二十一話
夕方に其れは決行された。
正面からの突破も侍女に紛しての潜入も失敗に終ったのなら――……あとは、強行手段に出るしかない!!
こうして伊織は大荷物を抱え令子の部屋の前に来た。横にはぎこちない態度の信康もいた。
「えっ? 何でいるの!?」がその場に居た者たちの率直な感想だった。しぶき達も伊織から集合をかけられただけなので信康が何で居るのかわからない。
「さあ、皆さん! 早く準備して下さい」
伊織の号令に連いていけない面々は口々に騒ぎ立てた。
「え、何を?」
「今から何をするつもりなんです?」
「ふっふっふ。令子様が部屋から出ずにいられない状況を作るんですよ!」
名案でしょ? と言わんばかりに伊織が胸を張るが案の上、他の者たちは嫌な予感しかしないと頭を抱えた。
「――本当にやるのか?」
「もちろんです」
信康と伊織のやりとりを見て渓谷としぶきが腹をくくる。城主であり夫である信康がこれから起きるであろう事態を知っていて止めなかったのだから問題はないと思ってしまっていたのだ。
そして何より伊織に全幅の信頼を寄せているミツハがやる気を出している以上、今更止められない。
「お魚の用意が出来ました」
「ありがとうございます、ミツハさん。 それでは皆さん団扇を持って仰いで下さい」
「え!? ここで魚を焼くの!?」
「はい、そうです」
「そんな事をしたら煙たくなりませんか?」
「それが狙いです!」
「つまり燻り出そうというわけじゃな?」
「厳さん、正解です!」
さすがにここまでくれば伊織のやろうとしている事はわかった。
――わかったが、成功するかどうかは別問題だ。それに、そこまでしていいの?と不安が募る。
「形振りかまわずの正面突破はわかったけどさぁ~もう少し他になかったの?」
しぶきが隠便に済ます策はなかったのか確認する。
「そうですよ。 城攻めの策として火攻めもありますが、その他にも水攻め兵糧攻め、もぐら攻めなんかもあるんですよ。物理的かつ精神的に揺さぶった方が良くないですか?」
「ちょっと渓兄! さらっと恐い事を言わないで!!」
籠城している令子にそこまでする必要はないでしょとしぶきが待ったをかけた。言った本人も現実味が無いと思ったので「冗談ですよ」と軽く笑った。
「……好物で釣る?」
ミツハの一言で部屋に静寂が訪れた。
何とも平和的な解決方法だ。
――だが、 これには問題があった。
「信康様は令子様の好物をご存知ですか?」
伊織の質問に、またまたその場が静まりかえる。熟孝の果てに信康は「知らない」と答えた。
「ですよね! はい。そんな気がしていました」
「本当、そういうところだよ! 奥さんの好みぐらい知らなくてどうすんのさ?」
「期待はしていませんでしたが……はぁ〜」
「もう少し人と関った方が良いぞ?」
しぶき、渓谷、厳は気づいていないかもしれないが伊織は信康の変化に笑みを浮かべた。以前の信康なら間髪入れずに「知らん」と答えていただろう。だが今は違った。 しっかり令子という人物を思い浮かべて考えたのだ。向きあった事が伊織にとって、とても嬉しい事だった。
「そんなわけで、令子様も追い出せて晩ご飯の準備も出来ちゃう一石二鳥の素晴しい作戦を始めようと思います!」
廊下に並べられた五個の七輪から秋刀魚が焼ける臭いとともに煙が人工的な風の流れに乗って、とある部屋に集っていた。
「まだまだですよ。信康様、手が止まっていますよ。ちゃんと仰いで下さい」
伊織に指摘され、信康は休んでいた手を再び動かすが力強さは無くそよ風程度だ。
「しぶきさん、秋刀魚をひっくり返して下さい! 早く! 焦げちゃいます!!」
「もう、やだ~! 服も髪も魚臭い!!」
「大丈夫ですよ。洗えばとれますから。それより口より手を動かして下さい」
「ひどい! もっと労って!!」
「地味に手が疲れるんですよね、この作業……」
「渓谷さんも口より手! 疲れたら反対の手がありますよ」
「鬼ですか、 貴方は!」
「あー! 厳さん、塩かけすぎです。 あと一番右端の七輪、 もうひっくり返して下さい」
「煙が目に染みて、よく見えん……」
伊織の指導のもと、廊下横の一部屋に集められた煙は行き場を失い、この部屋に滞まっていた。
この部屋こそ令子がいる部屋に続く一歩手前の場所である。
「いよいよですね。 あとは奥の襖を開けて、煙を流し込めば令子様を追い出す事が出来ますね」
「――で、誰があの部屋の襖を開けるんですか?」
質問をしたのは渓谷だった。煙が充満している部屋に入り、奥の襖を開けなければ煙は流れない。その役目を誰がやるのか――と。
「僕は絶対、ヤダ!」
「私も遠慮します」
「わしも無理」
しぶき・渓谷・厳が即座に返事をする。残るは伊織とミツハ、それに信康だ。
「私は指揮をしなければいけませんし、ミツハさんには補佐をお願いしてあるので、信康様しかいませんね」
伊織の言葉で信康に視線が集まる。
「――わかった」
信康は素直に頷いた。 もはや、ここまでくればやる以外に道は無いのだ。失敗しようが成功しようが自分は令子と向きあわなければいけないのだと決心する。
伊織と頷きあった信康は部屋に入り、真っ白な空間を進み、襖に手をかけた。声をあげると令子に気づかれてしまうので、手をあげ合図をする。
「今です! 皆さん、風を送って下さい」
男三人がかりで廊下から風を送る。空気の渦が部屋に充満していた煙を巻き込み新しい部屋へと流れ込む。
廊下側から奥へ奥へと送られた風は、令子の部屋まで無事届き、令子の部屋を白く染める。
「え!? 煙……って魚臭! けほっ……」
煙を吸い、令子が咽せる。 一度咳込んでしまうと呼吸がしずらくなり、思うように息が出来ない。そんな令子の姿を見て信康が令子の手を強く引き、別室まで誘導した。
「令子、こっちだ!」
視界がぼやけていても令子にはわかった。
(――あの時と同じね……)
自分を力強く引っぱってくれる存在が信康だということを――。