十話
令子とのお茶会以降、伊織たちの生活に変化が起きた。
元々、良く思われていなかったが、それなりに最低限の人との関わり合いはあった。
だが、今は完全に孤立状態だ。
この状況で何が一番困るかというと、やはり一定水準の生活の保証だろうか。
「兵糧攻めときましたか……」
伊織は握り飯一つと沢庵一切れを前に呟いた。
何がどう伝わったか知らないが、料理人に伊織たちが食事に文句を言っていると人伝に伝わり料理人達から冷遇されるようになってしまった。
(まぁ、何も出されないよりはマシなのかしら?)
最低限の仕事はしているので怒るに怒れないのが現状だ。
沢庵をポリポリ齧りながら伊織は自分の胃袋の小ささに感謝した。機械いじりに夢中になると寝食を忘れるぐらいなのだ。あれが食べたい、これが欲しいなどと食に興味が無いので大した痛手になっていないのだが、他の人はどうだろうか? ミツハも少食なのでひもじい思いはしていないと言っていたが、問題は男衆である。食べ盛りの年齢は過ぎているが、成人男性にこの量は少ないに決まっている。
(……となれば、やはり食料を調達した方が良いよね?)
伊織は結論を出した。自分で食糧を確保し料理をすれば安心安全が約束される。まさに一石二鳥だ。
伊織は握り飯を完食した後、四人と向き合った。
「皆さん、何か食べたいものありますか?」
「えっ? 何、どうしたの?」
しぶきの質問に伊織は同じ言葉を口にする。
「食べたいおかずって、ありますか?」
四人は、とりあえず「う〜ん?」と考えてみるが、ぱっと思いつく一品が出てこない。
「野菜のお浸しとか、この具が入ったお味噌汁が飲みたいとかありますか?」
四人とも首を傾げること数分。一向に料理名が出てこない。
見かねた伊織が再び先導を切る。
「では、年功序列で厳さん! 食べたい一品をどうぞ!」
「わ、わしか!? ――……じゃあ魚が食べたい……かな?」
「魚ですね! わかりました」
満面の笑みで伊織は返事した。
その様子に四人は「そんな曖昧で良いんだ」と内心、思ってしまった。
太陽がちょうど真上に登った時刻、普段部屋に引き篭もっている伊織が障子扉を開けてミツハたちが控えている部屋に入ってきた。正確には、この部屋を通り抜けないと廊下に出られないため、通り過ぎたと言っていい。
「ちょっと、そこまで行ってきますね」
あまりにも軽い口調で言われたため、思わず了承してしまうところだったが、一歩踏み止まれたのは伊織の格好のせいだった。
「ちょっと待った! 危うく見過ごすところだったけど、どこへ行く気!?」
「ちょっとそこまで……っていう格好では無いですよね!? 一体、どこに行くつもりなんですか?」
「その手に持っているのは釣り竿か?」
しぶき・渓谷・厳による確認作業が始まった。
質問が矢継ぎ早に飛ぶ。
「なんで襷掛けしてるの!? しかも足まで出して! 本当にどこに行く気!?」
「まさか、その格好で外に出る気じゃないでしょうね?」
「網はどうした? せめて籠を持っていけ」
「ちょっと厳じい、黙ってて! 論点が違ってるから!!」
「そうですよ! 何、最後に看過しているんですか?」
「すまん。釣り竿だけ持っているのが気になってな……」
男三人が騒ぐ中、ミツハが静かな口調で伊織に問いかける。
「伊織様、何をなさるつもりですか?」
「えっ? ですから、ちょっとそこまで釣りをしに行こうかなと思いまして……」
「釣り〜!?」
しぶきが驚いた声を上げる。何で釣りなのか分からない。暇つぶしなら生花や刺繍があるのに……。
「川釣りですか? それとも海釣り?」
渓谷が更なる追求をする。どう考えても釣りが出来る場所なんか見当たらないのに――。
「――――池釣り?」
やや考え込んで伊織が答えた。
「池? ここら辺に生簀なんかあったか?」
厳が周辺の地図を頭に思い描くが、生簀の存在どころか魚が釣れる池が思い浮かばない。それは残りの三人も同じで一体、伊織はどの場所を言っているのだろうかと皆の頭を悩ませる。
「伊織様は釣りが出来るのですか?」
「ええ。自国で兄に教わりましたので大丈夫です」
そうなんだ、と感心したのも束の間。新たな疑問に気付いた。
「いやいや、大丈夫じゃない。全然、大丈夫じゃない! お姫様がやる事じゃないから!!」
「そうですよ。何で自分でやろうと思ったんですか?」
「子どもじゃないんですから、自分で出来る事は自分でやらないと」
伊織の正論に四人はぐぅの音も出ないが、さすがに承諾できない案件である。
「あ〜もう! とりあえず付いて行くからね! 池釣り(?)の場所まで案内して!」
「えっ? 皆さんも来るんですか? 目立つのでご遠慮したいんですが……」
「はい、しゅっぱ〜つ!」
伊織の言葉を遮り、しぶき達は強引に事を進めたのは良かったが――。
「…………本当に、すぐそこだった……」
部屋を出てから数分。振り返れば大奥の屋根の一部が見える場所でしぶきは唖然とした。
「まさか、城から出なくても良い距離だとは思いませんでした」
「確かに池釣りじゃな」
三者三様に数分前の伊織の言葉を噛みしめながら呆然とした。まさか、中庭にある池で釣りをしようとは……。しかも、この池は「大奥」と「表」の間にあるため人目についてしまう。それこそ主人である信康の目に。あらゆる意味で不届きである。
内心ハラハラしている四人の心内などお構いなしに伊織は釣りの準備をしていく。
普段から餌付けされている鯉たちは人の気配を察知し無邪気に寄ってきた。水面で口をぱくぱくさせ、いつものように餌が撒かれるのを待っている。
――だが、待てども待てども餌は降ってこない。悲しいかな。鯉は人の姿を判断する事が出来ない。ただ、待つだけ。伊織が自分達を吟味しているなんて思ってもいないだろう。
「とりあえず、一匹ですね」
目星が付いたのか伊織は釣り糸を垂らした。
「貴重な晩御飯として、いただきます」
落ち着いた雰囲気で伊織は時が過ぎるのを待つ。
それは、しじまのように――。
反対に騒ついたのは四人だった。
「……やっぱり、これがおかずになるんだ」
「……みたいですね。鯉って食べれるんですか?」
「……小骨が多そうじゃな」
「……お魚?」
ミツハの言葉に「確かに魚だ」と全員が謎の納得をする。そして、すぐに我に帰る。
「たしかに……確かに魚だけどさぁ〜」
「野菜か魚かと問われれば魚ですね」
「肉か魚かと言われても魚じゃなぁ」
言葉の語尾に、どうしても「だけどね?」が付くぐらい三人は動揺した。生まれてこの方、鯉を食べた事が無い。お世辞にも綺麗な環境で生息しているとは言い難い鯉が泥臭くないか心配でならない。今更ながら、伊織に何が食べたいか聞かれた時に自分の意見を伝えるべきだったと悔やむ。
「ふふふ。これでおかずが一品、増えましたね!」
伊織は満面の笑みで釣った鯉を四人に見せた。
その誇らし気な姿に四人は負けた。これをおかずにしようと心に決める。
軽やかな足取りで帰る伊織の背中に向かって男三人は小さなため息をついた。
「タフ過ぎるよ、伊織ちゃん……」
しぶきの率直な感想に、ミツハ・渓谷・厳は頷いた。