15 白:ばか! バカ! 馬鹿!
国王陛下が崩御された。
我々と同世代で、まだ御若いけれど、ずっと御病弱で臥せっておられたのだ。
配偶者の王后陛下は隠居されて王太后となられた。女の盛りなのに、お辛いことだ。凛とした気品を湛えた方で、私たち女性の憧れだった。お子様はおられず、側室様がお生みになった王子が即位した。
夫は、その王太后宮付の長官となった。連日、帰宅が遅くなる。泊まりの日もある。宮殿が新設されるので目の回る忙しさだという。
あれっ、そういえば夫はあのとき、愛し合う人、と表現したのだった。決して愛人などという下卑た言い方ではない。まさか、そんなことが……。欲目かもしれないが、いい男なのだ。二枚目と言っていい。武人としてもピカイチ。貴人の女性に見染められたとしても不思議ではない。
帰宅が遅くなると、いつもの香水。そういえば、これ、相当な高級品。まさか相手は……。ああっ、考えたくもない。そんな鬱陶しい日々が続いた。
小雨の降る深夜だった。
城から早馬があった。口頭で伝えられた知らせは、夫が倒れたこと。夜の明ける頃に、無言の帰宅となってしまった。心筋梗塞だという。
涙は出なかった。頭は家のことで一杯になる。子どもたちをどう育てていこうかという心配だ。実家から兄がやってきて執事とともに物事を進めてくれた。ほんと、ありがたかった。私は日常的なことに専念できた。葬儀と埋葬は滞りなく済んだ。
王太后様からお悔やみのお手紙をいただく。負担を強いて過労を招いた。すまなかったという内容だった。忠義は一生忘れない。安らかに眠ってくれ。という丁寧な文面で、代筆ではなく、自筆と思われた。そのまま読めば心温まる内容だ。こちらは、そう解釈するしかない。失礼の無いように感謝の意を御返事申し上げた。
しばらくして長男への爵位継承を認める書状が届いた。成人するまで母親である私には代理権を与えるとの添え書きもあった。これで子爵家としての憂いは無くなった。あとは成長を見守るのみだ。夫によく似て、たくましい。思わず目を細めてしまう。そっくりな風貌から思い出して悲しくなることもある。
娘は器量良しで引く手数多。学校を卒業すると同時に片付いた。長男に嫁をもらい、しばらくして孫が生まれた。この時を待って二男を婿養子に出した。
使用人も世代交代が進み、執事が退職の挨拶に来た。真相を確かめるのは今しか無い。若い頃、彼は従者として四六時中、夫に付き従っていたこともある。ひとしきり想い出話に興じた後、私から切り出す。
「ところで、旦那様のお相手は誰だったの。もう昔のこと。最後だから教えてくれてもいいでしょう?」
「えっ?」
「だからあ、夫のお相手。愛人よ」
「何を仰っておられるのですか?」
「えっ、て、こっちが聞き直してしまうわ。
あのね。結婚して最初の日に、言われたの。その言葉が、自分には愛人がいる、だったのよ。心当たりはない?」
しばらく考え込んでいた。やおら、口を開いた。
「おかしいですねえ。旦那様は奥様に一目惚れだったのですよ。お見合いから戻る馬車の中で、それはもう興奮しておられました。この娘に決めた。めぐり合わせてくれた神様に感謝だ。と言われたんですよ。事実、新婚生活から、そうだったではないですか。お子様にも恵まれて仲睦まじい様子は、我ら使用人の誇りでしたよ。他家の連中によく自慢したものです。
変ですねえ。最初から最後まで奥様一途だったんですよ」
「……。あっ! ちょっと待ってくだい。思い出しました。確か結婚式の前あたりだったか……」
「えっ、なになに。何か心当たりがあるの?」
「そうです。旦那様が申されたんです。男がベタ惚れってのはカッコ悪いかな。愛人の一人ぐらい居た方が相手も意識して男として認めてくれるのではないか、って言われたんですよ。妄想も大概になさいませ。と応えたはずです。冗談だとばかり……。それを奥様にぶつけちゃったんですか。言っちゃったんですか!」
「でも、香水。帰宅するたびに衣服から女性モノの上等な香水が匂ったのよ」
「ああ、あれね。あれは大奥様です。旦那様の御母堂様の形見なんです。幼少時にお亡くなりになられたので、少しマザコン気味のところがおありで、小さな香水瓶をずっと肌身離さず持ち歩いておられました。それが漏れることがあったんでしょうね」
「いや、いつも女性に慣れた手つきだったわ。最初の夜なんか、もう手練れの域だった……」
「それはね。結婚前に官能小説を読みまくっておいでだったんですよ。男がリードしなけりゃいけないって、必死でしたね。
えぇぇっ! 奥様、ずっと思い込んでおられたのですか! 旦那様も罪なことを……」
あぁー。なんということだ。王太后様は関係なかったのか! 最中に逝ったわけではないのか。本当に過労だったのか。
私はずっと騙されていたというわけか。
おい、ウソをつく意味なんてあったのか!
バカヤロー!
-完-
あれっ!? 登場人物に名前が無い。忘れてしまいました……。