08 乙:お継母さまの生い立ち
私ライラは、伯爵家の長女だった。
兄がいて、私は相続には関係がなかった。ただ、爵位からいって王家に嫁ぐことが可能だった。成人の十六歳になれば、王宮で開催されるデビュッタントに出席する権利がある。そこで、あわよくば王族に見初められるという可能性だ。母はそれを夢見た。領地経営が失敗続きだったにもかかわらず、自由になるお金をすべて私の教育に注ぎ込んだ。身のこなしをチェックする専用の家庭教師が付いた。そしてピアノとダンスを徹底的に仕込まれた。あの頃を思い出すと、今の私と結びついて笑ってしまう。ああ、あの母がいて、私という娘が出来上がったのだとつくづく思う。
度胸を付けるために、高位貴族の子弟が集う音楽会には頻繁に連れ出された。母は私のピアノの腕に自信があった。どこへ行っても弾いた。他の令嬢を押しのけてでも、母は弾かせた。
そして、兄のエスコートでデビュッタントに参加した。ドレスコードに合致した純白の絹製で、肩を出したマーメードラインだった。結婚式で新婦が身に纏うあれだ。私のスタイルの良さは母も認めていて、これで王族を落として来い、というわけだ。一族の命運がかかっていると思うと、気が重かった。
そりゃあ競争倍率が高い。近づくことは出来るが、声を掛けてもらうなんて無理だ。下位貴族であるこちらからの声掛けは、無礼に当たる。鍛えている身体には少し自信があったが、容貌は飛びっきりとは言い難い。王子が二人、おられたけれど、ついぞ目が合うことは無かった。
ただ、会場の隅に困り顔の男子を見つけた。歳の頃は私と同じか、少し上くらい。気落ちした直後だったためか、家名は失念してしまったが伯爵家の長男だったと思う。トラウザーの腰紐が切れてしまい、時間の過ぎるのをただ待っているという。私はためらうことなく、髪を固定していたヘアピンを抜き、ハンカチを使って結えてやった。こんな不始末を歴史上の英雄も経験していたという話をしたら、その男の子も知っていて盛り上がったっけ。ダンスも誘われて踊った。まあ、わが身にかかった重責を忘れて一時の快楽に委ねてしまったというわけだ。
もちろん、髪型は崩れてしまっているから、再び王族や高位貴族に近づくなんて無理だった。
私を見て兄は呆れた。帰宅したら、母は泣いた。そう、母の夢、我が家再興の希望が潰えた夜だった。
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そして、没落の速度は留まるところを知らず、父が亡くなり、名ばかりの爵位を兄が継いだ。
そんな中、格下の子爵家から打診があって、その嫡男に嫁ぐことになった。先方は伯爵という爵位が魅力だったのだ。母は嘆いたが、事ここに極まってはどうしようもなかった。
結婚生活はギスギスしたものだった。特に義母が、私の立ち居振る舞いに気が障るというのだ。確かに生活の質自体が異なるのだからどうしようもない。母に叩き込まれた所作は一朝一夕で変わることは無く、このときばかりは恨めしく思ったものだ。義母には、お高く留まっていると馬鹿にされた。
夫との夜の営みは推して知るべし。女としての喜びなど、ついぞ感じなかった。それでも子を身籠ってしまうのだから不思議だ。すると、家族の態度が少し変わり、ホッとした。だが生まれたのは女児だったので、また元に戻った。二人目も女児だったときには、女腹とさげすまれた。そのうちに夫が外に愛人を作り、その女性が男児を産んだ。義母の態度からして、夫も私を大事にできなかった事情は分からないでもない。
時を同じくして、実家の伯爵家はついに爵位を返上し消滅した。心労で母は亡くなり、兄は軍隊に入った。
そんなわけで、実家の利用価値が無くなったと判断されたのだろう、私は離縁された。後継ぎを産めなかったことは立派な理由になる。娘二人をどうするかと悩んだが、夫の愛人が正妻に入れば虐められると考えて、連れて出ることにした。子が欲しいならばその愛人が生むというわけで、子爵家も納得の上だった。
婚家に対して、憎しみや怒りは不思議と涌かなかった。彼らだとて必死で生きている。単に精神的な余裕がないだけだ。女が爵位を相続できないという社会の仕組みについても、あきらめしか感じなかった。
生活が苦しくなることは覚悟していた。貴族の家庭教師にでも雇ってもらえれば、何とかなると踏んで、とりあえず兄家族のところに身を寄せた。もちろん、一介の軍人である兄に余裕のあるはずがなく、その上司に相談して、妻を亡くして困っていた子持ちの男を紹介され、二人は結びついた。相手と共に選択肢はなかった。
平民を覚悟すれば、なんとか暮らしていけるのだ。
新たな夫は男爵家の三男だった。爵位継承には無縁だったので、早くから軍人で身を立てるつもりだったという。そんな中、リビエラの生母を見初めた。彼女は平民の一人娘だったので、婿に入りたいと両親に言い募ったら、そんな貧しい相手は家の恥だと離縁された。不幸に不幸が重なって、リビエラの生母と相前後して、その親も亡くなり、夫は途方に暮れていた。
結局、リビエラの生母の親から引き継いだこの小さな自宅が、ささやかではあるけれど大きな財産となった。私たち二人の再婚と死別は、つまるところ、リビエラの父親との微かな思い出を引きずって、自宅と恩給を付けてリビエラを引き受けた形ということになる。
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リビエラを鍛え始めて十年が経った。なんと、王宮が主催して婚活パーティが開催されるという話が聞こえてきた。貴族のデビュッタントを庶民にまで拡げるという話だ。参加費は不要とのこと。まさに待っていたチャンスだ。そこに高位の貴族や裕福な商人が出てくるかは不明だが、予行演習と見なせばいい。リビエラだけを参加させることにした。
実父と継母が連れ子同士で結婚に至った経緯を無理の無いように設定してみました。この家族が縁者に助けを求めなかった理由と、継母の高い気位を説明するのは結構、大変でした。母一人と娘三人が暮らす住居の成り立ちや、生活費の出どころも成立させたつもりです。
この二人の親、特に娘二人を連れた母親に身寄りがないという境遇は明らかに異常なのに、どうしてそこに原作者はどうして言及しないのでしょうか。