04 山:熱き想いの行き着く先で☆
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慣れないスーツを着込んだ。五か月前に揃えた、あれた。自分の先見性をほめてやりたい。足元は黒のパンプスで、リップには可愛さアピールのピーチピンクを差した。へっへっ、年齢詐称か。
ご実家までは高速道路を使って三時間の距離だ。車の中で互いの家族のことを確認した。彼は果樹園農家の一人息子だけれど、ご両親には自分達の代で廃業するつもりだから跡を継ぐ必要はないと言われている。私はヤリ手の母と、手癖の悪い父、それに弟と妹がいることを告げた。
お宅は日当たりのよい斜面に建っていた。大きくて古そうな二階屋だ。土間から座敷に上がり、大きな座卓を囲んだ。お茶が運ばれ一息つくと、自己紹介となった。ご夫婦は、信用の信と一郎でシンイチロウさん。それに同じ信の字で信子のノブコさんだという。
「東信さんは、ご両親から一字をいただいたのですね」
と返すと、即座に、
「あらっ、“ノブ”なんだから私よ」
だとさっ。あー、チカラ関係が分かってしまった。彼によれば、命名は信一郎さんだという。ひとしきり喋ったのち、近所の和食レストランで昼食となった。
「徳子さんは、お箸の使い方がきれいなのね」
と褒められた。そりゃあ祖母が厳しかったもの。染みついている。このご両親と彼もサマになっていた。
帰りの車内で彼が言う。
「座敷に上がるときに靴を揃えただろう。オフクロが見ていた。君は気に入られたようだ。何かにつけて所作が綺麗だよ。オレは、そこにも惚れた」
単に祖母による仕込みの結果なのだから、歯痒い。この物言いだと、美しくなかった方がおられたっていうことか。
その後、ドラッグストアーに寄った。彼が手に取ったのはなんと、あれ。げっ、もうヤるのか。早すぎないか。
その日、彼の部屋で初めての夜を過ごした。あちゃあ。
手管がうまいというか、次第に気分が盛り上げられていき、十分に潤った段階で貫かれた。あー、これが繋がるということか。思い合う男女の営みって、こんなに素敵なんだなあ。その後は、あれが破れるかと心配するほどに激しくギッタンバッタン。優秀な日本製品がこれほどありがたいと思ったことはなかった。それと納得したのは、彼女とも生でこのレベルだったら、そりゃあ感染するわな、ということだった。
翌日は、出勤した。同僚には「なにかいいこと、あったの」と訊かれた。あははっ、顔に出ていたか。一応、「なにも」と返しておいた。帰宅して自室で春の衣替えをしていると、彼がやってきた。婚姻届を出したと言う。仕事の合間に市役所に行ったとのこと、おいおい。私無しでも受理されちゃうのか。ショックだった。嫌ではなかったけれど……。
「君の方が荷物が多いな。こっちへ引っ越すか。同居だ」
大家さんに確認したら、建前は単身者用アパートだけれど、二人でも構わないとのこと。彼の部屋には何もなかったものね。ちょっと狭いが、しばらく我慢することになった。家賃代がもったいないというのは言い草だと思う。
この人、やることが本当に早い。それに即物的だ。
籍を入れたことを、母には手紙で、妹にはメールで知らせた。式は二人だけで挙げると添えた。
◆
ここよりももう少し広い部屋を探し始めていたときだった。彼に彼の父親、信一郎さん、あっあっ、義父ね、そのお義父さんから電話があった。なにやら深刻そうだ。終わるなり神妙な顔でこちらを向いた。
「オフクロが骨折した。右腕だ。アンズの出荷用ケースを落としたらしい。全治三か月だ。その間だけ、世話をしてやってくれないか」
利き腕かあ。ちょうど、会社を辞めて妊活を始めようと考えていたところだ。その開始が遅くなるだけ。稼ぎなら、彼一人で十分だ。「いいわよ」と即答した。週末に彼も帰省するという。はははっ、三ちゃん農業だ。
こちとら、酒屋の長女だ。母が仕事ばかりで家事をしないものだから、祖母が私を仕込んだ。今はお手伝いさんを雇っているはずだ。
というわけで、一日で雇用関係のカタをつけて、二日目には彼の実家へ乗り込んだ。お義母さんは首から腕を吊っているだけで至って元気。ほっとした。お姑さんだと緊張したが、穏やかな方だった。嫁姑で苦労をしたはずだと彼が言うから、繰り返さないように気を配ってくれているのだろう。
もちろん、果樹園の仕事もコナした。ちょうど、リンゴの袋掛けの真っ最中だ。彼も週二でお義父さんを手伝った。いうなれば、休み無しだ。大変だと思う。まあ、夜のご褒美がほしいものね。そういう即物主義者なのだ。
お義母さんのギプスも取れそうという、そんな日曜の午後、座敷の方でお義父さんの怒鳴り声が響いた。
「馬鹿を云うんじゃねえぞ。うちはオレの代で終わりと決めてんだ。こっちがお前に買ってほしいんだ。諦めろ」
「オレんとこは、息子も娘も嫌だというんだ。お前んとこは、ハルノブ君がいるじゃあないか。可愛い嫁さんなんか、もらっちゃって。なあ、引き受けてくれよ。安く、しとくよう」
はははっ、私、可愛いかなあ。どうも、隣りの果樹園を買ってほしいということ。こちらの山崎家は息子夫婦が跡を継ぐために修行していると思われたようだ。
彼が戻るので日曜の夕食は少し早めとなる。そこで、彼が口を開いた。
「オヤジさあ、隣りと併せたら、ソコソコの規模になるんじゃないのかあ。オレ、三か月、手伝ってみて、いろいろ思うところがあるんだ。うまくやりゃあ専業でいける。これ一本でやれる。はじめのうちは、こっちで会社を見繕って兼業とすりゃあ、食うには困らない。土地を買う金は借りゃあいい」
「果樹園をさせるために大学まで出したんじゃねえぞ。おまえ今、いくらもらってる。こっちはなあ、半分か、下手すりゃ、そのまた半分だ」
「それだけあれば、御の字だ。生きていける。嫁さんだって贅沢がしたくてオレと一緒になったんじゃあないんだ」
「きれえ事ではすまねえんだぞ。おめえが描いたようには、なんねえ。果物なんて嗜好品だ。食わねえでも死ぬこたあねえ。いつ売れなくなるか知れたものじゃあねえ。生半可な覚悟じゃあ務まらん。サラリーマンには想像できねえ」
「なあ、オヤジ。オレ、この徳子さんに命を救ってもらったんだ。運が良かったんだ。この運を試したいんだ。やらせてくれ。たのむ」
あーあ、虚無的になっちゃって。直情径行にこれが加われば怖いもの無しだ。何でもできる。
私がここで口を挟む。
「わずかですが、貯えがあります。私も出します」
お義母さんが茶化す。
「カズトヨの妻ね。いい心構えよ」
お義父さんは黙り込んだ。そりゃあそうだ。もう何十年も、自分の代で始末をつけると思い続けてきたのだ。一朝一夕に、はいそうですか、とはならない。矜恃はあるだろうし、うれしさも半分といったところか。彼は無言で帰って行った。
お義母さんが完治し、私は戻る支度を始めた。リンゴはこれから収穫作業に入る。また、お手伝いに来よう。ご両親からも名残惜しそうなオーラが出ていた。もちろん、人手を期待してのことでは決してない。そんな中、彼が迎えに……じゃあなかった。ご両親に向かって宣言する。
「銀行は辞めた。そこの信用金庫に転職する。隣の家とは話が付いた。金はオレたち夫婦で工面する。オヤジとオフクロには迷惑をかけない。いいだろう?」
いいも悪いも無い。進める前に言えってんだ。
「迷惑かけないとは言ったが、オレたちは子作りに励む。オヤジとオフクロは、世話を手伝ってくれ」
何を言ってやがるんだ、こいつ。事前相談は無しだった。異存はないけど……。
「このセッカチは子どもの頃からですか」とお義母さんに訊ねたら、
「昔はノンビリしていて、慎重だったの。石橋を叩いても渡らないタチだったのにねえ」
ということは、あの事件で性格がガラッと変わったのか。まさか生き急いでいる……なんてことはないよねえ。心配になってきた。そういえば、あの日以来、ずっと言動を追っているけど、どうも銀行での先行きを見切ったようなところもあったな。指折り数えたら、ちょうど一年だ。九月は恋の終わる、もの悲しい季節と相場が決まっているのに、こういうこともあるのか。
◆
そんなわけで、子どもをボコボコ生んだ。五人になって、さすがに打ち止めとした。ご両親はもっと産んでもらいたいようだったけど、勘弁してほしい。
果樹園は、夫の才覚で直ぐに軌道に乗った。信金を辞め専業となると、廃業したい果樹園の引き取り依頼がぽつりぽつりと来始めた。だんだん大きくなって人を雇うようになり、株式会社組織となった。お義父さんが社長で、夫が副社長、そして私が経理担当取締役だそうな。なにせ土地を現物出資した株主だからという。お義母さんは固辞して、平社員だ。でも一番、つえーんだよ。
大学を出て銀行員で培ったキャリアが活きているんだと夫はいう。お義父さんは、そんなものかと呟くばかりだ。
妹夫婦に子どもが二人でき、家族で遊びに来るようになった。こっちと合わせると、そりゃあ賑やかだ。夜は酒盛りだ。妹の旦那さんだけが蚊帳の外で保父さんに変身だ。
宴が盛り上がると、いつも酔いの回ったお義母さんが言い出す。「この会社の一番の功労者は私だ。骨折したからできた」と、確かにその通りだ。でも、元はと言えば、あの事件か。さらに、さかのぼれば、糞オヤジや彼女の愚行か。到底許すことは出来ないけれど、人生って不思議だ。たどれば一本の糸のように、ほんとうに、か細い縁で繋がっている。そして、人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとしといったところ。まあ、これからもいろいろあるだろう。
リンゴの木の枝に女郎蜘蛛が巣を張っていた。これは大きい。見事なメスだ。ははっ、あの男の戯言を思い出す。私は、これかい。その横に小さな豆粒のようなオスが目に入る。糸に必死でしがみついている。ああっ、メスの隙を突いて交尾を狙っているんだな。がんばれよ。下手するとその前に喰われるぞ。どうせ食われるなら、ヤった後だぞ。
私、やはり、これだよね。三人の男は自らの破滅を顧みずに事に及んだ。社会的に抹殺されなかったのは、単に私が甘かっただけだ。三回も経験している女なんて居ない。なんで惹き付けてしまうのだろう。地味に生きているのになあ。まさか、フェロモンを出しているのか。私が持っている女らしい魅力といえば、祖母が徹底的に仕込んだ所作だけか。解からない。
あの日、あの人が、生命を賭して向かってきた眼。他の二人と異なるのは、目的が子どもを産ませようとしたこと。快楽の欲望とは紙一重。現代の医学では解除されてしまうのに、動物的衝動があの行動を執らせた。そう考えれば理解できる。私に求めたのは、子を孕むこと……。はははっ、もう笑ってしまうわ。前の奥さんには裏切られても、あれほどの気配りを見せた。生殖能力のあるメスを生かすという本能だ。
夫はときどき言葉に出す。存在した証を残したいと。それが子どもなんだ。生き物の理。私も同じだと思う。
-完-
「カズトヨの妻」というのは、土佐藩主となった山内一豊の奥さんで、夫のためにヘソクリで名馬を買ったという逸話があります。「三ちゃん農業」は、ジイちゃん、バアちゃんとカアちゃんで営んだ農業形態で、1960年代に流行った言葉です。添付写真は、黄金蜘蛛かもしれません。
精液の採取から着床までを細かく描写したいとネットを探したのですが見つかりませんでした。妄想は出来るものの読者に誤解を与えるのが怖くて省きました。プロの小説家なら取材するのでしょうね。ところで、本文はヒロインの第一人称で語られているのですけれど、サブタイトルはヒーローの思いとなっています。これの意味するところはお解りですよね。
R18ムーンライトノベルズに連載した『【短編集】それぞれの愛欲の果て』とダブルポストです。https://novel18.syosetu.com/n6723if/
2024-05-31 最後のセンテンスを書き換えました。