04
残ったシーンは日を改めて別取りのため、その日はこれで解散。思った以上に順調に進んだ撮影スケジュールのお陰か、その後の作業も予定より早く進む。取り溜めた映像を編集しサウンドやエフェクトなどの効果を付けたしていくと、少しずつそれが一本の作品へと変化する。そうやって完成したものは、この撮影に関わったメンバーに真っ先に公開された。
小さな劇場を貸し切って行われる試写会。静かな場内に映写機の回る音が小さく響く。始めに真っ黒な画面が映し出され、徐々に鮮明になっていく映像。一人の少女のアップが入り、その映像に合わせて台詞という音が始まる。
『私は今、とても後悔している……何故、ここに来てしまったのかっていうことを。ここにさえ来なければ、あんなことにはならなかったのに……』
涙に濡れた顔で迫る恐怖に戦慄きながら、ゆっくりと開かれる口。音のない映像だけの絶叫が流れた後、画面は暗転。映画のタイトルロゴが入り、控え室らしき部屋の映像へと画面は移る。
映像は進む。シナリオはこの場に居る全員が分かっているのに、思ったよりもこのモキュメンタリーの出来は悪くないようで、映像の出来を笑ったり、作品の内容を揶揄したりするものは一人も居ない。もしかしたら世に出て人の目に触れセル版として市販されるようになれば、レビューサイトなどでランクの低い評価をつけられてしまうかもしれない。それでも、此処に居る人間にとってこの作品は、大切なものの一つには違いがなかった。
映像は進む。一時間と十何分ほどの作られた物語は、ラストに向かって止まることなく展開されていく。
その違和感に真っ先に気付いたのは誰だったのだろう。エンドクレジットが流れ終わり明かりの灯った場内がざわついたのは、感じ取った不思議な感覚が何であるのか、その正体が分からないからだった。
「ねぇ、愛実」
劇場の中央。前から数えて数列後の真ん中の座席に腰掛けていた美夏が小さな声で呟く。
「今さ、何か変なもの映ってなかった?」
敢えて【変なもの】と表現したのは、それが気のせいだと誰かに言って欲しかったからだろう。
「……よく分からないけど、何か変な感じはしたかな……確かに……」
しかし、愛実は美夏の言葉を否定するわけではなく、逆にその違和感について自分も感じたと肯定で返してしまう。
「マユも何か見えた気がする……」
珍しくキャラを作ることなくそう呟く麻由の様子からも、美夏が感じた違和感は気のせいではないと言う事なのだろう。それでも、その正体は三人には分からずじまいのまま。どこでそれを感じたのか話し合っても、何が奇妙だと感じているのかのヒントすら見つける事が出来ない。
結局、この話は有耶無耶になったまま、出来上がった物は劇場作品として公開されることとなった。上映館は少ないものの、思ったよりは人の入りはあるという感じで。作品のレビューについては予想していた通りと言ったところ。良い意見もあれば、あまり褒められたような印象ではないものもあった。
そうやって、一時的に注目されたこの作品は、ファンやマニアの間では知られるが一般では知名度が低い。そんな風に世間から忘れ去れれていくはずだった。
その噂が出回り始めたのは、作品がリリースされて随分経ってからのことである。
「……ねぇ、知ってる?」
レビューサイトに書き込まれた一つの感想。その中にある一言から、忘れられていたはずの映像にスポットが当たることになる。
「この映画、何か本物の【幽霊】が映っているらしいよ」
それの噂自体はありきたりなものではあったが、真意を確かめたいとする好奇心を煽るには十分な物で。レビューサイトをきっかけに口コミで広まったそれは、気が付けば中古価格でそれなりの金額がつくものになってしまっていた。
実際の所、【幽霊】らしきものが映っている描写がどこなのか、それがどのような造形をしているのかという詳細は、表だって語られる事は無い。それなのに、噂の尾鰭はどんどん膨らみ、やがてそれは形となってしまうことになる。
それは、始め。小さな影だったのだろう。
しかし、繰り返し映し出されることで、影が輪郭を持ち始める。
多くの人の目に触れ、話題に上がる度、それは意思を持ち動き始めてしまった。
そして、それは、今ではハッキリとフィルムに映し出される存在にまでなってしまっている。
ソレがハッキリと認識され始めたのは、そこから更に日が経ってからのことだった。
「この映画さ、【幽霊】が映っているんだけど、それがとっても不気味でさ……」
ソレが確認出来るのは、映画の本編が終盤にさしかかった頃だ。薄暗い廊下を真っ直ぐ進む三人のアイドル達。足取りは重く、手元で揺れる灯りが心許ない。時々混ざる小さな叫び声と乱れる息づかいは、ストーリーの評価が余り宜しくないものでも、恐怖心を煽るには十分だ。
目的地に辿り着き扉を開け、中を確認するために照らす明かり。懐中電灯によって作り出された小さな円が、壁や床をなぞるように左から右へと進んでいく。それをカメラはゆっくりと追い掛ける。映像はそんな何の捻りもないワンシーン。本来ならば、そこで幽霊役の役者が登場する予定は無い。その部屋を使って撮影するはずだったシナリオは、【何も無いことを確認し、次の部屋へと移る】というものだ。
それなのに、この映像が繰り返し再生される度ソレは少しずつ画面に映り込むようになった。
そのシーンの中で微かに映るものとは、そこにあるはずもない黒い影のことである。
当然、このフィルムの中で役を演じている役者や撮影スタッフが、ソレの存在に気付いている気配はない。与えられた台本通り進むシナリオを、忠実に再現し先へと進んでいくのだから、当然と言えば当然である。
本来ならはそのシーンでソレが現れることは予定されて居ないため、映り込むと言うこと自体が不可解。それなのに、いつの頃からか、始めは小さな点として。徐々に揺らめく影となり、少しずつ人のような形へと変わる。そして、気が付いた頃には実体の掴めない人らしきモノへと進化し、いつしかそのシーン以降の全ての映像にさり気なく映るようになってしまった。ソレは再生を繰り返される度移動し、今では随分と画面に近い所まで距離を縮めてしまっている。
それなのにこの映像を再生するということが止まらないのは、興味本位で経過を観察したいと思う人間が一定数存在しているためだった。
ある者は意図的に作られたものでは無いかと疑い、ある者は純粋に興味だけでソレを見る。ある者は現象の不可解さを解明しようと躍起になり、ある者は付き合いで強制的に見せられる。
そうやって、なかなか止まらない拡散は次々と新たな噂を生み出し、いつしか何が真実で何が虚構なのかが分からなくなってしまっていた。
いつかはその映像の向こう側にある影が、画面を覆い尽くし正体を現すのだろう。
そう期待した者も少なくは無い。
しかし、不思議な事に、ある日を境にその映像から人らしき影は姿を消してしまう。
何度も何度も繰り返し再生することで確認をしていても、迫ってくる影の痕跡は一切掴めず、映画の中から完全に消えてしまったのだった。
その頃からだ。一つの噂話が流れ始めたのは。
「ねぇ、知ってる?」
それはこんな下りから始まる怪異話。
「切り子さんっていう幽霊の噂なんだけどね」