07 甲:お話のはじまり
あの童話を魔法抜きでリアルに理屈っぽく再現してみました。そしてヒロインを立派に育て上げたお継母さまが自らを慰めていると……
あの童話って、変だと思いませんか? 確かに彼女の顔とスタイルは王子の好みにハマっていたのかもしれません。しかし、トリコにしたというダンスの腕はいったい、いつ磨いたのでしょうか? それに、妃を見つけるためだけに国中の娘を集めた舞踏会なんて、私が国民だったら税金の無駄遣いだと呆れます。ガラスの靴の持ち主を探す件だとて、寸法が合う娘は他にもいたはずです。じゃあ本当のところはどうなのかと思いますよね。そこで、ストーリーから魔法要素を排除し、確たる合理性を加えて、お話をでっちあげてみました。さらに、お母さまにも女としての喜びを与えようという試みです。
基本的にシリアスな仕立てで、最初はそろりと、もの悲しい場面から幕を開けます。
もう私は女の喜びは諦めた。ただ、娘三人の開花を望むのみだ。
私の名前はライラ。
今、自宅に武官二人を迎えて、挨拶を受けている。ローテーブルの向こう側に客人が座り、私の背後には三人の娘が立っている。十歳、九歳、それに八歳だ。
目の前に儀礼用の白い軍服が畳んで置かれ、その上に装飾刀が横一文字に載っている。
そう、この軍服と刀が我が夫だ。海軍士官だった彼は三ヶ月前の戦いで軍艦もろともに海に沈んだ。そのため、遺骨はおろか遺品さえ無い。目の前の品は国王陛下から下賜されたという体裁である。
武官はトツトツと戦没者遺族の今後を語る。専用墓地に墓標が建てられ、遺族の墓参が随時可能なこと。年一回開催される慰霊祭にずっと招待され続けられること。我々には恩給が支給されること……。
恩給は、未亡人の私は死ぬまで受けることができる。娘三人はそれぞれ十八歳の成人までとなる。我々には自宅があり、幾ばくかの蓄えもあるから、贅沢をしなければ生きていける。
「長々と御説明申し上げましたが、もしご不明な点がおありでしたら、何なりと海軍遺族課までお尋ねください。転居された際のお届けもここへお願いいたします」
二人は至極、丁寧だ。こちらの気持ちを最大限に考慮した言葉を並べてくる。遺族の中には取り乱す方々もおられるのだろう。今回、どれだけの家庭を回ったのか、気が遠くなるばかりだ。
後ろをうかがうと、長女は中空を睨んでいて、二女はうつむいていた。三女は訳が分からないのかポカンとしている。
武官が辞去したのち、私はいろいろと想う。
夫とは三か月前に結婚式を挙げた。乗務していた軍艦が母港に帰っていた一週間の間に、兄の上司の紹介で見合いをし、すぐに家族のみの式を挙げた。翌々日には出航していくという慌ただしさだった。しかし、あろうことか、その軍艦が十日も経たずに沈没してしまったのだ。軍人の妻になった以上、覚悟はしていたのだが‥‥。しかも、一か月後に戦争が終わった。夫の戦死はなんだったのかと、運命を呪う。
◆
私と夫は、共に連れ子付きの再婚だった。今となっては、残された娘三人を育て上げることが私の使命となったといえる。
十歳と九歳の姉二人は、私の産んだ子で、心配はしていない。私が伯爵家の長女で、最初の夫が子爵家の嫡男だったために、二人は生まれてから立ち居振る舞いや教育を、何処へ出しても恥ずかしくない程度に出来上がっている。第一子のレナは聡明で、第二子のローザは快活に育ってくれた。共に私に似て、独りでも世の中をたくましく生きていけることだろう。
しかし夫の連れ子である第三子、末っ子のリビエラ八歳が問題を抱えている。夫が下位貴族である男爵家の三男で、産んだ母親は平民だった。ということは、家族の中でこのリビエラだけが生活の質が異なるのだ。言葉づかいに始まって、食事の作法や周囲への気配りなど、他人から見たら一緒の家族とは到底信じられないはずだ。ことによると使用人と見做されているかもしれない。
幸いなことに三人は仲良くやっている。姉二人には身分による差をコンコンと言い聞かせているから、混乱は起きていない。私としては、このまま穏やかで軋轢の無い関係を継続していって、リビエラをそれなりの平民に嫁がせるという選択肢もあるとは思う。
ところが、このリビエラが、とびっきりに可愛いのだ。将来は誰もが羨む別嬪になる。絶対だ。夫は美男子の類だったし、生母は近隣でも評判の美人だったという。しかも本人は素直な上に勤勉で、言われたことをどんどん吸収していく。純粋、ということは裏を返せば“天然”ということになる。他人を疑うことを知らず、誰からも愛される天真爛漫な美少女だ。どう考えても誰かが庇護しないことには立ち行かないことが目に見えている。確かに磨けば光る。けれど、その美しさは、護る人間が存在してこそ維持される。
八歳という年齢は、しつけを始めるにはわずかに遅いが、私がつきっきりで徹底的に鍛えれば、何とかなる。きっとリビエラは望外の幸福を手に入れられることだろう。亡夫の忘れ形見としてこの子を育て上げて、さらに護り通すのだ。リビエラに心血を注ごう。
とはいっても継母と継子だから、世間の見る目は厳しい。ちょっとしたことでも虐めとか、虐待という評価が下される。私が完璧を目指すならば、一日中叱責を飛ばし続けなければならない。その声が戸外へ漏れると、他人にはそう見なされることは目に見えている。しかしそれは私が気にしなければ、我慢すれば済む話である。
ただ、本人はどうか。実の母子なら当然の無償の愛情も、血の繋がらない間柄ということでは難しい。当初、リビエラは私をまったく信頼してくれなかった。食事のマナーを叱った折に、小声で「お母さんじゃないのに」とつぶやかれたときには肝が冷えた。姉二人も固まっていた。私はそれが、養子では必ず起こる“愛情の試し行動”だという知識があったから、乗り切れた。
リビエラに対してまずやらなければならないことは、平民根性を叩き出すことだ。もちろん、周囲を見下してお高くとまれという意味ではない。父親が男爵家出身だからと言って貴族だと思えというわけでもない。男爵など貴族の下っ端で、ものの数ではない。そんな軽くて吹けば飛ぶような気位は必要がないのだ。
要は卑屈になるな、貧乏を恥じるなということ。人間として凛とした気位を持つのだ。高位の貴族や大金持ちだとて恐れない気骨を叩き込まなければならない。
そのため、恥を忍んで、侯爵に嫁したかつての友人宅を訪問させてもらって、上流階級がどういう暮らしをしているのかを体験させた。土産をはずんで、晩餐などにも同席させてもらった。
そして、常に言い聞かせる。こんなものは取るに足らない。一つ間違えば手に入るほどの暮らしだ。世の中には『玉の輿』という言葉だってある。逆に、あっという間に失うことだってある。世の中は、一寸先は闇だ、と。
そんな儚いものに対して、一旦身に着けたら絶対に失わないものがある。身体で覚えた言葉遣いや所作、それに周囲への気配りの習慣だ。また、本気で身に着けた教育も然り。私の言うことは全て吸収して、学園の授業は死に物狂いで学び取るように。貴女は、国に身を捧げた父上の娘であり、二人の母が丹精を込めて育て上げた立派な愛娘なのだ。決して忘れてはならない。矜持を持ちなさい。
そしてピアノは、私自身が掛かり切りで厳しく仕込んだ。私が不得手なダンスは、貴族連中に定評の講師に頼んだ。生活を切り詰めなければならなかったが、それなりの相手に見初められるためには、この二つが切り札となる。
始めるには遅い八歳からの仕込みである。私は必死だった。リビエラもよく応えた。
武官の挨拶場面は、満谷国四郎による「軍人の妻」という油彩画から連想しました。