んだ侍女をつける」


 信康が提示した名前に令子は嘲笑した。

「信康様はお優しいのか、そうじゃないのかわかりませんね」


 信康が告げた名は――毛利ミツハ。

 大罪人として幕府に処刑された長州国の元姫の名前だった。

 

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