十二話
「下処理終わったけど……どう調理するの?」
しぶきがこの先のことを伊織に尋ねた。
「煮付けにしようと思います。ほら、何でも濃いめの味付けにしたら美味しくなると言いますし――」
「最後の一言は聞きたく無かった……」
ここまでくると、何となく伊織が見切り発車で始めたことがわかってきた。同時に料理経験が全く無いことも。この短時間で厳・渓谷・しぶきの三人は自分の意見を押し殺してしまうミツハよりも伊織の方が手がかかるかも……と思ってしまった。
早々に戦力外通告を受けた伊織は意外にも時間を持て余さなかった。
――ある人物の登場によって……。
「お前達は何をやっているんだ?」
不機嫌な表情をして厨房に入ってきた信康は伊織達を一瞥すると先ほどの言葉を吐いた。
「料理をしているだけです」
伊織の簡単な説明に信康は眉間に皺を寄せる。
「何故、料理をする必要がある?」
伊織たちが置かれている状況を知らない信康にとって、もっともな質問だった。本来、生活の場である二の丸御殿で過ごしていれば、この異変に気づいたであろう。だが、信康は政務以外のほとんどの時間を堀を隔てた場所にある西の丸御殿で過ごしている。そのため「奥」で何が起きているのか、そもそも何が起きたのかさえ知らない。だから信康には伊織から「成人男性三人には足りない量だからです」と言われてもピンとこなかった。
笑顔を絶やさない伊織に違和感を感じながら、信康は厨房が使えないと泣きついてきた料理番たちに視線を向ける。そこで誰もが俯き加減だと気づく。
「昨日の夜食と本日の朝食は何を出した?」
「えっと……あの……」
しどろもどろに答える料理長に信康は強めの口調で再び問い詰める。
「早く言え。何を食わせた?」
「――――握り飯と漬物です」
「それだけか?」
「――はい」
消え入りそうな声で料理長は告げた。
料理長が信康に睨まれて萎縮していると、料理番たちが騒ぎ出した。
「こ、これには訳がありまして!」
「我らの料理が伊織様のお口に合わないと仰られて……」
「色んな味付けを試しましたが、毎回手付かずで御膳を下げられましたので私どもは、どうして良いのかわからず――」
「口を付けられないならまだしも、料理を捨てられては私どもの矜持が許せません」
料理人たちの訴えに伊織達は目が点になった。味付けがどうのこうのと言う前に、そもそも、食べていない。こともあろうか、料理を捨てる!?
「何それ!? 言っておくけど僕たち食に貪欲だから食べ物を粗末にするなんて事しないよ!」
「食べてもいない料理に味付けのことで文句を言えるわけないじゃないですか?」
しぶきと渓谷がそれぞれに意見を出すと料理番たちが「えっ!?」と顔を見合わせた。
お互いが事細かに状況を確認していると伊織の落ち着いた声が空気を変えた。
「皆さんが作って下さる握り飯と漬物は、ちょうど良い塩梅で私好みですよ」
伊織の真っ直ぐ人の目を見る態度や優しい声色に料理番たちは自分達が誰かに踊らされていたと気づいた。
信康も双方に起こっていた出来事を把握し最良の策を提案した。
「――俺のところに持ってくる料理の量を増やせ。そして、お前らはそれを食べろ」
それだけ言うと信康は厨房から出て行った。
側室に対しての不敬を叱らず料理番たちを「誰か」から守り、同時に伊織達にも最低限の命の保証を与える策は、まさに最善の策かのように見えた。